vsアマリリス
サン・トメで船を用意し、これから値上がりするであろう竹材の特定商品申請を済ませた一行は、昭人の借金を返済する為にグレイティアに移動していた。
サン・トメとグレイティア間は半日と近いことと、物価の高いサントメから輸出する依頼がなかったために空荷の出港となった。
「グレイティア着いたら何載せる? これからスグの景気が上がって来るだろうし、あっちで売れる物がいいよね」
「前と同じ傷薬と、ラムとテキーラ、保存食に水石。この辺りは悪くなりにくいしあって困る物じゃないから余分に積んでいいんじゃないか。あぁ葉巻は良質なのを木箱一箱分買っておいてくれ。それより買い付け一人に押し付けちゃって悪いな」
「それはかまわないけど、着いて行かなくて大丈夫?」
「借金返しに行くだけだから。それに色んな意味でパンチの強い相手だからササッと行ってパッと終わらせてくるさ」
「じゃあ後で」
武装状態で店を訪れる訳にもいかずに真新しい鎧と剣をソフィアに預けた昭人は、素手でクマと対峙するような心許ない気持ちで毛足の長い絨毯の上を歩いていた。その手にあるのは、借入金の残りと月々かかる利子を銅貨一枚の余分も無く入れられた袋。一秒でも早く逃げ出そうという決意がそこに見える。
「そう、いきなり全額返済なんて頑張ったのね」
執務室の最奥に据えられたイスに座ったアマリリスは、机に置かれた袋から硬貨を一枚ずつ数え終えると笑みを浮かべて昭人に語りかけた。部屋の脇には前回昭人が訪れた時と同じ奴隷が――新たな痣をつけてはいるが――二名直立している。
「はい、これもみんな何一つ持たない私にお金を融通してくれたアマリリス様のおかげです」
ちょっとまってね。と言うと当人の胸に手を入れだしたので警戒する昭人だが、アマリリスは胸の間からネックレスに取り付けられた鍵を出し、椅子から立ち上がると背後の壁に埋め込まれた金庫を開けて一枚の証書を取り出す。
(これでようやく終った)
「これが借用書……あら大変」
まったく大変そうじゃない口調でアマリリスが借用書の一点を指差す。
「確かに俺が書いたもですね。どうかしたんですか?」
「ここよここ。返済期限が過ぎちゃってるのよ。」
そこには書かれた期限は確かに過ぎていた。しかも昭人が借金をした翌日が期限となっている。
「月一回の利子の返済は聞きましたけど、どれだけ時間掛かってもいいって……」
「それに返済期日を過ぎたら身柄の所有権を私に譲るって書いてあるわ。あらあら~これって奴隷誓約書よね」
「そんなの知らない!」
突如出現した危機に脳が焼け付く錯覚を覚える昭人。
「サインはお前の直筆、知らないじゃすまねぇんだよ、あまちゃんが!」
昭人が、嵌められた事にようやく気付き呆然としていると頬に鋭い衝撃が走り、体毎吹き飛ばされる。受け身を取ることも出来ずに二度、三度と絨毯の上を転がり壁に激突する事でようやく止まる。殴られた口元から血が流れている。
騙された怒り、唐突に殴られた痛み、体中が熱を帯びておりどこを痛めたのかもわからなくなっていた。
一方、獲物が上手くとれたとほくそ笑むアマリリスは昭人の口元から流れる血に昭人の指を乱暴に擦り付けると、もう一枚の紙に拇印を押す。紙は血に反応してうっすらと光り、間を置いた後おさまる。
「担保も持たない、社会の常識もわかってない奴に誰が大切なお金を貸すもんか。恨むんなら文字すら満足に読めなかったその馬鹿さ加減を恨むんだね」
恍惚とした表情で何度も何度も何度も、うずくまる昭人を蹴り続けるアマリリス。抵抗しようと延ばされた腕にも構う事無く危害を与える為だけに蹴る。昭人の意識が途絶え、亀の様に丸まる事すら出来ずビクッビクッと痙攣を始めた頃にようやく冷静になったのか、彼に金属性の黒い首輪をアマリリスははめる。
「ふぅっふぅっ 危ない殺しちまう所だった。いいか、【逆らうな。逃げるな。話すな。】
お前達。間抜け面してないで、牢屋に放り込んでおきな。夜に改めて可愛がってあげるんだから、死なすんじゃないよ」
「「はい。アマリリス様」」
