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悠久ラビリンス-とある現代社会のケーススタディ-  作者: 植葉厚史
三章

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太秦の痕跡

その後も宏の京都応援は続いた。


まだ準備もできていないオフィスに何故か大学三回生のインターン生が送り込まれてきて、宏ら四人のアシスタントをすることになった。


宏ら四人は日本人形そっくりのそのインターン生に手塚治虫にちなんで「奇子(あやこ)」というあだ名をつけ、密かに"顔面採用 Type A"というコードネームを振った。


一人増えたとはいえ、やる仕事はさほど多くなく、基本的には工事業者探しと営業エリアのピックアップだった。


その他、広告を出すのに良さそうな媒体や、ウェブサイトも色々探して、リスティング広告のキーワード探しなども行った。


動画や写真などは今の会社のSNSのアカウントを案内すればそれで良さそうだった。


しかし、それも毎度午前中くらいにキリがつくので午後からは外回りといった感じになった。


それもたいていはすぐに奈良方面の工事を頼めそうな業者を挨拶名目で訪ねて雑談して、その後は周辺の寺社仏閣を巡ってオフィスに祀る御札を集めるだけだった。


連日そんな調子だったので二十枚以上御札が溜まっていた。


同僚の一人が


「すごい集めたな、全部経費か?」


と聞くので宏は


「全部経費でいいってさ。俺達は遊んでるんじゃない、これは会社の方針だ」


と言うと


同僚は


「そうか、ウチの会社らしいな」


と言った


宏は


「まぁ、そういうことだ。

参拝の写真も沢山撮ってるし、SNSの更新にも使ってるだろう」


「今日はどこに行くんだ?」


「太秦に行こうか」


「映画村か?」


「映画村はさすがに仕事中はムリだな、お前、映画村に行く何かいい理由は考えられるか?」


「うーん、難しいな」


と話をしていると奇子が


「近くに有名な寺がある」


と言うので広隆寺に行く事にした。


太秦の地名の由来は雄略天皇の時代、秦酒公(はたのさけきみ)が朝廷に絹織物を献上したさい、その量が余りに多く、宮廷内にうず高く積み上がったので「禹豆満佐(うずまさ)」という姓を賜ったという説と


