第124話 動き出す大軍
攻勢の前夜、ザインは隊の皆を集めた。
ガロ、バルガ、マルト、ティム、カイル、そしてコルネリア。北の継ぎ目を共に凌いだ顔ぶれが、篝火を囲んでいた。ザインは隠さず告げた。明日、自分たちは先鋒として、ロウガの主力へ正面から殴り込む。その盤は無謀だ。敵の罠に踏み込む形になる。自分はそう読んでいる、と。
「分かってんなら、なんで止められねえんだ」
ガロが珍しく苛立った声を出した。
「止めた。だが通らなかった。ヴェイルは、俺の読みが正しいと知った上で、この盤を押し通した。軍の勝ちより、俺を潰すことを選んだんだ」
兵たちが押し黙った。後方の保身が前線の何千の命を危地へ追いやる。その理不尽が篝火の周りに重く沈んだ。
ザインはこの数月のことを思った。一兵卒として泥を這い、伍長となり軍曹となり、少尉まで上がってきた。戦場で読みを磨き、地形を覚え、人の心を動かしてきた。その一つひとつが確かな積み重ねだった。だが後方の机の一筆は、その積み重ねを軽々と踏みにじる。家名のない者がどれほど功を立てても、ヴェイルのような男にとってはただの目障りな駒に過ぎない。ザインはこの世界の理不尽を改めて噛みしめた。前線で命を懸けても後方の一言で死地へ送られる。それがこの軍の、この国の形だった。だが嘆いて立ち止まれば、それこそヴェイルの思う壺だった。理不尽の中でなお勝つ。生きて帰る。それだけが後方の机への、ザインの返答だった。
「だが、嘆いても盤は変わらん」
ザインは皆を見渡した。
「先鋒に立たされた。なら、先鋒なりの戦い方をする。ヴェイルの絵図のまま馬鹿正直に袋へ突っ込みはしない。敵が罠を伏せているなら、その罠を先に読む。踏み込む深さをこちらで決める。引き際を最初から組んでおく。北の谷で寡兵が大波を凌いだろう。今度はこちらが袋へ入る側だ。だが入り方さえ間違えなければ、袋の口はまだこちらが握れる」
バルガが、太い腕を組んで頷いた。
「お前の読みがあるなら、死地でも生きて帰れる。北でもそうだった。山でもそうだった。俺はお前の盤に乗る」
「私も」
カイルが続いた。クレスの一行に救われた査問を、共にくぐった副官だった。
「あなたが無謀と読んだ戦です。なら、無謀の中で最も死なない道をあなたは必ず見つける。私は、その先鋒の囮でも殿でも引き受ける」
兵たちの目に覚悟が宿った。ザインは胸の奥が熱くなるのを感じた。後方に裏切られ、死地へ送られても、この隊だけは崩れない。喪失をくぐり、二日の大波を凌ぎ、一つになった隊だった。
これがザインの本当の武器だった。家名でも後ろ盾でも武勇でもない。共に泥をくぐった者たちの揺るがぬ信だった。ヴェイルがどれほど死地を押しつけても、この絆だけは紙の一筆で奪えない。セドを失い、ヨナを失い、北の谷で六人を見送った。その喪失の一つひとつが生き残った者たちを固く結びつけていた。明日の戦は無謀だ。だが無謀な盤を生きて抜けるとすれば、それはこの隊をおいて他にない。ザインはそう信じていた。読みと絆。その二つさえあれば、どんな死地からでも道は見つかる。これまでも、そうしてきた。
コルネリアが、そっとザインの隣へ来た。胸元の木彫りの小鳥が、篝火に揺れていた。
「明日も、隣にいるわ。あなたの焔として」
「ああ。頼む。だが、無理はするな。お前が欠けたら、俺の読みも片腕を失う」
「それは、こっちの台詞よ」
コルネリアが、淡く笑った。
夜が更けた。陣の外で、南の地平が篝火に赤く滲んでいた。ロウガの集めた主力がそこに息を潜めている。万を超す敵が餌を撒いて待っている。明日、南方軍の大軍がその餌へ向けて動き出す。
頭上に、二つの月が冷たく冴えていた。大小ふたつの蒼い光が、無謀な盤へ歩み出す将とその隊を静かに照らしていた。前には宿敵ロウガの仕掛けた罠。後ろにはヴェイルの押しつけた死地。二つの闇がいよいよ一つの戦場で重なろうとしていた。
ザインは南の闇を見据えた。明日、自分が読んだ通りの罠が、口を開けて待っている。それでも、進むしかなかった。
大軍が、動き出す。ザインの将としての道は、これまでで最も深い、血の谷間へと続いていた。その底に何が待つのか。読み切ったはずの罠の、さらに奥にある闇を、ザインはまだ知らなかった。




