外伝28 おかわり
午後。
カラン。
「こんにちは。」
「おう。」
若い男はいつもの席に座った。
コトッ。
何も言わなくてもコーヒーが置かれる。
「ありがとうございます。」
「今日は暑いな。」
「外、三十度超えてました。」
「そうか。」
会話はそこで終わる。
店の中には扇風機が回る音だけが聞こえていた。
若い男はゆっくりコーヒーを飲む。
時計を見る。
急ぐ予定もない。
誰かを待っているわけでもない。
ただ、ここにいた。
カップが空になる。
若い男は窓の外を見る。
蝉が鳴いていた。
少し迷う。
「……あの。」
「うん?」
「もう一杯、いいですか?」
マスターは少しだけ驚いた顔をした。
「珍しいな。」
「今日はなんだか、まだ帰りたくなくて。」
「そうか。」
マスターは黙って豆を挽き始める。
ゴリ、ゴリ、ゴリ。
静かな店に心地よい音が響く。
高橋が新聞を畳む。
「二杯目か。」
「はい。」
「寝られなくなるぞ。」
「まだ昼ですよ。」
「そういう問題じゃない。」
若い男は笑う。
「高橋さんは二杯飲まないんですか?」
「飲まん。」
「どうしてです?」
高橋は少し考えた。
「一杯目は味わう。」
「二杯目は贅沢だ。」
「贅沢?」
「俺には一杯で十分だ。」
若い男はマスターを見る。
「そういうものなんですか?」
マスターは静かに首を横に振る。
「違う。」
「違うんですか?」
「高橋は。」
「ケチなだけだ。」
店の中に笑いが広がる。
高橋も笑った。
「否定はせん。」
二杯目のコーヒーが置かれる。
湯気がゆっくり立ち上る。
若い男は一口飲んだ。
「……あ。」
「どうした。」
「一杯目より、おいしい気がします。」
マスターはカップを拭きながら答えた。
「気のせいだ。」
高橋が言う。
「違うな。」
若い男が見る。
「なんですか?」
「一杯目はコーヒーを飲みに来た。」
「二杯目は。」
少し間を置く。
「帰るのが惜しくなった。」
若い男は何も言わなかった。
その代わり、
もう一口、ゆっくりコーヒーを飲んだ。
店の時計が静かに時を刻む。
誰も急がない。
誰も追い立てない。
そんな午後も、
悪くなかった。
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