磯山① 走るのが好き
木曜日だった。
午後の停車場。
窓の外を、一台の大型トラックが通り過ぎていく。
若い男は思わず目で追った。
その隣で、高橋も同じように窓の外を見ている。
「見ちゃいますね。」
若い男が笑う。
「うつる。」
高橋は短く答え、コーヒーを口へ運んだ。
「前もそう言ってましたね。」
「ああ。」
「そんなに磯山さんの影響って大きいんですか。」
高橋は少しだけ考えた。
カップを静かに置く。
「あいつな。」
一呼吸置く。
「仕事が好きだったんじゃない。」
「違うんですか。」
「走るのが好きだった。」
若い男は首を傾げる。
「同じじゃないんですか。」
「違う。」
高橋は笑った。
「あんなに楽しそうにハンドル握る奴、見たことない。」
その笑顔を見ているうちに、若い男の頭にも一人の青年の姿が浮かんできた。
――四十年前。
朝早い運送会社の車庫。
ディーゼルエンジンの低い音が響き始める。
運転手たちは黙々と点検を始めていた。
「おはようございます!」
一人だけ、やけに元気な声が響く。
「朝からうるさい。」
高橋が笑う。
「今日も気持ちいい朝ですよ。」
「昨日も言ってた。」
「昨日も気持ちよかったです。」
周りの運転手たちが笑った。
磯山は自分のトラックの前へ立つ。
タイヤを見る。
灯火類を見る。
荷台を見る。
ぐるりと一周すると、運転席のドアを軽く叩いた。
「今日もよろしく。」
高橋が苦笑する。
「また話しかけてる。」
「毎日乗せてもらいますから。」
「返事するか。」
「今日は機嫌が良さそうです。」
「分かるのか。」
「分かります。」
「俺には分からん。」
また笑いが起きた。
磯山は運転席へ乗り込み、ハンドルを握る。
エンジンを掛ける。
低く響く音を聞いただけで、自然と笑顔になった。
「嬉しそうだな。」
高橋が窓越しに声を掛ける。
「嬉しいですよ。」
「まだ仕事始まってないぞ。」
「だからですよ。」
「だから?」
「これから走れるじゃないですか。」
高橋は呆れたように笑った。
「お前は変わってる。」
「そうですか?」
「普通は仕事か……って顔する。」
「もったいないですよ。」
「何がだ。」
「毎日走れるのに。」
高橋は肩をすくめた。
点呼が終わり、それぞれのトラックが車庫を出ていく。
朝日に照らされた道路を、二台の大型トラックが並んで走る。
信号で止まった。
窓を開けると、夏の風が流れ込んでくる。
「高橋。」
「なんだ。」
「この仕事、いい仕事ですね。」
「急にどうした。」
「毎日景色が違う。」
磯山は前を見たまま続ける。
「毎日違う人に会う。」
「毎日違う道を走る。」
「飽きません。」
高橋は少し笑った。
「お前らしいな。」
「そうですか。」
「ああ。」
信号が青に変わる。
二台のトラックはゆっくりと走り出した。
その背中を朝日が照らしていた。
夕方。
会社へ戻ると、運転手たちが疲れた顔で降りてくる。
「今日は遠かったなぁ。」
「腹減った。」
「腰が痛い。」
そんな声が飛び交う中で、磯山だけが笑っていた。
「今日も楽しかったですね!」
「毎日それ言うな。」
高橋が笑う。
「だって毎日楽しいですから。」
「飽きないのか。」
「飽きません。」
そう言って、自分のトラックを振り返る。
その顔は、朝と同じ笑顔だった。
高橋はその横顔を見ながら思った。
本当に、走ることが好きなんだな。
――現在。
高橋はコーヒーを一口飲んだ。
「だからな。」
若い男が顔を上げる。
「会社を作った理由も、たぶんそこなんだ。」
「走ることですか。」
「ああ。」
高橋は静かに笑った。
「もっと、走りたかったんだよ。」
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