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第10話 斥候

 ガロの傷が癒えかけた頃、ザインはドレク軍曹に呼ばれた。


 軍曹の天幕は新兵のものとは違い、地図や書きつけが几帳面に並べられていた。地図には街道や川や丘が、細かな線で描き込まれている。


「ザイン。お前に、斥候を頼みたい」


 ドレクは地図を指して言った。


「次の標的は、西の街道沿いにある王国の補給拠点だ。だが、敵の正確な数も、守りの厚さも分からん。やみくもに突っ込めば、この前の隘路の二の舞だ」


 軍曹はザインを見据えた。


「お前の目が要る。少人数で近づき、敵の規模を読んでこい。戦わなくていい。見て、数えて、帰ってくる。それだけだ」


 ザインは地図に目を落とした。拠点までの距離。途中の地形。身を隠せる丘と、開けて危険な平地。頭の中で行きと帰りの道が自然と組み上がっていく。


「斥候は、何人で」


「三人。お前が選べ」


 それは新兵に与えられる役目としては、異例のことだった。


 斥候は隊の目だ。見誤れば、隊ごと死ぬ。普通なら経験を積んだ古参が担う。それを新兵のザインに任せるというのは、ドレクがそれだけザインの目を買っている証だった。


「……古参の方々は、面白く思わないのでは」


 ザインが言うと、ドレクは鼻を鳴らした。


「思わんだろうな。だが、俺は隊を生かしたい。誰が面白いかより、誰が役に立つかだ。それで恨まれるなら、恨まれてやる。それが上官の仕事だ」


 その言葉には迷いがなかった。


 ザインは少し考えてから答えた。


「ガロを連れて行きます。肩はもう動きます。それと、もう一人。足が速くて、口の堅い者を」


「マルトがいい」


 ドレクが言った。


「足は隊で一番速い。口も堅い。あいつなら、いざという時、報せだけでも持ち帰れる」


「分かりました」


「明日の夜明け前に出ろ。陽のあるうちに拠点を見て、夜のうちに戻れ。……無理はするな。お前が見てきた事が、中隊の命運を分ける。生きて帰る事が、一番の仕事だ」


 天幕を出ると、ガロが待っていた。


「斥候だってな」


 ガロは肩を回しながら言った。もう痛みはないらしい。


「俺を選んだのか。光栄だね。……飯はちゃんと持ってくぞ」


「お前は本当に、飯のことばかりだな」


 ザインは苦笑した。


 だがガロを選んだのには理由があった。背中を預けられる相手。それは斥候という危険な役目で、何より大事なものだった。


 その日のうちにザインは三人で打ち合わせをした。


 持っていく物は最小限。音の出る金具は布で巻く。水と、固い携行食を少し。鎧は軽いものに替え、動きやすさを優先する。


「合図を決めておこう」


 ザインは言った。


「手を上げたら止まれ。握ったら伏せろ。指で差した方を見ろ。声は、よほどの事がない限り出すな。敵地では、声が命取りになる」


 ガロもマルトも神妙に頷いた。


 前世で叩き込まれた、斥候の基本だった。この世界の言葉に置き換えながら、ザインは一つずつ、二人に伝えていく。


 知識は独り占めしていても意味がない。隊で共有して、初めて力になる。それも名取真が学んだ事の一つだった。


 その夜、ザインはなかなか寝つけなかった。


 斥候。少人数で敵地に近づく。見つかれば、まず生きては帰れない。


 恐怖はあった。だがそれ以上に奇妙な手応えのようなものもあった。


 槍を振るう以外の役目で、自分が必要とされている。ただの頭数ではなく、目として。


 前世で培ったものがこの世界で、初めて意味を持ち始めている。


 地形を読み、敵を測り、隊を生かす。それは槍で人を突くことよりも、ずっと自分に馴染む役目だった。


 眠れぬまま、ザインは天井を見上げた。


 前世でも任務の前夜はいつもこうだった。装備を確かめ、手順を反芻し、最悪の事態を想定する。眠れないのは臆病だからではない。生きて帰るために頭が勝手に働き続けるからだ。


 その癖がこの体でも変わらず残っている。ザインはそれを少しだけ頼もしく思った。


 明日の道のりをもう一度なぞる。出発の刻。身を隠せる丘。渡るべき開けた地。引き返す合図。すべてを思い描き、起こりうる不測の事態に、一つずつ備えていく。


 備えれば、恐怖は少し小さくなる。恐怖が小さくなれば、判断を誤りにくくなる。判断を誤らなければ、生きて帰れる。すべては繋がっている。


 天幕の隙間から、二つの月が見えた。


 明日、自分はまた一歩、ただの徴募兵ではない場所へ踏み出す。


 ザインは静かに目を閉じ、来るべき夜明けに備えた。

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