第121話 覆る功
数日後、本営から呼び出しが来た。
ザインとガレウス将軍、両名への召喚だった。継ぎ目を守り抜いた功への褒賞か。だがザインは、そう甘くは考えなかった。ヴェイルが動いている。見殺しが失敗に終わった今、あの男は次の手を打ってくる。
本営の審議の間で、ヴェイルは待っていた。痩せた長身に、冷たい笑みを湛えている。長卓には、すでに筋書きが用意されていた。
「ザイン少尉。ガレウス将軍。此度の戦、ご苦労であった。だが、軍として看過できぬ問題がある」
ヴェイルの声は穏やかだった。だが、その穏やかさが刃だった。
「継ぎ目は、危うく裂けるところであった。本営の調べでは、貴官の隊は二日のうちに幾度も後退し、防衛線は崩壊寸前であったという。読みに長けると評判の少尉が、なぜこれほど苦戦したのか。配置の不手際、あるいは指揮の拙さ。そう取られても仕方あるまい」
ザインは内心で舌を巻いた。守り抜いた事実を苦戦の証拠にすり替えている。寡兵で大波を凌いだことを無能の証に仕立てる話術だった。
後方の戦の恐ろしさを、ザインは改めて思い知った。前線では勝てば勝ち、負ければ負けだった。事実が結果を決めた。だが後方では事実すらも言葉でねじ曲げられる。同じ一つの戦が語り手の口次第で武勲にも失態にも変わる。寡兵で二日凌いだ事実は変わらない。だがそれを「崩壊寸前を辛うじて持ちこたえた無様」と語れば、聞く者の頭には別の絵が描かれる。ヴェイルはその絵の描き換えに長けていた。槍を一度も握らずに人を葬る術だった。ザインに足りないのは、まさにこの戦の経験だった。だが足りぬなりにザインには一つの武器があった。事実そのものだ。言葉でいくら塗り替えても谷で流れた血は本物だった。それを見た者が一人だけこの場にいた。
「さらに重大なのは、ガレウス将軍の動きだ」
ヴェイルの矛先が、老将へ向いた。
「将軍は、定められた布陣を独断で離れ、左翼の一部を継ぎ目へ動かした。明白な命令違反である。もし、その隙を敵に突かれていれば、左翼全体が崩れていた。将軍は、一少尉を救うために、軍全体を危険に晒したのだ」
審議の間が静まり返った。筋書きは巧妙だった。ザインの功を苦戦に変え、ガレウスの救援を命令違反に変える。守り抜いた二人をまとめて罪人に仕立てる。これがヴェイルの反撃だった。
ガレウスが、太い声で口を開いた。
「ヴェイル将軍。儂が布陣を離れたのは事実だ。命令違反と言われれば、その通り。だが、なぜ離れねばならなかったか。継ぎ目に、約束の援軍が来なかったからだ。中央が出すはずの援軍が、ついぞ動かなかった。それはなぜか。将軍、お答え願おう」
ヴェイルの目が、わずかに細められた。
「援軍は、戦況を見て判断するものだ。中央もまた、敵と対峙していた。動かす余裕がなかった。それだけのこと」
「ほう。中央は、ロウガの大波をどれほど受けた。継ぎ目が二日、万の軍勢を凌いだ間に、中央は一度でも本気の攻めを受けたか」
ガレウスの問いは、的を射ていた。中央は、ほとんど戦っていなかった。ロウガは継ぎ目を突いたのだ。中央が無傷であったことこそ、援軍を出せたはずの証だった。ヴェイルの頬が、かすかに強張った。
だがヴェイルは動じなかった。
「言葉遊びはよそう。事実は一つ。継ぎ目は崩壊寸前であり、将軍は命令を破った。この二つだ。証人もいる。監軍のクレスが、つぶさに記録している。クレス、報告を述べよ」
ヴェイルは、自らの送り込んだ目付を呼んだ。ザインを縛るための文官。その報告で、すべてを決する。ヴェイルは、勝利を確信した笑みを浮かべていた。
クレスが、長卓の端から進み出た。手帳を握りしめている。その顔は青ざめ、だが目は据わっていた。
ザインはクレスを見た。この文官の一行ですべてが決まる。ヴェイルの筋書きをなぞれば、ザインとガレウスは罪人になる。谷で見た真実を述べれば、ヴェイルの見殺しが露わになる。前者を選べばクレスは将軍の覚えを保ち、出世の道を歩める。後者を選べば後ろ盾を失い、家を継げぬ三男はすべてを失う。一人の若い文官が、己の生涯を賭けた選択の前に立っていた。ザインは口を挟まなかった。これはクレス自身の戦だった。谷で人になった文官が、その心の通りに振る舞えるかどうか。横から急かせばかえってその覚悟を鈍らせる。ザインはただ静かにその背を見守った。
頭上の高窓から、昼の二つの月が白く覗いていた。大小ふたつの蒼い影が、運命の分かれ目に立つ一人の文官を、静かに見下ろしていた。
クレスが、どちらの真実を読み上げるのか。すべては、この男の一行に懸かっていた。




