第13話 軍曹の目
翌朝、ザインはドレクの天幕に呼ばれた。
卓の上に粗末な地図が広げられていた。羊皮紙に川と街道と砦が墨で雑に描かれている。
縮尺も方位もいい加減なものだった。前世で見慣れた、寸分の狂いもない地図とは、似ても似つかない。だがザインの目はその雑な線の奥にある地形を、自然と立体に組み上げていく。この川はどこで浅くなるか。この森はどちらから抜けられるか。墨の線がザインの頭の中で、起伏のある大地に変わっていった。
「見ろ」
ドレクは太い指で一点を押さえた。
「俺たちの中隊は、ここだ。西から王国の大軍が来る。そして本軍は、ここ――東のラーゲン平原で迎え撃つために集まりつつある」
指が地図の上を滑った。砦から、東の平原へ。
「中隊は、本軍に合流しろという命令だ。だが、間に合うかどうかは、道次第だ」
ザインは地図を覗き込んだ。砦から平原までは七日。だが街道は一本しかなく、その途中には森と、川を渡る渡しがある。
「敵が、先回りして道を断つ恐れがある。そういう事ですか」
ドレクが満足げに鼻を鳴らした。
「そうだ。お前は察しがいい。だからこそ、お前を使う」
軍曹はザインを正面から見据えた。
「お前を、斥候の長に据える。ガロと、マルトと、あと数人を付ける。中隊が進む前に、道を見てこい。どこに敵がいて、どこが安全か。お前の目が、中隊の生死を分ける」
それは新兵にはあまりに重い役だった。
ザインはしばし沈黙した。掌にじわりと汗がにじむ。
だが断る理由はなかった。むしろ自分の判断が中隊を動かすという、その重さこそがこの世界で生き延びる足場になる。
武勇ではこの体は人並みだ。槍の腕もせいぜい新兵の域を出ない。だが地形を読み、敵の動きを先回りして測る――それだけは、前世から持ち越した、ただ一つの武器だった。力で成り上がれぬなら頭で這い上がるしかない。ザインはそう腹を括っていた。
「……承知しました」
ザインは短く答えた。
天幕を出ると、朝の光が目を刺した。
二つの月は白く薄れて空に残っている。大小ふたつの影が夜明けの青の中にまだ消えずにいた。
ガロが天幕の外で待っていた。
「どうだった」
「斥候の長を、任された。お前も、俺の下だ」
ガロは目を丸くした。それからにやりと笑った。
「新兵が、いきなり斥候頭か。たいした出世だ」
「出世じゃない。誰も死なせずに、中隊を平原まで届ける。それだけの仕事だ」
ザインは自分に言い聞かせるように言った。
道を読み違えれば、中隊ごと、敵の罠に落ちる。何百という兵の命が自分の目ひとつにかかっている。
その重さをザインは噛みしめた。
午後、ザインは付けられた斥候たちを集めた。ガロ、マルト、そして数人の若い兵。皆、自分と同じ徴募兵だった。
その中に一人だけ、年かさの男がいた。
バルガ。あの隘路の退き際を共に駆け、目立つ新兵の転び方を忠告してくれた古参だった。
バルガは腕を組み、冷めた目でザインを見ていた。
日に焼けた、痩せた顔だった。その目にはいくつもの戦場を越えてきた者だけが持つ、底の見えない静けさがある。若い兵たちが無意識にその男を避けるのが、ザインにも分かった。
「……新兵の下につけ、と軍曹は言った」
バルガは低い声で言った。
「俺は十年、この軍にいる。お前が洟を垂らしてた頃から、槍を握ってきた。その俺が、槍もまだ青い小僧の指図を受けるわけだ」
空気が張り詰めた。
ザインはバルガを正面から見返した。ここで退けば、斥候隊は崩れる。だが力で抑えつけても信頼は得られない。
「あなたの十年は、俺にはない経験です」
ザインは静かに言った。
「だから、道のことはあなたに聞く。判断は、俺がする。それで死人が出れば、責めは俺が負う。……それでも、嫌ですか」
バルガはしばらく黙っていた。
やがてふんと鼻を鳴らし、視線を逸らした。
「……一度だけ、見てやる。水路の時の目がまぐれでないか。七人を預かる長の器があるかどうかをな」
それは拒絶ではなかった。値踏みだった。
ザインは頷いた。この男の信頼を得られるかどうかが、この斥候隊の、最初の試練だった。
力で抑えれば、面従腹背を生むだけだ。命じられて動く兵と、信じて動く兵とではいざという時の踏ん張りが違う。バルガの十年は若い兵たちにとって、何よりの拠り所になる。あの古参を敵に回すか、味方につけるか。それがこの隊が生きるか死ぬかを、静かに分けるのだ。
ザインはもう一度バルガの目を見返した。逸らさなかった。
遠く、西の空の下で王国の大軍が動き始めている。その足音が聞こえてくる前に、この七人を一つの隊にまとめ上げねばならなかった。




