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私はそのあと使用人になることを決め、書類にサインをした。
そんな私の手を引き、彼が意気揚々と部屋に案内してくれる。
使用人となった私に与えられた部屋は、温かい光に満ちた、簡素だが掃除が行き届いた部屋だった。
しかも、この部屋は春に王となる彼の部屋に近い。
こんなの、使用人の部屋とは呼べない。ギッと彼を睨みつけたが、彼は飄々としている。
そして、納得がいかないまま彼と別れ部屋のベッドに横たわった。
ぼんやり天井を見つめる。そうしているとコンコンと扉がノックされ、私はいつもの癖で「いいわよ」と言ってしまった。
入ってきたのは、私にずっと仕えてくれていたメイドだった。
「あら、貴女が来るなんて」
「お久しぶりです、お嬢様」
酷い扱いは受けていなそうな姿に、心の中で安堵する。
「ふふ、お前と私、使用人という同じ立場になったのよ? どうかしら、今まで自分をこき使ってきた王女が同じ立場になるのは」
「お嬢様……っ」
「……!」
彼女は、私を抱きしめた。私の頭を撫で、背中を擦り続ける。
そして耳元で囁いた。
「あんなにも、なにも知らなかったお嬢様が。こんなに大きく立派になって。今まで、よく頑張りましたね」
王女に、一介の使用人が触れてはならない。
王女に、一介の使用人が話しかけてはならない。
だから、彼女にこんなに近い距離で言葉をかけてもらうのは、初めてだった。
ああ。貴女は私をいつも見守ってくれていた。
十五歳までの、甘いことしか知らない私を痛まし気に見つめ、そこから十九歳に至るまでの私を、優しく肯定するように見つめてくれた貴女。
私の大切な人。お母様に「この子を頼むわね」と私を託されてから、ずっと側にいてくれた人。
「――……っねえ、エメ。私、ちゃんと出来た? やり切ることが出来た?」
「はい、はい。お嬢様は、本当によくやりました」
目が腫れてしまうから、涙は流さない。だけど心の中で熱いものが渦巻いているのが分かる。
私は、えへへっと笑った。昔お母様に頭を撫でられた時に、私の口から漏れていた笑い声と、それは酷く似ていた。
「願い事、もう一つ目が叶っちゃったぁ」
いつも考えていた。人の温度とは、どのくらいなのかと。
夏のうだるような暑さに似ているのか。はたまた冬の布団のように冷たいのか。
私はずっと、知りたくてたまらなかった。
そして、ようやく分かった。
人の温度は、私が熱を出した時にエメが必ず持ってきてくれた、ミルク粥にそっくりだった。
私が鳥の雛のように大きく口を開ければ、少し躊躇った後にエメがフーフーと息を吹きかけてから口に運んでくれた、あのミルク粥にそっくりだった。
それを食べると、体がじんわり温かくなって、ちょっぴり涙が出そうになって。
今回も、それは変わらなくて。私は涙を誤魔化すように、エメの肩口に顔をグリグリと押し付けた。
「エメ、エメ。どうかお願い。来年の春までどうか私の側にいて」
昔のようにねだれば、昔のように「はい」とエメが返事をした。
だけど昔とは違って、エメは「はい」という返事の後に言葉を重ねた。
「どうか、私をどこまでも連れて行ってください」
「……まるで一緒に死んでくれるような口ぶりね」
「だからそう申しているのです」
雪が溶け、春が訪れても。私は暖かい方へは行けない。
気丈に振る舞いながらも。早く殺してくれと願いながらも。本当はずっとそれが恐ろしかった。体は震え指先は冷たくなっていた。
でも、エメが冬に取り残される私にミルク粥をくれると言うなら、少しだけ死ぬのが怖くない。
そうだ、死ぬ時も一人じゃないのなら。もう少しだけ自分に素直になろう。きっとエメは、そんな私を許してくれる。
私は、実に久しぶりに作り笑いをやめた。