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茶色

 俺は今、幅50ミリの工業用ベルトをまいて、肩からサスペンダーで吊っている。ベルトには右からナイフ、携帯シャベル、フィールドバック、サバイバルキット、そして1リットルのキャンティーンがぶら下げてあり、武力を行使するのを今か今かと待っていた。


 皆に嘘を付いている。俺が一人で住んでいるのは孤独に強いからじゃない。誰かと一緒にいることがとてつもないストレスで、かつ、一週間に3回は人を殺したくなってしまう頭の持ち主だからだ。

 人というのは生き物として弱い。非常に脆い脳みそは、固い頭蓋骨で守られているが、その釜を破壊してしまえば全く問題なく壊せるだろう。


 残念ながら、俺には人を傷つけても痛む心はない。むしろ、風のない湖畔のように澄みきった心があるだけだ。脈打つような内臓がそとに飛び出るとさすがにうっとなるが、それも一瞬のことで全く意味をなさない。


 今、家の前でエンジンをふかしている車があるのだが、それすらも我慢できなくなりそうだった。この世界は既に終わっている。その世界で音を出すことの意味が分からない連中がなんと多いことだろうか。


 俺を誰だと思ってるんだ。音に敏感なんだぞ。人を殺してもなんとも思わないようなやつが、刃渡り18センチの軍用ナイフと、特殊部隊用のスコップ持ってやることと言ったら一つでしょう。


 家の真ん前に路駐した車があった。持ち主は電話をしているらしく何事かを喋っているが、助手席には髪の長い人影があった。


 反射的に女だ、と思ったのと、何でだろうと言う疑問が沸き上がった。女は口を粘着テープで塞がれた状態で、俺の存在に気がつくと、牛のような声をあげながら縛られた手首を見せてきた。


 いや、ヒーローではないので。特段助けるつもりはなかった。ただ、静かな世界が欲しかっただけである。俺は、映画館で話しているやつを見ると、頭をかちわりたくなる達なのだ。

 だから、エンジンを吹かしまくっている運転席側に向かって、シャベルで窓ガラスを粉砕した。強化ガラスは、映画館のコップの中の飲み残しみたいに粉々に砕けて車内に飛散した。

 男の動きが止まる。そりゃそう。だって俺は大きいから。彼は椅子に座っていた。だからパンチもろくに出せない。


 「しーー。」と唇に指を当てて黙るようにジェスチャーで伝え、そっと頸動脈にナイフを当てた。よく、ゲームやドラマでは首の前面を切るが、実際に頸動脈が走っているのは首の側面である。薄皮一枚、彼の汚れた命は、それだけの肉の膜によって繋がれていたに過ぎなかった。

 

 破けたホースから水が出るように血が吹き出るのも無視して、車のエンジンスタートボタンを押してエンジンを停止。同時にドアのロックを内側から解除して男の体を引きずり出す。

 思ったよりも小さかった。鍛えていない体はブヨブヨで、何かしらハートのような入れ墨が手首に掘ってあった。


 見せしめに首をナイフで切り落として道に転がしておく。彼の仲間が来れば状況を素早く理解するだろう。これはメッセージだ。俺に近づくとどうなるかを言葉よりもハッキリと伝えてくれる。


 本当の所は、内臓を送りつけたいところだが、生憎と彼らの拠点が分からないために実行できなかった。


 映画好きの鑑賞時間を邪魔した罰だ。首の断面に唾を吐いてゆっくりその場をあとにした。

 携帯電話が鳴っている。振り返って運転席の隙間から拾い上げたが画面にロックがかかっていて開けない。

 幸いにも指認証をせよとのメッセージが出たので男の指を借りる。二本目で当たりを引いた。


 スピーカーで聞いた感じ、人攫い御一行らしい男は、グループでもそれなりの地位にあるらしかった。かけてきた人が敬語を使っているのだ。淡々とそれらしい受け答えをしながら周りに視線を投げる。


 しまったな、周りの警戒が疎かだった。ゲームだったら真っ先に狙われていただろう。

 携帯を分解してバッテリーを抜いておく。こわいのでSIMカードは半分におって無力化して確保。

 小便臭さが鼻について、そっちをみると女が泣いていた。


 目があったことで余計に怯えた女は細い体を車にめり込ませるみたいにひっつけて少しでも逃げようと踠いているようだった。


 あ、そうか。普通、人殺しておいて顔色一つ変えないのはおかしいよな。うんうん分かる。普通もっと取り乱さないと。吐いたりするんだ。相手に合わせるのはめんどくさくてしょうがないが、女は殴らないというのが、俺のルールだった。


