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星の導きの元に  作者: 音頭
序章

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6/10

鯨の怒り

「……ウウン……」


低いうなり声が、辺り一帯に響き渡った。その瞬間だった。

先ほどまで晴れ渡っていた空に、黒い雲が集まり始める。

青かった空が、みるみるうちに暗く染まっていく。


「……なんだ?」


誰かが空を見上げる。


ポツッ。


頬に、一滴の雨が落ちた。


「雨……?」


ポツ。ポツポツ。


やがて雨は、次第にその勢いを増していく。


「……天候を変えた?」


どこからともなく、そんな声が聞こえた。


「まさか……」

「あり得るのか、そんなこと……」


冒険者たちの間にどよめきが広がっていく。


そんな中、鯨の身体が大きく隆起し始めた。


ズズズズズ……!


地面が震える。その巨体は膨張していく。

先ほどまで岩山ほどだった身体がさらに巨大に。

ついには山と見間違うほどの大きさへと変貌していった。


「……姉ちゃん。」


俺は、その姿を見上げる。やがて鯨の巨大な瞳が、ゆっくりとこちらを向いた。

鋭い。まるで鷹のような目だった。

けれど――そこに狂気はなかった。怒りに我を忘れているわけでもない。

むしろ――優しかった。

その目を見ていると、なぜかそんな言葉が聞こえてくる気がした。


『お姉ちゃんに任せといて』


「待っ……」


俺は慌てて声をかけようとする。


ドォン!


突然、周囲に巨大な水の壁が出現した。


「うおっ!?」


行く手を完全に塞がれる。


「姉ちゃん!」


俺は急いで水の壁へ飛び込もうとした。

だが――


ポヨンッ。


「……え?」


まるで巨大なゴムにでもぶつかったように、身体が跳ね返された。


「なんで!?」


もう一度。


ポヨンッ。


「……。」


(あーあ……。)

俺は水の壁を見上げる。

(事態がものすごく悪くなってるぞ……。)

たぶん、姉ちゃんには俺がいじめられているように見えたのだろう。

だから怒った。

普段はおとなしい。優しくて、誰かが傷つくことを何より嫌がる。


でも一度怒らせた姉ちゃんは止まらない。

一度決めたことは、絶対に曲げない。

昔からそうだった。正義感が強くて、困っている人を見たら放っておけない。


(……こうなった姉ちゃんは、止められない。)


俺は水の壁の向こうを見る。巨大な鯨――俺の姉ちゃんを。


「……。」


結局俺には見守ることしかできなかった。


          ◆


「クソが……!」


水に吹き飛ばされた男――ウェルスがゆっくりと立ち上がった。その目は血走っている。


「俺様を……舐めやがって……!」


その手には黒いオーラをまとったナイフ。禍々しい魔力が刃を包み込んでいた。


「ウェルス! やめろ!」


青髪の男――カナヤが叫ぶ。

だが。


「黙れ!」


ウェルスは振り返りもしない。


「俺は……あいつを殺さないと気が済まねぇ!」


「ウェルス!」

「手を出すな、カナヤ!」


完全に頭に血が上っている。もはや、誰の言葉も届いていなかった。

そしてウェルスはナイフを構える。


「《憤怒の略奪者《ラースバンディット》》!!」


黒い魔力が一気に膨れ上がる。


「待て!」


カナヤが叫ぶより早く。


ブンッ!


ウェルスはナイフを投げつけた。漆黒の炎をまとったナイフが、一直線に鯨へ向かって飛んでいく。


「なんてことを!」


カナヤが詠唱を始める。


「ホーリー…」


その瞬間だった。


ポツッ。


ナイフに雨粒が落ちた。


ジュッ!


雨粒は瞬時に蒸発する。


しかし――


ポツ。ポツポツ。


次々と雨粒がナイフへ集まっていく。


ジュウウウウ……!


黒い炎が雨を蒸発させる。だが、雨は止まらない。

一滴。また一滴。さらに一滴。

蒸発した端から、次の雨粒がナイフを包み込んでいく。


「な、なんだ……?」


ナイフの速度が落ちる。

そして――雨脚がさらに強くなった。


ザアアアアアアアアッ!


小雨だった雨が、いつの間にか土砂降りへと変わっている。

大量の雨水がナイフを覆い尽くし――巨大な水の塊となって、空中に浮かび上がった。

ナイフは、その中心に封じ込められる。


「なんだ……それは……?」


ウェルスは呆然と呟いた。そして鯨の身体が白く変色していく。


次の瞬間。


パキッ。


水の塊に亀裂が走った。


パキパキパキッ!


