伊藤⑤ 居場所
若い男は老人に聞いた。
「伊藤さん。」
「ん?」
「どうして皆さん、仕事が終わると整備工場へ集まってたんですか。」
老人は少し考えてから笑った。
「さあな。」
「誰かが呼んだわけじゃない。」
「気付いたら来てた。」
若い男も笑う。
「高橋さんらしいですね。」
「違う。」
老人は首を振った。
「高橋だけじゃない。」
「磯山も。」
「柴田も。」
「マスターも。」
「誰かが来ると、また誰かが来る。」
「そんな感じだった。」
◇
工場のシャッターは半分開いていた。
仕事は終わっている。
工具も片付いている。
それでも帰る者はいなかった。
高橋は缶コーヒーを飲みながら新聞を読んでいる。
「仕事終わったのに新聞ですか。」
柴田が笑う。
「家で読め。」
「家だと落ち着かん。」
「ここだと落ち着くんですか。」
「落ち着く。」
高橋は即答した。
そのやり取りを聞きながら、磯山はトラックの下をのぞき込んでいる。
「おい。」
伊藤が声を掛ける。
「もう終わったぞ。」
「分かってます。」
「ちょっと気になって。」
「仕事病だな。」
「そうですね。」
本人も笑っていた。
マスターは工場の隅で缶コーヒーを飲んでいる。
誰かが話せば笑う。
誰も話さなければ黙っている。
それで十分だった。
伊藤は、その光景を見回した。
帰ればいい。
そう思った日は、一度や二度じゃない。
だが。
帰れとは言えなかった。
来るなとも言えなかった。
ここへ来ると、みんな少しだけ肩の力が抜けていた。
その顔を見ていると。
追い返す理由なんて、一つもなかった。
◇
「別に。」
老人は静かに言った。
「面倒見てやろうなんて思ったことはない。」
若い男は少し驚く。
「そうなんですか。」
「ああ。」
「勝手に来て。」
「勝手にしゃべって。」
「勝手に笑って。」
「勝手に帰る。」
老人は苦笑した。
「それだけだ。」
若い男もつられて笑う。
「でも。」
「それだけの場所って、意外と無いですよね。」
老人は答えなかった。
ただ、静かにコーヒーを飲んだ。
店内にはジャズが流れている。
誰も急がない。
誰も追い立てない。
若い男は店内を見回した。
整備工場と停車場。
場所は違う。
時代も違う。
それでも。
どこか同じ空気が流れている気がした。
老人は最後の一口を飲み干す。
「居場所ってのはな。」
若い男が顔を上げる。
「作ろうと思って作るもんじゃない。」
「気付いたら、そうなってるもんだ。」
その言葉に。
カウンターの中でカップを磨いていたマスターが、小さく笑った。
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