第132話 痛みの分
夜、ザインはコルネリアの天幕を訪れた。
肩の傷は深かった。だが命に別状はないと軍医は言った。コルネリアは寝台に身を起こし、巻かれた肩を庇いながら、ザインを迎えた。顔色はまだ悪い。それでも目はいつものように澄んでいた。
天幕の中は薬草と血の匂いがこもっていた。負け戦の砦には傷兵が溢れていた。コルネリアもその一人だった。攻撃魔法の使い手は数が少ない。本来なら手厚く扱われる身だった。だが大敗の混乱の中で、彼女もありふれた傷兵として荒い手当てを受けただけだった。ザインはその痩せた肩の包帯を見て、胸が痛んだ。この女がいなければ、退路はとうに崩れていた。何十もの味方が彼女の焔で生き延びた。その代価が、この傷だった。
「無茶をした」
ザインは寝台の傍らに腰を下ろした。
「あの時、退路を覆わなければ、もっと多くが死んでいた。あなたなら同じことをした」
「俺がやればいい。お前を矢面に立たせるためにいるんじゃない」
「私も同じことを思うわ。あなたを死なせるために、隣にいるんじゃない」
コルネリアが淡く笑った。ザインは言葉に詰まった。彼女の言う通りだった。互いに、互いを守るために前へ出る。だから互いに、互いを失いかける。北の谷でも、この沢でも。ザインは初めてその関係の重さを正面から見た。戦友という器には、もう収まらなかった。
二人が出会ったのは、ただの戦友としてだった。寡黙な攻撃魔法の使い手と、家名のない徴募上がりの将。背中を預け合ううちに、その関係はゆっくりと形を変えてきた。べたつく睦言を交わしたわけではない。ただ、互いがいなくなる戦場を、もう思い描けなくなっていた。それだけだった。だがその「それだけ」が、どれほど深く根を張っていたか。コルネリアが射抜かれた瞬間、ザインは思い知った。失えば、己の半分が欠ける。読みも、戦も、その先のすべてが色を失う。そういう相手に、いつの間にかなっていた。
「お前が射抜かれた時、頭が真っ白になった」
ザインは正直に言った。
「ティムを失ったばかりで、お前まで、と思ったら……俺は将でいられなかった。あの一瞬だけ、俺は隊も退路も忘れて、ただお前を抱えることしか考えられなかった」
コルネリアが、しばらく黙った。やがて傷のない方の手を、そっとザインの手に重ねた。その手は冷たく、だが確かにそこにあった。生きている温もりだった。ザインはその手の重みに、張り詰めていた何かが少し緩むのを感じた。
「それでいいの。痛いままで、いいのよ。あなたは前に、私にそう言ってくれたわ。誰かを失った痛みを、無理に乾かすな、と。あなた自身も、そうしていい」
その言葉は、かつてザインがヨナを失った時にコルネリアがくれた言葉だった。痛みを抱えたまま進めばいい。ザインは胸の奥が緩むのを感じた。ティムの死がいまだ胸に刺さったままだった。それでいい、と彼女は言った。乾かすな、と。
「すまん。お前にばかり、支えられている」
「お互いさまよ。あなたも何度も私を支えた。塔に囲われていた私を、戦場の外へ連れ出してくれた。だから今度は、私の番」
コルネリアはかつて魔法の才ゆえに幼くして軍へ囲われた身だった。塔の中で道具のように育てられ、生きる意味を戦場にしか見いだせずにいた。そんな彼女が、ザインと過ごすうちに「生き延びた先」を考えるようになった。支えられてきたのは、自分の方だ。彼女はそう言いたげだった。ザインは、その言葉の重みを噛みしめた。互いに欠けたものを埋め合ってきた。だからこそ、互いを失う恐れもまた、これほど深いのだった。
コルネリアの手がザインの手を握った。傷を負った身で、なお誰かを支えようとする手だった。ザインはその手を握り返した。ティムを失った痛みも、コルネリアを失いかけた恐れも、その手の温もりがわずかに和らげた。
頭上で、二つの月が天幕の布越しに淡く滲んでいた。大小ふたつの蒼い影が、傷を分け合う将と魔法使いを静かに見守っていた。
「明日、本営の使者が来る」
ザインは静かに言った。
「敗けの責めを、誰かに着せる気だ。おそらく、その的は俺だ」
コルネリアの手に力がこもった。戦野の傷が癒えぬうちに、後方の刃がもう一つの戦を運んできていた。




