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喫茶 停車場  作者: みそのKS


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9/21

外伝1 包丁一本とコーヒー一杯

ここから少し外伝と言う扱いで停車場の日常です。


昼過ぎだった。


カラン。


ドアベルが鳴る。


若い男が店に入る。


「こんにちは」


返事がない。


珍しい。


いつもなら「おう」くらいは返ってくる。


カウンターを見る。


マスターは何か作業をしていた。


砥石。


濡れた布巾。


一本の包丁。


シャッ、シャッ、シャッ。


一定のリズムで刃を研いでいる。


若い男は席にも座らず聞いた。


「何してるんです?」


マスターは顔も上げない。


「見てわからないか?」


「わかりません」


「包丁研いでるんだよ」


「へぇ」


若い男は感心した。


手際がいい。


素人が見ても分かる。


慣れている。


「料理人だったんですか?」


「違う」


「じゃあなんで」


「頼まれた」


「誰に」


マスターは包丁を持ち上げて刃を確認する。


そして平然と言った。


「近所の婆さん」


若い男は笑った。


「なんで喫茶店に包丁持って来るんですか」


「知らん」


「普通頼みます?」


「知らん」


マスターは本当に知らなそうだった。


しばらくして。


カラン。


ドアベルが鳴る。


今度は高橋だった。


入ってくるなり包丁を見る。


「なんだそれ」


「包丁」


「見ればわかる」


「じゃあ聞くな」


高橋が席に座る。


コーヒーが出てくる。


まだ注文していない。


いつものことだ。


「誰のだ」


高橋が聞く。


「山田さん」


「ああ」


高橋は納得した。


若い男だけが置いていかれている。


「知り合いなんですか?」


「向かいの婆さんだ」


「八十二」


「八十三だ」


「そうだったか」


二人とも普通に話している。


若い男が聞く。


「なんで包丁研ぐことになったんです?」


高橋が笑った。


「こいつのせいだ」


「俺か?」


「お前だ」


高橋はコーヒーを飲む。


「最初は電球交換だった」


「そうだったか」


「その次が網戸」


「そうだったな」


「その次が草刈り機」


「動かなかったからな」


「その次が自転車」


若い男が笑い始めた。


もう喫茶店じゃない。


便利屋である。


高橋が続ける。


「気付いたら何でも持ってくるようになった」


「勝手に持ってくるんだ」


「断れよ」


「断る理由がない」


高橋が呆れた顔をする。


若い男も同じ顔だった。


マスターは真面目な顔で包丁を研いでいる。


シャッ。


シャッ。


シャッ。


やがて刃先を確認すると頷いた。


「こんなもんか」


新聞紙を一枚取る。


包丁を軽く当てる。


スッ。


紙が音もなく切れた。


若い男が目を丸くする。


「すごい」


「普通だ」


「普通じゃないです」


マスターは笑った。


「昔な」


珍しく自分から話し始める。


「色んな仕事してると、色んなこと覚える」


「包丁研ぎもですか」


「そう」


「なんで」


「忘れた」


高橋が吹き出した。


「本当に忘れてるぞコイツ」


マスターも笑う。


本当に忘れているらしい。


覚えた理由は忘れた。


だが技術だけは残った。


若い男は少し考える。


そして言った。


「なんかいいですね」


「何が」


「そういうの」


マスターは首を傾げた。


若い男は続ける。


「仕事じゃなくても役に立つことってあるんだなって」


店内が少し静かになる。


高橋が珍しく頷いた。


「あるな」


マスターも包丁を布で拭きながら言う。


「無駄だと思ってたことが役に立つこともある」


「へぇ」


「逆もある」


「逆?」


「役に立つと思って覚えたことが、全然役に立たないこともある」


若い男が笑う。


確かにそうだ。


人生らしい話だった。


その時。


カラン。


ドアベルが鳴る。


小柄な老婆が入ってくる。


「できたかい?」


「できたぞ」


マスターは包丁を差し出した。


老婆は受け取る。


そして当然のように言った。


「じゃあ今度はハサミお願いね」


店内が静まり返る。


高橋が天井を見る。


若い男が吹き出す。


マスターはため息をついた。


「……喫茶店なんだけどな」


老婆は首を傾げた。


「知ってるよ?」


全く会話になっていなかった。


その日も停車場には。


コーヒーの香りと。


少しだけ人の暮らしの匂いが漂っていた。



ここまで読んでいただきありがとうございます。


続きが気になりましたら、ブックマークや評価をいただけると筆者がとても喜びます。

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