機械的な指先が語る声
「トウマ、紹介するわね。今日からうちのお手伝いをしてくれる方よ」
優しい母の声で紹介されたのはテレビやネットでよく見るようなシンガータイプのアンドロイドだった。
成人していない女性型のアンドロイドは優しい笑みを浮かべて僕にホワイトボードを見せてきた。
「初めまして」と丸く柔らかい文字で書かれたそれを見て僕は目を瞬かせる
「彼女…シンディーって言うのだけど、耳が聞こえないの。だからトウマも、シンディーとお話したいと思ったら筆談でお話してあげて?」
こうして、僕の日常に耳が聞こえない不便なアンドロイドが入り込んだ。
僕の家はどこにでもある一般家庭で、父も母も共働き。教育に関しては放任で、お金にはある程度余裕があるらしい。
少なくとも、不良品とはいえお金持ちの家にしかいないような、アンドロイドを一体購入できたのだから。
恐らく両親は、僕のためにシンディーを購入したのだろう。
小学四年生になる僕には、未だ友達と呼べるような親しい仲の子はいなかった。
原因は僕自身の、喋れない口にある。
声が出せないわけではない。家で両親とは普通に会話ができる。けれど、家から一歩でも外へ出ると…喉が締まって、声を出すことが出来なくなってしまう。
幼稚園から小学校に進学しても、僕の喋れない口が治る気配はなく、話さない僕に痺れを切らしてクラスメイトは去っていく。特別学級という、色々な事情で教室に入れない子達が集まる少人数教室でも同じだった。
初対面でシンディーを前にした僕は、緊張して喋ることが出来ず、固まってしまった。頭が真っ白になって心臓がバクバクして、ただ自分のつま先と握りしめた両手を見下ろすことしか出来なかった。
それでもシンディーは、根気強く僕にホワイトボードによる筆談とジェスチャーで対話を続けた。
シンディーは過剰に接触しようとせず、当たり障りのない会話や、挨拶などをホワイトボードに書き込み短いやりとりを試みてくれた。
一週間、二週間と一緒に時間を過ごし、両親の代わりに身の回りの世話をしてくれる彼女。
僕はいつからか、シンディーに気を許し、筆談をして笑い合うことができるようになっていた。
両親がいても、ホワイトボードやジェスチャーを使ってシンディーと会話をする。
油性マジックがホワイトボードを叩いて滑る音。それがぼくとシンディーの声だった。
そうしてシンディーと暮らし始めてしばらく経つと、何故彼女は耳が聞こえないのか、何故メカメカしいイヤーカフを付けているのかが猛烈に気になりだした。
夏休み真っ盛りの日曜日、両親は相変わらず仕事で留守にしている日だった。
適度な冷気で保たれたリビング。部屋の掃除を終わらせて、ソファで寛ぐ彼女に僕は思い切って耳のこと、イヤーカフのことをホワイトボードを使って尋ねてみた。
彼女は驚いたように目を見開き、それから寂しそうに笑って…ホワイトボードに簡潔に聞こえないこと、耳のことを書き出した。
以前の主人によって聞く機能を壊され、修理不可能なこと。今はもうない、耳があった部分を隠すためにイヤーカフを付けていること。
彼女の寂しそうな、泣くのをこらえるような微笑みに、軽率に聞いた自分を殴りたい気持ちになった。
本当は彼女の方が何倍も悲しいのに、彼女を慮ることができなかった自分が悔しくて、でもシンディーが寂しそうに笑うのが辛くて…僕は知らずに泣き出していた。
シンディーは何も言わず、泣き止んで落ち着くまで僕を優しく抱きしめてくれていた。
『シンディー、いまいい?』
翌日、僕はホワイトボードを使ってシンディーに話しかけた。
洗濯物を干し終わった彼女は洗濯カゴを片付けて僕の元へ『なんですか?』と首を傾げて聞きに来る
『あのね、僕…歌詞を書いてみたんだ。読んで、くれる?』
ホワイトボードにそのように書いて、それから開かれたA4サイズのノートを差し出す。
横罫線の中に、鉛筆書きした拙い、汚い字で書かれた歌詞。
僕の趣味は歌詞を書くことだった。最初は感情を吐き出すために詩のようなものを書いていたけど、段々意味のある、人に伝えられるものを書いてみたいという気持ちになって、父がよく聞くCDの歌詞カードを参考に歌詞を書くようになっていた。
受け取ったノートに書かれた歌詞を眩しいものを見るように眺め、シンディーはわずかに体を揺らしていた。なんだろう、と思っていたがどうやらメロディーをとっているようだ。
僕はそこで、少し逡巡してホワイトボードにこう書いてシンディーに見せた
『シンディー、この歌詞で歌をうたってみて。即興でいい、シンディーが歌いたい音でうたってみて』
僕のお願いごとが予想外だったのか彼女は目を大きく見開いて驚いていた。
実は知っているのだ。シンディーが、誰にもバレないようにこっそりと家の倉庫の裏手などで小さく歌をうたっているということは。
迷って申し訳なさそうに断る彼女に、僕は引かずに『一回だけでいいからお願い!』と食い下がる。
やがて根負けした彼女はノートの歌詞を眺めながら唇を震わせ歌い出した。
不格好で、背伸びしたような歌詞を、シンディーの大人になり掛けの高いヴォーカルが優しく包み込み泥臭い、でもキラキラとしたメロディーに作り上げていく。
僕はその歌を聞いて聞き惚れていた。
そうだ。彼女はシンガータイプのアンドロイド。本来、歌うことが好きなんだ。
所々音を外してうたう彼女。人前で歌うことは確かに出来なくても、こうやって僕の歌をうたってくれる彼女は舞台の上でキラキラ輝くアイドルのように見えた。
「シンディー!すごい、すごいよ!」
興奮冷めやらぬ僕は歌い終わった彼女に飛びつく。それからひたすらすごいすごいと語彙力のなさを露呈させながら彼女の歌を褒めちぎった。
初めて、シンディーに僕の声が届いた瞬間だった。
シンディーは僕の生の声を空気の振動と唇の動きで感じ取り、驚いて言葉にならず眩しいものを見るように目を細め、目の端に涙を溜めて、僕を抱き締め返してくれた。歌を褒めてくれて嬉しいこと。また歌っていいか?ということをホワイトボードに書き出して見せてくれる。
僕は「もちろん!」とうなづいて新たな歌詞が出来たらまた見せることを約束した。
知らないうちにシンディーに対して僕の喋れない口は治っていたようだ。
それから、僕はシンディーだけの作詞家で、シンディーは僕だけの歌手になってくれた。




