赤い流星に導かれて
(ここは……どこだ?)
目が覚めると、俺は暗黒の宙に浮かんでいた。上下も、前も後ろも分からない。
足元には何もない。闇に飲み込まれていて、そもそも自分が地面に立っているのか、それとも宙に浮いているのかすら分からなかった。
まるで、底なし沼の中を歩いているような感覚だった。
――けれど。ひとつだけ、はっきりと感じられるものがある。
右手。俺の右手には、誰かと手をつないでいる感触があった。
それも――よく知っている感触だ。
(姉ちゃん……?)
小さい頃から今まで、ずっと忘れたことのない手。
俺は確かめるように、その手をぎゅっと強く握った。
ぎゅっ。
向こうからも、強く握り返してくる。
(……。)
それだけで、不思議なくらい安心した。
右腕が引っ張られる。まるで「こっちだよ」と言われているように。
俺はその手に導かれるまま、一歩を踏み出した。
すると暗闇の向こうに、光が見えた。
ひとつ。またひとつ。無数の星々が輝いている。
それらはまるで川のように連なり、どこまでも続いていた。
(……俺、死んだんだ。)
薄々分かっていた。きっと、これは死後の世界へ続く道なのだ。
この星々の先に、俺の知らない世界が待っている。
(……短い人生だったな。)
そう思うと、少しだけ寂しくなった。生まれは……まあ、色々あった。
けれど、井出家の一員になってからは、とても満たされた人生だったと思う。
やりたいことは何でもさせてもらった。
たくさん笑った。たくさん怒られた。そして――たくさん愛してもらった。
もし、もう一度生まれ変わって、またみんなに会えるのなら。
次も、兄さんたちや姉さんたちのもとで生きたい。
(姉ちゃんと手をつなぐのも……これで最後か。)
そう考えた瞬間だった。
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられた。
寂しい。
でも、それが命あるものの定めなのだろう。いつか始まったものには、必ず終わりが来る。
(……いやだ。)
足が止まった。
(嫌だよ。行きたくない。)
俺は、その場から動けなくなった。
もう会えない。
そう理解した途端、前に進むことが怖くなった。
(姉ちゃん……俺、嫌だよ。)
(行きたくない……。)
自分が消えてしまうことよりもこの手が離れてしまうことのほうが、ずっと怖かった。
俺はその場にしゃがみ込んだ。もう進みたくない。歩きたくない。
まるで駄々をこねる子供みたいだった。
それでも、姉ちゃんの手だけは離さなかった。
むしろ、さらに強く握った。俺は、生まれて初めて――姉ちゃんに反抗した。
(……あ。)
ふっと。手の感触が消えた。離された。
(……そうだよな。)
(俺、高校生なのに……。)
(幻滅したよな、姉ちゃん。)
見捨てられた。そう思った瞬間、胸の奥が真っ暗になった。
まるで、本当に何もかも失ったような――そんな絶望が、俺を包み込む。
だが、次の瞬間。
(!!!)
誰かに、抱き寄せられた。
突然だった。
温かい。懐かしい。
そして――耳元で、何かを囁かれた気がした。
声は聞こえない。
けれど、この感覚を俺は知っている。小さい頃から、何度だって知っている。
きっと――「大丈夫」そう言ってくれたのだろう。
(……かなわないな。)
やっぱり、俺は姉ちゃんには勝てない。
(……姉ちゃんが好きだ。)
(離れたくない!)
俺はその身体を強く抱きしめ返した。
絶対に離れたくない。
そんな思いを込めて、力いっぱい抱きしめる。
――その瞬間。
ドォォォォォンッ!!!
頭上から、轟音が響き渡った。
「……え?」
思わず空を見上げる。
そこには轟々と燃え盛る、赤い光があった。それはまるで、巨大な赤い箒星。巨大な流星だった。
真っ赤な炎をまとった何かが、こちらへ向かって一直線に飛んでくる。
「……こっちに来てない?」
そう思った瞬間。
瞬きをした。もうそれは目と鼻の先だった。
「え?」
燃え盛る炎の正体が、その姿を現す。
それは巨大なムカデだった。
「…………は?」
あまりにも巨大すぎて、背中すら見えない。もはやムカデというより、一つの山だ。
その巨大なムカデが、大顎を開く。
ガチィンッ!!
俺たちを見据えた。
「ちょ――」
ビュンッ!!
次の瞬間、巨大な顎が閉じられた。
俺と姉ちゃんは、そのままムカデに捕らえられる。
「うわぁぁぁぁぁ!?」
砕かれることはなかった。ムカデはまるで壊れ物を扱うかのように、俺たちを優しく掴んでいた。
そのまま、空を駆ける。
星々がどんどん遠ざかっていく。
否、俺たちがどんどん加速しているのだ。
星の流れが速くなる。
さらに速く。もっと速く。
やがて音が消える。
星々の輝きすら、まるで一枚の静止画のように止まって見える。
(……何だ、これ。)
音速を超えた。そして光速すらも超えた。
そうとしか思えないほど、世界が止まっている。
俺たちは動くことすらできなかった。
ただ、変わらない景色の中を進み続ける。
どれほどの時間が経ったのか。
世界が再び動き始めた。
星々が輝きを取り戻す。
静止画だった世界が、少しずつ動画へと変わっていく。
ゴォォォォォッ!!
風を切る轟音が聞こえ始めた。
「うわっ!?」
体を上から押される。どうやら急降下しているらしい。
(……落ちる!?)
恐らく、このままどこかへ落下する。けれど俺たちに軌道をコントロールすることなんてできない。
どこへ落ちるのか。ただ待つしかなかった。
(……え?)
そのときだった。俺たちを掴んでいた巨大なムカデの身体が蛍火のような光へと変わった。
「え?」
光は空中を漂い、そのまま俺の身体へ吸い込まれていく。
「嘘! ま――」
言葉を言い切る前に、身体が宙へ放り出された。
俺は真っ逆さまに落下している。
「…………」
っていうか。さっき、声出なかったか?
「おお!」
手が動く。
「おお!!」
声が出る。
「おお!!!」
そして――落ちている。
「おおおおおおおおおおおおお!!!」
俺は、生まれ変わったのだ!……たぶん!
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
喜びの叫びが、次第に悲鳴へと変わっていく。
生まれ変わったのはいい。
だが――この高さはマズい。
普通に死ぬ。
「ちょっと待てぇぇぇぇぇぇ!!」
当然、落下は止まらない。
このままではリスキルされる。転生して数秒で即死するという、とんでもない人生の幕開けになってしまう。
「そういえば……姉ちゃんは!?」
ずっと一緒にいた。きっとすぐ傍にいるはずだ。
なのに、どこにもいない。
「姉ちゃん!」
返事はない。
「姉ちゃん! 返事して!」
静寂だけが返ってくる。
(……幻だったのか?)
そんなはずはない。あれが嘘だったなんて思えない。
確かに俺は、姉ちゃんと手をつないでいた。抱きしめてもらった。あの温もりを感じた。
ムカデが消えたときに、離れ離れになったのか?
(それだ!)
どうして今まで気づかなかったんだ。
(俺が生きてても、姉ちゃんがいなかったら意味ないって!!)
以前、自分は「お姉ちゃん子だった」と言った気がする。
――前言撤回。
俺は今も、立派なお姉ちゃん子だ。今回のことで、よく分かった。
俺は姉ちゃんがいないと、無理だ。
「チクショウ!!」
ドォォォォォンッ!!!
俺はその言葉を最後に地面へと激突した。