「しーー。」

 手首の縄をナイフで切ってやろうとしているのにものすごく怯え、まるで殺人鬼から狙われたオネーチャンみたいに怯える。困った。そんなつもりじゃないのに。


 埒が明かないので車から降りようとしたら、俺が動いたことでもろに死体を見た女がボロボロ涙をこぼして泣き叫んだ。


「大丈夫!殺さないよ!ほんとだよ!」


 手で待てと指示したが血が付いていたのでもっと怯えさせる結果になった。男を引きずり出すときに、ベッタリと血の染み込んだ服をつかんでいたのだった。


「しーー。おちついて。ね?」

 ナイフをしまって見せ、精一杯の笑顔と、ポケットに入っていたアーモンド入りチョコレートを取り出して、わざわざ丁寧に包装を剥いてあげて、口元に押し付けた。


 震えた唇は時間をかけてチョコレートを受け入れる。まるで、凍りついた世界に小さな焚き火が出来たように僅かに口角が上がった気がした。

 チョコレートは偉大だ。流石軍用レーションにも入っているだけのことはある。この材料となるカカオ農園ではチョコレートを食べたことのない子供が重労働をしていることを除けば大変に素晴らしいおやつだった。

 その上、敵対心や疑心を押さえる効果もあって、むかしの悪い人が子供にお菓子を配っていたのには明確な理由があっての事だったのだろうと理解する。


  テープを剥がし、ロープをほどいてやった。キャンティーンの水も飲ませたし、十分にやることはやった。人として、倫理的に全く正しい行いをやったと思う。充分だ。こっちは早く映画の続きを見たいのだった。


 家に向かう砂利道を歩くと後ろから足音が付いてきた。ま、行くところはないだろうな。ここ、田舎だし商業施設とか無いから。ホテルは246まで出ればあるけどラブホだし、やってるかやってないかそもそも分かんない。立地も酷いし。駅まで歩こうにも何時間もあるかなきゃいけないし、多分、電車は動いてないだろうし。

 彼女の出した最も生存率の高い避難場所というのが我が家であった。勘弁してくれよ。この、名前も出身も分からない、どんなビョーキを持っているかも分からない人間をだ、(しかも漏らしている)家にあげるのはちょっとな。勘違いしないで欲しいのだが、別に性別は関係ない。誰かと一緒にいることがリスキーで病的だとそういう話をしているのだ。まあ、もういるんだが。あれも早急になにか理由をつけてサヨナラしたいくらいだが、殺されそうだから言葉は選ばないといけない。

 この女にはとりあえず車庫に案内してその中にテントをはってあげた。脚付で、ハンモックのように床が地面から離れるタイプのやつだ。そこそこ快適なやつ。それから着ていないジャージのズボンと清潔なタオルを支給していつでも帰れるように車庫の鍵は開けておいた。


 我が家にいついている野良猫が彼女をみてパニックになる声が聞こえたが、映画に集中したかったので無視した。


 お腹空いた。お昼ごはんはレトルトカレーにしたい。そういえば、近くの食料品店はまだやっているだろうか。最近はすっかり防災に力をいれて、大量に保存食のストックがあったお店だったがどうだろうか……パニックになったバカどもが買い占めをやっていると手に入れるのは難しいだろうな。寧ろ、買い物帰りに事故を起こしたり、運転手が発症した車を襲うべきだろうか。どちらにしてもガソリンは確保しておきたいかも。まあ、ゴールにいるのでどこにも行くつもりはないが、万が一への備えというのはあったほうが無いよりもずっと良い。それが俺が人生で見つけた教訓だ。


 手に付いた血がなかなか落ちなくて困った。シワや爪と肉の間に入って茶色くなったそれが本当に汚ならしくて、次からはちゃんと手袋をしようと思った。

 生臭さは、お風呂用洗剤のレモンの匂いのするやつで洗ったらいくらか緩和された。まだ色はおちていない。幸いにも返り血は受けていなかったようで、顔等への被害はなかったが、血液感染症もある世の中なので軽率な行動だった。

 人間は汚くて近寄らない方がいいというのは間違い無いだろうな。畜生。茶色いの落ちやしない。


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