第12話 草を分けて
動いたのはザインの方が早かった。
考えるより先に体が前世の底から動きを引き上げていた。
声を上げさせるな。それだけが頭の芯にあった。
ザインは草を蹴って踏み込み、手前の斥候の口を抑え、槍の柄で当て身を入れた。男が糸の切れた人形のように崩れる。
同時にガロとマルトが、もう一方の斥候に飛びかかった。二人がかりで押さえ込み、口を塞ぐ。
短い、声のない格闘だった。
草の擦れる音と、こもった呻きだけがわずかに漏れる。それもすぐに収まった。
幸い、王国の斥候も声を上げる暇はなかった。二人を縛り上げ、猿ぐつわを噛ませると、ザインはようやく息をついた。
全身が汗で濡れていた。心臓がまだ早鐘を打っている。
「……殺さないのか」
マルトが小声で問うた。剣を抜いたまま、まだ昂った目をしている。
「殺せば、いずれ見回りが死体を見つける。そうなれば、こっちの斥候がいたと知れる。縛って連れて帰れば、後には何も残らない」
ザインは淡々と答えた。
「それに、こいつらが知っている事を、軍曹が聞き出せるかもしれない。生きてる方が、使い道がある。死人は、何も喋らない」
ガロが感心したように唸った。
「お前、本当に頭が回るな。俺なら、慌てて突き殺してた」
「殺すのは、いつでもできる。だが、殺してからでは、取り返しがつかない」
ザインはそう言いながら、自分の手を見た。マレンで人を突いた、同じ手。今は殺さずに済ませている。それが少しだけ救いに思えた。
三人は捕らえた斥候を引き立て、丘を下った。
夜のうちに砦へ戻る。見てきたものはあまりに重かった。王国の大軍が動いている。補給拠点はその喉元だ。
帰り道は行きよりも長く感じられた。
捕虜を引きずりながら、敵の目を避けて進む。日が落ち、二つの月が昇り、その蒼い光だけが頼りだった。一歩ごとに背後を振り返る。追っ手の気配がないか、何度も確かめる。
誰も口をきかなかった。見てきたものの重さが三人の足取りを鈍らせていた。あの大軍が東へ向かえば、帝国軍との大会戦は避けられない。そして自分たちはその渦の中に放り込まれる。
夜半、ようやく砦の篝火が見えた時、ザインは詰めていた息を長く吐いた。
砦に戻り、ドレクに報告すると軍曹の顔が険しくなった。
「……大軍が、動いているか」
ドレクはザインが連れ帰った斥候を見て、低く言った。
「拠点を叩くどころではないな。これは、上に報せねばならん。お前が見てこなければ、中隊はのこのこ拠点に近づいて、あの大軍に踏み潰されていた」
軍曹は捕らえた斥候を兵に引き渡すよう命じ、それからザインを正面から見据えた。
「ザイン。お前は、中隊を二度救った。隘路で一度。今度の斥候で、もう一度だ」
ドレクは太い手をザインの肩に置いた。
「お前を、俺の下に付ける。これからは、俺の目として動け。新兵の槍働きで終わる器じゃない。……いいな」
ザインは静かに頷いた。
それはただの頭数だった一人の徴募兵が、初めて名前で必要とされた瞬間だった。
天幕を出ると、夜風が火照った頬を撫でた。
ザインは自分の掌を見た。マレンで人を突いた手。今日、敵を殺さずに縛り上げた手。地形を読み、隊を救った手。
同じ手で人を殺し、人を生かし、隊を導く。その三つが矛盾なく一つの体に収まっていく。その重さが少しずつ、自分という人間の輪郭になっていく気がした。
前世ではただ命じられた任務をこなすだけだった。だがここでは自分の判断が、そのまま誰かの生死になる。それは恐ろしく、そして同時に奇妙な手応えのある事だった。
天幕に戻る道でガロが肩を並べた。
「出世頭だな、ザイン」
「まだ、何者でもないさ」
「またまた。あの軍曹が、新兵をあんなに買うのは見たことねえぞ」
ガロは嬉しそうに笑った。自分のことのように。
ザインは空を見上げた。
東の空に二つの月が昇っていた。大小ふたつの蒼い光が砦の石壁を静かに照らしている。
西では王国の大軍が動き始めた。やがてそれは帝国軍との大きな会戦となって、ザインたちを呑み込むだろう。
初陣を生き延びた少年兵は、まだ知らない。
これから始まる戦がこれまでとは比べものにならない規模で、自分の運命を変えていく事を。
成り上がりの道はまだ、始まったばかりだった。




