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第145話 林の目

 マルトが二日で戻った。泥にまみれ、息を切らしていた。だが目だけは爛々と光っていた。


「見つけた。敵は、北の樫の林に潜んでる。十騎ばかり。荷駄が通る道を、ずっと見張ってやがる」


 ザインは地図を広げ、マルトの指す場所を確かめた。


「率いているのは、どんな男だ」


「若い。だがただ者じゃねえ。見張りの立て方が教本通りじゃない。風上に物見を置いて、煙が立たねえように火も焚かねえ。糧道荒らしを長くやってきた手だ」


 ザインは目を細めた。荒らしを長く生き延びた者は、それだけで侮れなかった。糧道荒らしは正面の戦より読みがいる。いつ、どの荷が、どの道を通るか。それを外せば己が飢える。当てれば敵を飢えさせる。敵の遊撃の長は、その読み比べを生業にしてきた男だった。鴉のガディウスと同じ匂いがした。だがガディウスより若く飢えていた。


「名は分かるか」


「溜め場を探りに来た物見が吐いた。灰狼のドゥラン。ロウガ配下の、糧道荒らしの頭だそうだ」


 ザインはその名を胸に刻んだ。灰狼のドゥラン。ロウガの放ったもう一頭の狩人だった。宿敵は南で大攻勢を罠で破った後も、敗走した帝国の喉元へ細い刃を放ち続けていた。立ち直る前に枯らす。その徹底が若い狼の姿でザインの前に現れていた。


 ザインはしばし地図の上の樫の林を見つめた。ドゥランの見張りの立て方には、確かな読みがあった。風上に物見を置くのは、敵の物見が風下から近づくのを音と匂いで先に察するためだった。火を焚かぬのは、煙で居場所を悟られぬためだった。どれも教本には載らぬ、生き延びる中で体に刻んだ知恵だった。ザインはそういう知恵を持つ敵を、何より警戒した。型通りの将なら、型を外せば崩せる。だが体で覚えた知恵を持つ者は、型がないぶん崩しにくい。ドゥランは、まさにそういう敵だった。読みには読みで応じるしかない。ザインは敵の知恵の一つひとつを、己の頭の中で組み直した。狼がどこで足を止め、どこで耳を立て、どこで牙を剥くか。それを先に読み切った者だけが、この狩りを制する。狩る側と狩られる側は、林と道の間の、ほんの一手の読みで入れ替わる。ザインはその一手を、まだ探していた。


 カイルが地図を覗き込んだ。


「樫の林から、荷駄の道までは、半里ほど。敵は、荷が来れば林を出て襲い、また林へ戻る。引く道は、東の谷筋と、西の尾根道。二本です」


「その二本を、こちらが先に押さえる」


 ザインは地図に二つの印を置いた。


「ドゥランは速い。襲ったらすぐ引く。だが引く先はその二本きりだ。バルガが東の谷筋。マルトが西の尾根道。荷を焼いて引いた狼を、二本の道で待ち受ける。退き道を断たれた狼は、林と道の間で立ち往生する」


「で、お前は」


 ガロが問うた。ザインは荷駄の道の中ほどを指した。


「俺は囮の荷と共に動く。狼が食いつく餌だ。コルネリアの焔で敵の退きを覆う。お前は俺の傍で囮の御者を守れ」


「相変わらず、一番危ねえ所に立つな、お前は」


 ガロが、苦々しく笑った。だがその目は、覚悟を決めていた。古い相棒は、ザインがいつも自ら餌に立つのを知っていた。将が己の身を真っ先に的に置く。だからこそ、隊はこの男についていけた。


 ザインは隊を見回した。


「狼は手強い。だが、手強いからこそ、読みでしか勝てん。数では、向こうが上だ。地形と退き道で、その数を縛る。誰も死なせるな。糧を守り、狼を狩る。それだけだ」


 隊は無言で頷いた。ティムを失った隊は、もう一人も欠けるつもりはなかった。小さく、誰も死なせずに勝つ。それが灰の中から這い上がる、ただ一つの道だった。


 その夜、隊は静かに散った。バルガは東へ。マルトは西へ。ザインとガロとコルネリアは、囮の荷と共にいつもの道の支度に入った。荷車には石と砂。だが外から見れば糧を積んだ荷駄そのものだった。


 頭上で、二つの月が夜空に冷たく昇っていた。大小ふたつの蒼い光が、林に潜む狼と、それを狩ろうとする将を等しく照らしていた。狩る側と狩られる側。どちらがどちらか、まだ分からなかった。読み負けた方が、林と道の間で牙を失う。それだけが確かだった。


 ザインは荷車の轅に手をかけた。明日の夜明け、餌が道を行く。灰狼が、林の目を光らせて待っていた。

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