第11話 草の中
夜明け前、ザインたち三人は砦を出た。
ガロと、足の速いマルトという若い兵。三人は街道を外れ、丘の陰を縫って西へ進んだ。
目立つ動きは禁物だった。身を低くし、草と岩の影に紛れ、ゆっくりと、しかし確実に。
朝靄が三人の姿を覆い隠してくれた。それでも開けた場所を渡る時は、心臓が縮む思いがする。
「……静かすぎねぇか」
ガロが小声で囁いた。
「鳥の声がしない。普通、夜明けは賑やかなもんだ」
ザインもそれを感じていた。鳥が鳴かないのは近くに人がいる証だ。前世で教わった、ただの知識。だがそれが今、生死を分ける。
「気をつけろ。この辺りに、もう敵の目があるかもしれない」
三人はいっそう身を低くした。
進むほどにザインの神経は研ぎ澄まされていった。
風の向き。草の倒れ方。遠くの物音。前世の訓練で叩き込まれた感覚が、この体の若い五感と噛み合って、周囲の情報を拾い上げていく。
一度街道を行く王国軍の小隊と、すれ違いそうになった。
だがザインは手を上げて三人を伏せさせ、息を殺してやり過ごした。土に頬をつけ、相手の足音が遠ざかるまで、誰も動かない。
心臓が痛いほど鳴っていた。だが頭は冷えている。恐怖と冷静が同じ体の中で同居している。それが斥候という役目だった。
「……よく、あんな小隊に気づいたな」
通り過ぎてから、マルトが掠れた声で囁いた。
「気づかなければ、死んでた」
ザインは短く答えた。ただそれだけの事だった。だがその『ただ』が生死を分ける。
昼前、目指す補給拠点が見える丘に出た。
ザインは腹這いになり、草の間から拠点を見下ろした。
石造りの倉と、いくつかの天幕。荷馬車が並び、兵が荷を積み下ろししている。
ザインの目が勝手に数え始めた。
天幕の数。馬の数。見張りの配置。荷馬車の往来。それらから、拠点に詰める兵のおおよその数を割り出していく。
――守備は思ったより薄い。だが荷の動きが多い。
ザインは眉をひそめた。
荷馬車がひっきりなしに東へ向かっている。これはただの補給拠点ではない。今まさに前線へ大量の物資を送り出している最中だ。
兵糧。矢束。秣。それだけの量を送るという事は、近く、それを必要とする大軍がどこかにいるという事だ。
つまり王国軍は近く、どこかで大きな動きを起こそうとしている。
ザインは見たものを一つずつ、頭の中で帳面に書きつけるように整理していった。
拠点の兵、およそ百。だが守りは手薄で戦う気配は薄い。荷の出入りが激しいのは、ここが前線への中継地だからだ。蓄えを溜め込む場所ではなく、流す場所。
ならここを叩いても敵の大軍は止まらない。むしろ薮をつついて蛇を出すだけだ。本当に見るべきはこの拠点ではなく、ここを通って前線へ向かう、その先にいる大軍の方だった。
「ザイン」
隣でガロが声を殺して囁いた。
「東の丘。あれを見ろ」
ザインが視線を移すと、東の丘の稜線に土煙が上がっていた。
兵の列だった。それも相当な数の。旗が見える。王国の正規軍だ。この拠点を経由して、大軍が前線へ向かおうとしている。
ザインの背を冷たいものが伝った。
数をおおよそで見積もる。あの土煙の長さ。旗の数。少なく見ても数千。中隊どころか、帝国の一個軍とぶつかる規模だ。
これは中隊が手を出せる相手ではない。補給拠点を叩くどころか、近づけば、あの大軍に呑まれて消える。
「……見るものは、見た。戻るぞ」
ザインは小声で言った。
長居は危険だった。これだけの軍が動くなら周辺には必ず斥候が放たれている。
その時、近くの草むらでがさりと音がした。
三人は凍りついた。
草を分けて現れたのは、王国軍の斥候だった。二人。向こうもこちらに気づいていなかったらしい。鉢合わせだった。
一瞬の、沈黙。
誰もが息を止めた。互いの目が互いを捉える。相手の手がゆっくりと剣の柄に伸びる。
動けば、戦いになる。声を上げられれば、拠点に知られる。そうなれば、三人は生きて帰れない。中隊への報せも届かない。
ザインの頭が灼けるように回転した。
声を上げさせない。気絶させる。縛る。隠す。やるべき手順が稲妻のように一列に並ぶ。
二つの月は昼の空に隠れて見えない。
ザインは息を殺した。指先が、かすかに汗ばんでいる。相手も同じ顔をしていた。先に動いた方が、生き残る。それだけは分かっていた。
だが選択を誤れば、自分たちの戦はこの草むらで終わる。




