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第123話 無謀な盤

 大攻勢の評定は、数日後に開かれた。


 長卓に南方戦線の大図が広げられた。ヴェイルが描いた攻勢の絵図は、壮大だった。南方軍の三軍団を束ね、ロウガの集結した主力へ正面から殴り込む。一気に押し潰し、南の戦線を片づける。図の上では、味方の矢印が敵陣を貫いていた。


 だがザインは、図を一目見て総身が冷えた。


 絵図は力任せだった。ロウガが主力を一点に集めている。それを正面から叩く。だがロウガがなぜ主力を一点に集めたのか。その問いが絵図には抜けていた。


 ザインはこれまでの戦を思い返した。ロウガという将は、一度も力で押し勝とうとしなかった。カランドでも、北辺でも、常に敵の薄い一点を読み、最小の力で最大の崩れを生んだ。その男が、わざわざ主力を一所に固めて見せている。理由はただ一つ。叩かせるためだ。集めた主力は餌で、本物の牙は別の場所に伏せてある。北の継ぎ目で、ザイン自身がやった戦の、逆の立場だった。寡兵で大波を絞り、地形で逆に包んだ。あれと同じことを、今度はロウガが大軍に対して仕掛けてくる。正面から殴り込めば、殴り込んだ拳が、そのまま敵の手の中に握り込まれる。ザインの読みは、その罠の形を、はっきりと描き出していた。


「将軍。一つ、具申いたします」


 ザインは口を開いた。ヴェイルが冷たく目を向ける。


「ロウガが主力を一点に集めたのは、こちらに『そこを叩け』と誘っているからです。あの将は決して数の不利な戦をしません。主力を見せて誘い、こちらが正面から殴り込んだその時、伏せた別働隊で側面と背後を取る。これは罠です。正面から押せば押した分だけ深く袋へ入る」


 審議の間がざわめいた。ザインの読みは谷で示した通り的を射ていた。ガレウス将軍が重々しく頷いた。


「儂もザインと同じ懸念を持つ。ロウガの集結は餌の匂いがする。正面強襲は危うい。まずは斥候で敵の伏せを洗い、慎重に間合いを詰めるべきだ」


 だがヴェイルは、薄く笑った。


「臆病な物言いだな、両名とも。我が軍は数でロウガを上回る。正面から押し潰せば小細工など意味をなさん。伏兵があろうと数で踏み潰せばよい。慎重に間合いを詰めている間に敵へ逃げられてはどうする。好機は、今このときだ」


「数の差は、地形と伏兵で覆ります。それを、北の継ぎ目で将軍はご覧になったはずだ。寡兵が、万を凌いだ。同じことが、逆の立場で起きる」


 ザインの言葉に、ヴェイルの目が鋭くなった。


「ザイン少尉。貴官は、私の作戦が無謀だと申すのか」


 間に、刃のような沈黙が落ちた。ここで是と言えば再び「上の命に逆らう将」の烙印。否と言えば無謀な盤に己の名を縛られる。ヴェイルはまた同じ罠を仕掛けていた。だがザインは退かなかった。


「無謀です。この絵図のまま正面から押せば、軍は袋へ入り、大きな損を出します。私は、見たままを申し上げているだけです」


 審議の間が凍りついた。一少尉が、後方最大派閥の頭の作戦を面と向かって無謀と断じた。ヴェイルの頬がわずかに引きつった。だがすぐに冷たい笑みが戻った。


「記録した。ザイン少尉がこの作戦に反対したことをな。よかろう。だが作戦は変えぬ。攻勢は決行する。そして貴官の隊には――最も槍の入る先鋒を任せよう」


 ザインの背に冷たいものが走った。無謀と断じた盤の、最も危うい先鋒。反対した者を、その反対した死地へ送り込む。ヴェイルの報復はどこまでも執拗だった。


 ザインは唇を噛んだ。この男の底の知れなさに、改めて寒気を覚えた。ヴェイルはザインの読みが正しいことをおそらく分かっている。それでも作戦を変えない。むしろ正しく読んだ将を、その正しい死地へ送り込む。軍の勝ち負けよりザイン一人を潰すことを優先している。何千もの兵が袋へ入り、大きな損を出すと知りながら、それでも己の面子と派閥の力を選ぶ。前線の宿敵は敵ながら兵を無駄に死なせなかった。だが味方のヴェイルは保身のために味方の兵すら平気で捨てる。どちらが本当の敵か。ザインにはもう分からなくなりかけていた。だが嘆いている暇はなかった。盤は決まった。なら、その無謀な盤の中で一人でも多くを生かす手を探すしかない。それが先鋒に立たされた将の、唯一の戦い方だった。


 頭上の高窓から、昼の二つの月が白く差し込んでいた。大小ふたつの蒼い影が、無謀な盤を描く男と、その先鋒に置かれた将を、冷たく見下ろしていた。


 止められなかった。大攻勢は、決まった。ザインは、自らが無謀と読んだ戦の、最も深い場所へ立たされようとしていた。

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