第136話 揺らぐ芯
審理の合間の夜、ザインは独り、形見の前に座した。
砦から携えてきた三つの品が卓に並んでいた。セドの木彫りの小鳥。ヨナの穂先の欠けた槍。ティムのひしゃげた兜の前立て。三人の若い兵がそこにいた。みなザインの読みとザインの掟の下で死んだ。
「俺は、何を積み上げてきたんだろうな」
ザインは低く呟いた。聞く者はいなかった。天幕の外で夜風が鳴っていた。灯火が形見の上で静かに揺れた。
一兵卒から始めた。読みを磨き、地形を覚え、人の心を動かして上がってきた。だが、その読みが正しくても、何万の味方は死んだ。罠だと進言しても、机の一筆がそれを覆した。そして今、戦野で読み切ったはずの己が、評定の机では敗将に仕立てられている。読みに何の意味があったのか。生かそうとした者すら、生かせなかった。芯が、揺らいでいた。
ザインはこれまで読みを己の杖としてきた。武勇もない。血筋もない。あるのは戦場の理を読む目だけだった。その一本の杖で、泥の最底辺から将まで上がってきた。だが今、その杖が手の中で軋んでいた。読み当てたからこそ、止められなかった悔いが深い。読み当てたからこそ、ティムの死を防げなかった己が許せない。読む力は誇りであると同時に呪いでもあった。見えてしまうから、救えなかった重さを一身に背負わねばならない。ザインは形見の前で、その重さに押し潰されそうになっていた。
天幕の布をくぐって、足音が二つ。バルガと肩を吊ったコルネリアだった。砦の生き残りはカイルが引き受け、まだ傷の癒えぬ彼女をバルガが護りつつザインを案じて出てきたのだ。
「死にそうな面してるな」
バルガが、卓の形見に目をやった。
「お前のせいじゃねえ。あの盤を組んだのはヴェイルだ。お前は止めようとした。止められなかったのはお前の咎じゃねえ」
「だが、ティムを死なせたのは俺の隊だ。俺の掟を、あいつは守って死んだ。隣の兵から離れるな、と。俺が教えた言葉があいつを留まらせた」
ザインの声が掠れた。バルガが太い腕を組んだ。
「その掟があったから、何百が生きた。ティムが守った仲間も生きてる。掟が悪いんじゃねえ。掟を守れる兵をお前が育てたんだ。それは誇っていい」
バルガの言葉は不器用だが芯を突いていた。この古参は、ザインが新兵の頃からその背を見てきた。生意気な新兵が古参の壁を越え、伍長になり、軍曹になり、将になるまでを、すぐ傍らで見届けてきた。だからこそ慰めではなく事実として言えた。掟を恨むな、と。ティムを死なせたのは掟ではない。ティムは、その掟を体で信じられるほどにザインの隊の一員だったのだ。バルガの太い声は、ザインの揺れる芯を地面の方へ静かに引き戻した。
コルネリアが傷のない手で、卓の小鳥にそっと触れた。
「この子たちは、あなたを恨んでなんかいない。セドも、ヨナも、ティムも。みんな、あなたの隣で死ぬことを選んだ。あなたが隣にいたい将だったから」
ザインは目を伏せた。胸の奥が熱く痛んだ。芯は、まだ揺れていた。だが二人の言葉が、その揺れを辛うじて支えていた。死なせた三人の若い兵を悼む涙を、ザインは初めて、人前で堪えきれなかった。
「読みが当たっても、人は死ぬ。それでも俺は、読み続けるしかないのか」
「ああ」
バルガが即答した。
「読みをやめたら、もっと死ぬ。お前が読むから、生きて帰れる奴がいる。ティムの分まで、読め。それがあいつへの手向けだ」
ティムの分まで読め。その一言が、ザインの胸に深く落ちた。読む力を呪うのは易しい。だが呪って手を止めれば、次に死ぬのは、まだ生きている隊の者たちだった。ガロも、バルガも、マルトも、コルネリアも。彼らを生かすためにザインは読み続けねばならなかった。死なせた三人の名を背負いながら、なお前を読む。それが生き残った将に課された務めだった。逃げることは、死んだ者への裏切りになる。ザインはようやくそう思えた。
頭上で、二つの月が天幕越しに淡く滲んでいた。大小ふたつの蒼い影が、揺れる芯を抱えた将と、それを支える二人を静かに見守っていた。
ザインは三つの形見をそっと布に包んだ。芯は折れていなかった。揺れても、折れてはいなかった。明日、評定の最後の審理がある。死なせた者の分まで読み続けるために、立たねばならなかった。




