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第104話 将の咎

 その夜、陣に火は焚かれなかった。


 囲みを破って戻った兵は半数が傷を負っていた。死んだ者もヨナだけではなかった。殿に残った古参のうち三人が南の野から戻らなかった。バルガは肩を裂かれ、片腕がろくに上がらない。生き延びた者もただ生きているだけだった。誰の口も重く、薄い粥をすする音だけが暗い陣に低く流れていた。痩せた腹に流し込む粥の温もりだけが、辛うじて兵を生者の側に繋いでいた。


 ザインは天幕の隅で、一人座っていた。


 目の前に、地図があった。今朝までこの図の上でザインは駒を並べ、読みを組み立てた。その読みは半ば当たった。本隊は生き延びた。だが半ば外れた。ガディウスの輪はザインの読みの上を行った。その差を四人の命が埋めた。読みの誤差が、そのまま兵の死に変わる。将の戦とは、そういうものだった。


 懐から、木彫りの小鳥を取り出した。セドの形見だった。北の戦線で散ったもう一人の若い兵。あの時もザインは守れなかった。将になれば、もっと多くを守れると思った。だが将になって守れぬ命の数は増えた。一兵卒の槍が届く範囲は狭い。だがその範囲だけは確かに守れた。将の判断が及ぶ範囲は広い。だがその広さの分だけ、こぼれ落ちる命も増える。


 ザインは陣を歩いた。傷ついた兵の間を一人ずつ見て回った。倒れていてはならない。将が膝を折れば、生き延びた兵までもが折れる。死んだ者の咎を背負うのと同じだけ、生き残った者を立て直すのもまた将の務めだった。ザインは傷の手当てを差配し、薄い粥を温め直させ、震える兵の肩に手を置いて回った。言葉は少なかった。だが将がそばに立つこと自体が暗い陣にわずかな芯を与えた。


 バルガが裂けた肩を縛ったまま壁にもたれていた。


「自分を責めてるな。顔に出てる」


「責めずに、いられるか」


「いられんだろうな。だが覚えとけ。責めるなら、明日も生きてる兵のために責めろ。死んだ者に詫びるより、生きてる者を生かす。それが、しんがりに残った連中への、一番の手向けだ」


 古参の言葉は長い戦場の底から出ていた。ザインは黙って頷いた。喉の奥が熱く詰まっていた。


「俺が、殺したのか」


 ザインは低く呟いた。掟を教えたのは自分だ。殿を残す手を選んだのも自分だ。ヨナを止めきれなかったのも自分だ。すべての糸の先に、自分の手があった。読み勝ったと思った戦で、若い兵を一人、南の野に置き去りにした。


 天幕の布が静かにめくれた。コルネリアだった。何も言わずザインの隣に腰を下ろした。しばらく、二人とも黙っていた。やがてコルネリアがぽつりと口を開いた。


「あなたのせいだと、思ってる」


「……ああ」


「違う。あの子は、自分で選んだ。あなたの掟を、自分の足で守った。あなたが殺したんじゃない。あの子が、あの子の意思で、隣の兵を離さなかった」


 ザインは答えなかった。慰めだと分かっていた。だが慰めでは、南の野の事実は変わらない。


「コルネリア。もし、俺が殿を残さなければ、全員が死んだ。残したから、本隊は生きた。分かっている。理屈では、分かっている。だが、その理屈で割り切れたら、俺はもう将ではなく、ただの算盤になる」


 コルネリアは、ザインの手にそっと自分の手を重ねた。


「割り切らなくていい。痛いままで、いい。痛いと思える将のほうが、私は信じられる。算盤の下す命令には、誰も命を預けたくない」


 その言葉が、ザインの強張った胸をわずかに緩めた。痛みを抱えたまま、それでも次の戦を読む。割り切らず、麻痺せず、痛みを背負って立つ。それが、ヨナのような兵に応えるただ一つの道なのかもしれなかった。


 頭上に、二つの月が冷たく澄んでいた。大小ふたつの蒼い光が、咎を背負った将と、その隣で手を重ねる女を、静かに照らしている。南の野にも、同じ月がかかっているはずだった。


 ザインは小鳥を握りしめた。セドの分もヨナの分も、まだ約束は果たせていない。果たすためには立たねばならない。倒れている猶予は、将には許されなかった。痛みは消えない。だが痛みを抱えたまま、ザインは次の戦を読み始めねばならなかった。ヨナを死なせた鴉の頭は、まだ南の野で生きている。その男を討たぬかぎり、この咎は永遠に晴れない。ザインの目に、悲しみとは別の、冷えた光が戻り始めていた。

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