昭人が蹴られている間も微動だにせず待機していた奴隷二人が昭人を抱えて退室すると、女主人は今夜の楽しみに向け、仕事を再開した。
昭人が全身の痛みで目を覚ました時、最初に見えたのは目の前の石壁。周囲に明かりは無く空気取りの穴から洩れる微かな光のみ。ぼんやりと彼の脳裏に『牢屋』と単語が浮かぶ通りそこは六面すべてが石壁に覆われ、出入りの為の鉄格子が小さく取り付けられているのみ。
昭人は確かに異世界を舐めていた。
システム化された日本でさえ、重要書類にはすべて目を通す事は社会人の常識。昭人も車のローン、アパート契約にはそのようにしていた。それがどうだ、説明責任なんて単語があるかも怪しい異世界で言われた言葉を鵜呑みにし、書類に『写し』が無いのがこの世界の常識だと思い込んだ。その結果奴隷誓約書にサインする醜態を晒した。
いや、そもそも社会的に有効な契約書なぞ一枚も提示されていない事を昭人は知らない。その上で言われるがまま利子や借入金を返済し、危害を加えられ、牢屋に入れられている。
何度も魔物と対峙して、死ぬ目にあわされてるにも拘わらず彼には覚悟が全く足りていなかった。その結果、お気に入りだった昭人は、このまま売られる事さえされずにアマリリスのペットとして死ぬまで暴力を受け続けるであろう……
まだ働かない意識で彼がおもうのは、ソフィアの事だった。
その境遇故か自分の意志をはっきり他人に伝える事もできる彼女はまだ十六歳で、とてもアマリリスには勝てないだろう。幸いライマールも船もある。頼りにはならないだろうがザリガニは長い航海の話し相手になってくれるはず。心配はしてくれるだろうが、出会って日の短い自分の事を忘れて夢であった冒険をしてほしい、と。
一方的な暴力と人権なぞ考えられていないであろう契約書、そして牢獄に心が折れた昭人。彼が近くでする物音に気付くのは、もう少し後になる。
時と場所が変わって執務室。
「絶望したいい顔してるわね。でもまだまだそんな顔するのは早いわよ。恨んで傷付いて心が死ぬまで可愛がってあげるわ」
「…………」
書類仕事の多いアマリリスの日課は、仕事終わりにストレス解消と称して奴隷に危害を加える事だった。今日、その不幸な役目に選ばれたのは当然昭人。
アマリリスに付き従う奴隷二名によって再び執務室に連れてこられた昭人は、先ほどの暴虐によってボロボロになった衣服に血を滲ませ、首元の首輪だけが鈍い光を反射させている。眼には光が無く、焦点もどこかズレていた。
「お前達はいつも通り、【不審人物が部屋に侵入して来たら命をかけて排除しなさい】【私の邪魔するな】」
アマリリスが昭人の襟を掴み、乱暴にひきちぎる。ボタンは悲鳴をあげる様にブチブチとはじけ飛ぶ。
「【その場で服を脱ぎなさい】」
「…………」
一瞬嫌悪の表情を浮かべる昭人だったが、逆らう事無く無言で上着から順に脱ぎ、全裸になる。
「いいわねその表情。もっと私を愉しませなさい」
「……」
「さて、寝室に行きましょうか。」
腕を上げ、今日ようやく手に入れた奴隷の髪をわし掴みすると、移動しようとそのまま体を横に向けるアマリリス。
その瞬間。
昭人は渾身の力で横を向いたアマリリスの弛みきった顔面を殴りつける。掴まれた髪がぶちぶちと嫌な音をたててちぎれるが、構わず拳を振り抜く。とっさの事にアマリリスは、甲高い悲鳴を上げてそのまま倒れ込んでしまった。
「なっなんで?! 【その場で動くな!】」
その言葉に構わず昭人の素足が、アマリリスの脇腹にめり込む。
「夜に夜に呼び出すって言ってたから、首輪も応急処置しておいてやったんだ。さて覚悟出来てるだろうな」
骨が軋む痛みも昭人は意識の外に追いやり更に攻撃を加えようとするが、巨漢のアマリリスとの体重の差は大きいのか、逃げられてしまう。這々の体で立ち上がったアマリリスは、執務室の端で無表情のまま直立する護衛の奴隷二人に向かって叫んだ。
「おっお前達、【この生意気な奴隷を取り押さ……」
最後まで発する事が出来ず倒れ込むアマリリス。その背後には…………




