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第八話 あと何年


六月の終わり。


梅雨明け前の蒸し暑い日だった。


店のエアコンは二十年以上前のものだ。


まだ動く。


だが最近は少し機嫌が悪い。


ガタガタ。


ブーン。


時々うなる。


まるで俺みたいだ。


「買い替えろ」


高橋が言う。


「金がない」


「嘘つけ」


「本当だ」


「本当の顔じゃない」


余計なお世話である。


窓際では若い男が笑っていた。


最近はこの三人で話すことも増えた。


年齢差は三十歳近い。


普通なら接点なんてない。


だが不思議と会話は続く。


店というのはそういう場所なのかもしれない。


高橋がコーヒーを飲みながら言った。


「しかし暑いな」


「夏だからな」


「昔は平気だった」


「昔は若かった」


「それを言うな」


若い男が吹き出した。


高橋は不満そうな顔をする。


だが事実なので仕方ない。


しばらくして。


若い男がふと聞いた。


「マスター」


「ん?」


「この店、あと何年やるんです?」


俺はカップを拭く手を止めた。


高橋も黙る。


エアコンだけが唸っている。


店内に少しだけ静かな時間が流れた。


「分からんな」


正直に答えた。


若い男は少し意外そうな顔をした。


「考えたことないんですか?」


「あるぞ」


「じゃあ何歳までとか」


「ない」


「ないんですか」


「ない」


高橋が笑う。


「昔からそうだ」


「そうなんですか?」


「計画性がない」


「余計だ」


高橋は楽しそうだ。


俺はコーヒーを淹れる。


豆の香りが広がる。


昔は何歳まで働くとか。


老後はどうするとか。


そういうことを考えた時期もあった。


だが人生は大体予定通りにならない。


トレーラーに乗り続けると思っていた。


違った。


結婚すると思っていなかった。


した。


喫茶店を始めるなんてもっと思っていなかった。


今こうしている。


だから。


正直なところ。


未来のことなんてよく分からない。


「でも店閉める日とか考えません?」


若い男が聞く。


俺は窓の外を見る。


夕方の光が差し込み始めていた。


信号待ちの車。


買い物帰りの主婦。


自転車で走る小学生。


いつもの景色だ。


俺は答えた。


「明日も開ける」


若い男が笑う。


「はい」


「来月もたぶん開ける」


高橋が頷く。


「まあな」


「来年もたぶん開ける」


若い男がまた聞く。


「その先は?」


俺は少し考えた。


考えたというより。


言葉を探した。


そして見つけた。


「後悔しそうになったら、その時考える」


若い男が首を傾げる。


「それでいいんですか?」


高橋が先に答えた。


「いいんだよ」


「そうなんですか」


「どうせコイツ、考えても答え出ないから」


「そうだな」


俺も認める。


若い男が笑った。


「認めるんですね」


「認める」


俺はコーヒーを一口飲んだ。


少しぬるくなっている。


「先の話すぎて俺にはわからん」


それが本音だった。


店を閉める日。


仕事を辞める日。


人生の終わり。


そんなものは来た時に考えればいい。


若い頃からずっとそうだった。


トレーラーに乗った時も。


結婚した時も。


子供が生まれた時も。


店を始めた時も。


全部そうだ。


先に正解なんて分からない。


だからその時々で決めてきた。


たぶんこれからも同じだ。


若い男はしばらく黙っていた。


それから小さく笑った。


「マスターらしいですね」


「そうか?」


「そうです」


高橋も頷く。


「そうだな」


俺にはよく分からなかった。


だが。


二人がそう言うならそうなのかもしれない。


その時だった。


ガコン。


店のエアコンが妙な音を立てた。


三人同時に見上げる。


数秒。


沈黙。


そして。


完全に止まった。


店内が静まり返る。


高橋が言った。


「終わったな」


若い男も言う。


「終わりましたね」


俺は天井を見上げた。


そしてため息をつく。


「……後悔しそうになったら考える」


高橋が吹き出した。


若い男も笑う。


店中に笑い声が響く。


どうやら。


その時は今らしい。


ここまで読んでいただきありがとうございます。


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