第113話 継ぎ目の地
前線へ戻ったザインを、隊が出迎えた。
ガロが真っ先に駆け寄った。
「おう、生きて帰ったか。後方の蛇に呑まれたかと思ったぜ。で、どんな美味い役をもらってきた?」
「美味くはない。継ぎ目を守れと。中央と左翼の縫い目だ」
「継ぎ目……」
ガロの軽口が、途中で止まった。古参のバルガが眉根を寄せ、マルトが低く唸った。継ぎ目がどういう場所か、戦を知る者にはすぐ分かる。横一線の最も薄い一点。ロウガが必ず牙を立てる死地。
「ヴェイルの野郎、本気でお前を殺しに来てやがる」
バルガの声は低く重かった。ザインは頷いた。
「後方では勝てなかった。あの男は俺を潰すと決めている。だが盤は前線にある。後方で組めぬ勝ちを、ここで組む。バルガ、マルト。明日から継ぎ目の地形を端から洗う。一寸残らずだ」
「待てよ」
ガロが珍しく真顔で割って入った。
「継ぎ目を守れってのは、つまり俺たちだけでロウガの大波を食い止めろってことだろ。百に満たねえ隊で、何千って軍勢を。そりゃいくらお前でも――」
「無茶だ。分かっている」
ザインは静かに遮った。だがその目には、すでに別の光があった。
「だが無茶を無茶のまま受けるつもりはない。継ぎ目を真っ向から守ろうとすれば、一刻で潰される。だから真っ向からは守らない。地形を使う。北の山岳で覚えた手だ。地形を読めば、寡兵でも大波の力を逃がせる。要は、敵をどこで受けるかだ」
バルガの厳しい顔が、わずかに緩んだ。古参の右腕は、ザインのこの目を知っていた。死地を前にして、なお盤を組もうとする目。これまで幾度も窮地を覆してきた、あの目だった。
「お前のその顔を見ると、不思議と勝てる気がしてくるな」
「勝つさ。ヴェイルの誤算をな」
翌朝から、ザインは継ぎ目の野を歩き回った。なだらかな丘がいくつか連なり、その間を浅い谷が縫っている。一見、何の変哲もない緩やかな地形だった。だがザインの目は、その平凡さの中に骨組みを探した。どこが高く、どこが低いか。どこに兵を伏せられ、どこから敵が見えるか。馬が駆けられる地と、足を取られる地。地形は嘘をつかない。後方の図には描かれぬ細部こそが、寡兵で大波を凌ぐ手札になる。
「ここだ」
ザインは一本の浅い谷で足を止めた。緩い丘に挟まれた、細長い窪み。北から押し寄せる軍勢は、必ずこの谷を通る。両の丘がわずかに敵の足を狭める。北の山岳で覚えた地形の理が、ここにも生きていた。
「この谷へ敵を誘い込めば、大波も一筋に絞れる。横へ広がる力を縦へ細める。寡兵でも細い流れなら受け止められる」
ザインは谷を端から端まで歩いた。足裏で土の硬さを確かめ、丘の傾きを目で測る。ぬかるむ所、石の多い所、馬が脚を取られる所。それらを一つひとつ頭に刻んだ。地形は将に物を言う。ただし、耳を澄ます者にしか語らない。ザインは半日、谷に這うようにしてその声を聞いた。どこで敵の勢いが鈍り、どこで隊列が乱れるか。大波がこの谷を流れる様を、頭の中で幾度も走らせた。
マルトが図に印をつけながら頷いた。
「なるほど。だが少尉、この谷を使うには、敵を北の正面から真っ直ぐ引き込む必要がありやす。ロウガがそう都合よく谷へ入ってくれやすかね」
「入らせる。継ぎ目が薄いと見せれば、ロウガは迷わずここを突く。突けば、自然とこの谷へ流れ込む。あいつの『薄い所を突く』癖を、逆に餌として使う」
ザインは谷の両肩の丘を見上げた。あの丘の上に伏兵を置き、谷に流れ込んだ敵を上から削る。継ぎ目の死地を、ロウガの墓場に変える。盤は、組める。
その日の夕、マルトの斥候が北から駆け戻った。息を切らし、馬から飛び降りる。
「少尉。北の街道に、土煙が立ちやした。一つや二つじゃねえ。地平の端まで、ずっとだ。ロウガの主力が……動き始めた」
ザインは北の地平を見据えた。日が沈み、二つの月が昇り始めていた。大小ふたつの蒼い光の下、北の闇に砂塵の帯が霞んでいる。あれがロウガの大波だった。砂塵の幅から、ザインはおおよその兵数を測った。万を超える。継ぎ目を守る隊の、優に百倍だった。それでもザインの背筋は伸びていた。数の差は、最初から織り込み済みだった。問われるのは、その差をどう地形で埋めるかだけだった。
「来たか」
ザインの声は静かだった。前には宿敵の大軍、後ろにはヴェイルの罠。二つの闇が、いよいよ動き出した。継ぎ目の地で、ザインの本当の戦が始まろうとしていた。