一瞬で水が凍りついていく。巨大な氷塊。

その中心には、黒い炎をまとったナイフが閉じ込められていた。わずかに黒い揺らめきが見えるだけでもう動くことはない。


「……。」


ウェルスは言葉を失った。


「この……化け物め……。」


ガクッ。


その場に膝をつく。

そして――


「グワアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」


鯨が大きく口を開いた。大地を震わせる咆哮。まるで雷そのものが落ちたような轟音だった。


「うわあああ!」

「きゃあああ!」


冒険者たちが耳を塞ぎ、その場にすくみ上がる。


スウウウウウウ……。


鯨が大きく息を吸い始めた。


「……まずい!」


カナヤの顔色が変わる。


「戦士は盾を構えろ!」


冒険者たちが慌てて動き始める。


「ブレスが来るぞ!」


ウェルスへ向かって叫ぶ。


「ウェルス! 早く陣形の中へ入れ!」


しかし――


「……。」


ウェルスは動かない。その目は虚ろだった。


「クソッ……!」


カナヤは歯を食いしばる。


「仕方ない……!」


その瞬間――


ビュウウウウウウウウウウウッ!!!


鯨の口から、凍てつく吹雪が放たれた。


「うわああああああ!」

「寒い! 寒いぃ!」

「盾を――!」


遅かった。凍てつくブリザードが冒険者たちを一瞬で飲み込んでいく。


「間に合え!」


カナヤは陣形から飛び出した。


「ウェルス!」


吹雪の中へ飛び込む。視界は完全な白。何も見えない。


「キャアアアアアアアア!!」


その直後。後方から悲鳴が聞こえた。だがカナヤは止まらなかった。いや。止まることができなかった。

(奴は……やってはいけないことをした)

ウェルスの行動を思い出す。


それでも――


(私はギルドマスターだ)

握った拳に力を込める。

(これ以上、犠牲を出させるわけにはいかない!)

必死に吹雪の中を進む。視界は白一色。

その中で――


「……そこか。」


かすかに人の気配を感じた。カナヤはその方向へ走る。


「生きている……?」


そこには――巨大な氷の柱が立っていた。


「……なんだ、これは?」


カナヤが氷柱へ手を伸ばす。

その瞬間――


「……ッ!」


背筋に悪寒が走った。カナヤは、とっさに後ろへ飛び退く。


ドォン!


さっきまで立っていた場所に、巨大な手形が刻まれていた。


「……こいつは、ヤバいな。」


カナヤは息を呑み、ゆっくりと顔を上げる。そして――理解した。

何が起こったのか。いや。正確には――何が『生まれた』のかを。


「……鯨?いや違うなこれは…。」


目の前にいる巨大な存在。確かに、元は鯨だった。

だが――もう、鯨ではなかった。

巨大なヒレが人間の腕へと変化している。さらに後方のヒレは二つに分かれ、まるで人間の脚のような形へと変貌していた。


「……歩けるようになったということか。」


カナヤは呟く。

鯨は――その『怪物』は自らの意思で地面に立っていた。


そして吹雪が止む。ホワイトアウトしていた視界が徐々に晴れていく。カナヤは後ろを振り返った。


「……。」


そこには、倒れたウェルスがいた。全身が凍りついている。


「……ウェルス。」


返事はない。おそらくもう、生きてはいない。

さらに周囲を見渡す。

他の冒険者たちは、阿鼻叫喚の状態だった。

前衛は盾ごと地面に凍りつき、身動きが取れない。後衛は、身体に突き刺さった氷柱に苦しむ仲間たちの治療に追われている。

雨そのものが凍りつき無数の氷の刃となって、彼らを襲ったのだ。


(……もし、もう一度ブレスが来れば。)


カナヤは周囲を見る。


(全滅する。)


応援が来るまでには時間がかかる。その間にもう一度あの吹雪を受ければ誰も生き残れない。

ウェルスを助けることはできなかった。それだけではない。自分の部下たちすら守れなかった。


「……。」


カナヤは唇を噛みしめる。ゆっくりと剣を抜く。


「これ以上の犠牲を……出すわけにはいかない!」


剣を掲げる。すると刀身が、まばゆい光を放ち始めた。


「――聖剣一閃《ホーリーフラッシュ》!!」


振り下ろす。


ズガァァァァァン!!


巨大な光の斬撃が一直線に鯨へと襲い掛かった。


「――――ッ!!」


次の瞬間。凄まじい轟音が大地を揺らした。

同時に氷の柱の向こうから。言葉では表現できないほどの巨大な慟哭が響き渡った。


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