うず「大いなる」「盛んな」

まさ「秦氏」

これらを組み合わせて「太秦」という漢字が当てられるようになったという説がある。


いずれにせよ秦氏の持つ絹織物の技術と朝廷を支えた財力に地名の由来がある。


広隆寺はその太秦に秦河勝が聖徳太子から授けられた国宝一号、弥勒菩薩(みろくぼさつ)半跏思惟像(はんかしゆいぞう)を祀る為に造られたとされる寺だ。


宏ら一行は門をくぐり中に入ると、まっすぐに石畳の道を進んだ。


十月の一週過ぎの境内は楓が色づき始めて赤、黄、緑の葉が重なりあい、付近はメジロが飛んでいた。


講堂を横目に見ながらしばらく進むと聖徳太子を祀った本堂があり、そこを右に曲がり、進むと「霊宝殿」がある、この建物はコンクリートだった。


一同受付を済ませて中に入り奥に進むと思索的な雰囲気の弥勒菩薩半跏思惟像があり、壁際に沿っては多くの仏像や勇壮な多くの彫刻が並べられていた。


一同、特に何か話す事もなく一通りゆっくり巡り、外に出ると


同僚の一人が


「国宝数十点もあるんだね」


と言った。


宏は「数十点か、なかなか凄いな」


と返して境内を散策していると同僚の一人が太子堂の縁側に五芒星の描かれた扁額(へんがく)を見つけた。


「なんだあれ?」


言われて宏も確認した。


「陰陽道とかそんなんじゃないのか?」


というと、別の同僚が


「あれは丁字紋という、聖徳太子にちなんだ紋だ」と言った。


宏は


「聖徳太子絡みなら元ネタはやっぱ秦氏絡みの景教由来じゃないのか?」


そういうと境内の石畳を引き返した。


宏がふと見ると


門の近くの掲示板には「十善戒」という十の戒めが書かれていた。


同僚の一人は


「十戒じゃなくて?」


と言った。


宏は


「なんかよくわからない、歴史が古いから色々な渡来の痕跡が残ってるのかもしれない」


と言うと同僚は


「旧約聖書にしろ、新約聖書にしろ文献が入って来てたらそれをモチーフにするかもしれないしな」


と言った。


宏は


「聖徳太子にしても、馬小屋で産まれたとか、死後、富士山から天に昇って行った。とかキリストと共通したエピソードがあるよな」


というと続けて


「秦氏が持ってた景教の知識が色々反映してるのかもしれないな」


と言った。


同僚は「全く不思議だ」と答え一同、寺を後にした。


門を出ると奇子は付近に詳しく

「まだ、ありますよ」と左を指した。


一同ついていくと大酒神社に辿り着いた。


鬱蒼とした木々が鳥居を囲む、さほど大きくないその神社は秦氏の遠い祖先を祀っていて、


祭神は秦の始皇帝とその子孫とされる弓月君(ゆずきのきみ)、そして「太秦」の地名の由来にも深く関わる秦酒公を祀っている。


何故、始皇帝を祀っているかというと本当に繋がりがあるかは不明だが、秦氏が始皇帝の末裔を称していたかららしい。


また、境内の石柱には「蚕養機織(さんようはたおり)管絃楽(かんげんがく)舞之祖神(ぶのそしん)」と刻まれていて、秦氏が伝えたとされる「養蚕・機織・管絃・楽舞」の祖神としても崇められている。


一同手水を使いながら


宏はふと


「ユダヤ教でも、神殿に祈る前に手を清めるらしいぞ」


というと同僚の一人は大きく目を開いて妙な顔で


「そうなのか?」と返した。


石畳を進み、松の木を横目に参拝し、同僚と奇子の参拝の様子をSNSの更新用に宏は何枚か撮影した。


「どうだ?」と同僚が聞くので宏は


「バッチリだ」と返事した。


大酒神社はかつて広隆寺の中にあり、明治時代の神仏分離で現在の場所に変わった。


そこにはかつて牛祭りという、京都三大奇祭に挙げられる奇妙な祭りがあった。


白いお面を被った摩多羅神(まだらじん)という神が牛に乗り、赤と緑の鬼(四天王)を従えて練り歩き、最後に広隆寺の境内で、おどろおどろしい「祭文」を読み上げるという、非常に独特な雰囲気の神事だったようだ。


秦河勝が広隆寺を建立した際、守護神として摩多羅神を祀ったのが始まりとされている。


牛を主役にするという仏教には異質のスタイルや摩多羅神という、出自が謎に包まれた異形の神が出てくることから中央アジアからペルシャにかけて信仰されていたミトラ教が仏教の中に入って日本に伝わったのではないかと言われている。


宏と同僚は何枚か辺りの写真をとりながら神社を後にした。


* * *


秦氏が日本に伝えた渡来文化はその後ほぼ日本文化の骨格として定着していき、特に意識されることもなくなっていった。


秦河勝以降の秦氏は、藤原氏のような「政治の主役」を目指すのではなく、経済、宗教、技術、芸術という、国家が存続するために不可欠なシステムの中に溶け込んでいった。


集団は徐々に日本各所、各分野に広がり、名前も変化していき、完全に日本社会と同化した。


* * *


それから一週間ほどして、奇子は会社に来なくなった。連絡してもまったく繋がらなくなった。


同僚の一人が宏に


「完全に飛んだなぁ...

お前が変なあだ名をつけるからマンガ読んでビックリしたんじゃないか?


手塚治虫ってこんなもん描いてて、自分はこんな目で見られてるのかって」


というので


「そうか?名作だぞ、お前も奇子って呼んでたじゃないか?」


「それはそうだけれども...」


「うーん、セクハラだったかなぁ?

あれぐらいの事で?」


「それからあのマンガな、担当者の奥さんも名前の漢字が違うだけで読み方が同じで、担当者がしきりにタイトルを変えるように手塚治虫に頼んでたらしいぞ」


「お涼って呼んだらよかったか?」


「いや、もっとダメだろ」


「そうか?難しいな」


「まぁ、考え過ぎだ。何か他の理由だろう?」


宏はそれから三日ほど後に同僚らと京都タワーの展望台に上がった。


眼下を一望していると突然、宏の頭に一連の顛末のイメージがスムーズに浮かび上がった。


実際、奇子は領域侵入のサインとして現れただけで消えるべくして消えた。

特に「奇子」を読んだわけではなかったのだ。

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