一筋の糸
俺にも最低限のラインというものがあった。
それは単純なものなのだが、子供を餓えさせず、ちゃんと食べさせるというものである。
このような環境であるから、米を炊くにはどうしても火をおこさねばならない。しかしそれは遠くからも目立つわけであり、先の戦争でも日本兵が米炊きの火と煙で見つかって機銃掃射を受けた。
ならばということで、地面に穴を掘って火をつけ、チビチビとした炎で米を炊くのだが、いつまでたってもグラリとこない蓋を見張っては、ついに回りに他人がいることに気がつかないでいた。
米はまだ沸騰しないが、しかし、米の磨ぎ汁の甘い香りがそこには流れていたのである。
今、物流の中心たる電車は止まり、トラックは運転手ごと奈落の底、道をあるくは死人ばかり、という状況では、大人であろうとも食料を探すのは困難を極めた。
食べ物と言えば、痩せたカラスやネズミの他、雑草など。それすら手に入らないことも多く、人々は餓えていた。
食料のを輸入の8割に頼っていた日本のつけ。海外からの船がこないために、単純計算で人口の8割が餓えに苦しんでいる。
そんな状態。
米が貴重だった。米のために身体どころか魂までも売ってしまいそうな状況だ。
人は死にそうになった時、腹が無性に減るらしいな。
「米をくれ~!米をくれ!!」と死体だかゾンビだか分からないような人間が沸いて出て、半合の蓋から漏れた米の煮汁をペロペロと舐めている。
その舌は壊死して、ウジが沸いているような状態で、身体には無数のハエがたかっている。
無意識に飯盒を回収してにげると、まあ、着いてくるわけである。
「悪いがこれは子供のご飯なのです。あげられません」というと、俺にも子供が!私にも!!
というような具合であった。
悪魔に魂を売る。
誰だって地獄に降りてきた蜘蛛の糸をつかまずにはいられない。ただ一筋そのそれが切れそうであっても、手を伸ばさずにはいられない。
これが今の日本の実情であった。
冗談みたいだ。ところで日本には政府の備蓄米というのがあって、それを有事の際には放出するはずであったが、どういうわけか、全く流通していなかった。
米の価値の値崩れを恐れた業者が買い占めている可能性大なり。と思ったが、その業者すら首の回らない状況。もしかしたら米は倉庫の中で備蓄されたままなのではないかと思われた。
生き残った人々全員が数年は食っていけるような量が、日本のどこかには備蓄されている。
ずいぶんなことであった。
それさえあれば、この飯盒の中の僅か3合ばかりの米を奪い合って殺しあいなどしなくて良かったのだ。
だが許せ。誰かに分け与えれば、それはからなず不公平を生む。
俺が奪われないのは、血塗れで、筋肉の発達した身体をしているからであって、もし、幼い少女の姿であれば、簡単に奪われただろうと想像する。
人間の殆どは、残酷で無慈悲で自分だけ良ければそれで良いんだ。
半煮えの米をガキの口に押し込みつつ、これからどうするかを考える。
自分のはプロテインバーでいい。食料はけちらずさっさと食べるに限る。
どうせ疲れたら喉は通らなくなるし、食べれば食べるほど荷物は軽くなる。
想像して欲しい。
自分が餓えている状況で、バリバリモグモグと次から次にご飯を食べるヤツがいることを。
そりゃあ、ズルい。という話になる。
中には、自分の子を差し出すのでご飯を分けて欲しいと言う人までいたのだ。俺も流石にお菓子を与えた。
これがいけなかった。