第135話 後ろ盾の傷
翌朝、ガレウス将軍が本営に着いた。
砦の後始末を片づけ、夜を徹して馬を駆った。評定の間に入るなり、老将は太い声を放った。
「先鋒の崩れだと? 誰がそんな絵図を描いた」
ガレウスはザインの後ろ盾だった。叩き上げの軍団長として、前線の現実を誰より知る将だった。その将が、ザインを罪人に仕立てる筋書きに、真っ向から異を唱えた。
ザインは、評定の間に入ってきた老将の姿に胸の奥が熱くなるのを覚えた。徹夜で馬を駆ったのだろう。鎧は泥にまみれ、目には疲れが濃かった。それでも背筋は曲がっていなかった。この老将は、北の谷でも命令を破ってまでザインを救った。後方の作法より、前線の兵の命を選ぶ将だった。家名のない平民をただ結果だけで引き上げてきた。ガレウスにとって、ザインを庇うのは私情ではなかった。前線で命を懸けた者を机の上で罪人に仕立てさせまいとする、武人としての筋だった。
「ザインの隊は深追いを止めた。袋へ流れ込んだのは中央本隊だ。儂は退却の現場を見た。東の沢に退き口を開いたのは、ザインの隊に間違いない。あの退き口がなければ、生き残りは三割も出なかった」
評定の間がざわめいた。ガレウスの言葉は岩のように重かった。前線を束ねた軍団長の証言は、後方の将官の証言とは格が違った。ザインは、初めて息をついた。
だがヴェイルは、動じなかった。
「ガレウス将軍。貴官の言は、ザイン少尉への私情ではないか。貴官はかねてよりこの平民士官を引き立ててきた。北の戦では、命令を破ってまで救援に出た。命令違反の将が、その子飼いを庇う。それを、どこまで信じよと言うのか」
刃のような一言だった。ヴェイルは、ガレウスの後ろ盾そのものを攻めた。北の谷でガレウスが命令を破った件を持ち出し、その証言を「身贔屓」へ貶めた。ザインを庇えば庇うほど、ガレウス自身の咎が掘り返される。後ろ盾を攻めることで、ザインの盾を奪おうという手だった。
「私情ではない。事実だ」
ガレウスが声を荒げた。だがヴェイルは冷たく続けた。
「ならば問おう。此度の大攻勢、二軍団を失った責めは、誰が負う。総指揮の一翼を担った貴官にも、責はあろう。ザイン少尉を庇うことで、己の責めを軽くしようとしてはおらぬか」
ガレウスが詰まった。ヴェイルは、ザインを庇う者すべてを敗戦の共犯へ引きずり込もうとしていた。庇えば、庇う者も沈む。後ろ盾は、ザインを救おうとして自らの足元を崩されていた。
ザインはその構図を冷たく読み取った。ヴェイルの狙いは、はじめからザイン一人ではなかった。ザインを餌に、後ろ盾のガレウスごと沈めるつもりなのだ。北の谷の命令違反は、これまで黙認されてきた。だが大敗の後なら、その古傷を蒸し返せる。一人の平民士官の罪に、軍団長の命令違反を結びつける。そうすれば、ヴェイル派に楯突く老将を、まとめて軍内から追える。ザインはこの男の盤の広さに改めて寒気を覚えた。目の前の一手の裏に、いつも二手も三手も先の絵図が組まれている。
ザインは奥歯を噛んだ。ガレウスにこれ以上の傷を負わせるわけにはいかなかった。この老将は、北の谷で命令を破ってまで自分を救った。その恩人を、自分の罪状の道連れにはできなかった。いっそ己一人が罪を被れば、ガレウスは守れる。一瞬、その考えが頭をよぎった。だがそれもまた、ヴェイルの思う壺だった。ザインが折れれば、ティムの死も沢の四人も、暴走の咎として記録に残る。守るべきものが、二つあった。死んだ者の名誉と、生きた恩人の立場と。ザインはその両方を、同時に救う手を探さねばならなかった。
「将軍。私のために、これ以上は」
ザインは小さく言った。だがガレウスは引かなかった。
「黙っておれ。儂は事実を述べているだけだ」
頭上の高窓から、二つの月が昼の空に白く差していた。大小ふたつの蒼い影が、傷を負ってなお盾に立つ老将と、その盾に守られる将を静かに見下ろしていた。
後ろ盾は、揺らいでいた。盤を覆すには、ヴェイルの連なる者ではなく、戦野の真実を確かに見た第三の証人が要る。ザインはまだ、それが誰になるかを知らなかった。だが綻びは、必ずどこかにある。ザインは冷えた頭で、その一点を探し続けた。




