高橋④
木曜日だった。
午後の停車場。
高橋はいつもの席で新聞を広げていた。
若い男はコーヒーを飲みながら聞く。
「会社を作るって決めて、それからどうしたんです?」
高橋は新聞をたたむ。
「まず辞めた。」
「あっさりですね。」
「辞めないと始まらん。」
若い男は苦笑いした。
確かにそうだ。
「でも会社って、すぐ始められるものなんですか?」
「始まらん。」
高橋は即答した。
「事務所もない。」
「車もない。」
「客もない。」
「金もない。」
「何もなかった。」
店内に少し笑いが広がる。
「じゃあ、どうしたんです?」
高橋は少し昔を思い出すように目を細めた。
「まず中古のトラックを探した。」
「中古ですか。」
「ああ。」
「新車なんか買えん。」
若い男は想像する。
若い四人が、中古車屋を歩き回る姿を。
「いいの見つかったんですか?」
「ボロだった。」
「え?」
「でも走った。」
高橋は笑う。
「走れば仕事はできる。」
その時だった。
カウンターの中からマスターが一言。
「オイルは食ってた。」
高橋が吹き出す。
「食ってたな。」
「毎日減る。」
若い男も笑う。
「大丈夫だったんですか?」
「毎日見てたからな。」
マスターはカップを磨きながら言う。
「止まらなかった。」
「それなら十分だ。」
若い男は思った。
この人らしい答えだった。
高橋は続ける。
「問題は仕事だった。」
「仕事ですか。」
「ああ。」
「車があっても仕事がない。」
「走れない。」
店内が静かになる。
若い男も自然と真剣になる。
「それで?」
高橋はコーヒーを飲む。
「ある日。」
「伊藤さんが来た。」
若い男は頷いた。
整備工場の老人。
「一台運べるか。」
「そう聞かれた。」
「もちろん。」
「お願いしますって答えた。」
「それが最初ですか。」
「ああ。」
高橋は懐かしそうに笑った。
「たった一台。」
「でも。」
「嬉しかった。」
若い男はその一言が妙に印象に残った。
高橋は続ける。
「仕事が終わってな。」
「四人で缶コーヒー買って。」
「整備工場の前で飲んだ。」
「それだけだった。」
「でも。」
「会社になった気がした。」
若い男は何も言えなかった。
マスターが静かに口を開く。
「缶コーヒー一本。」
「うまかったな。」
高橋が笑う。
「あれはうまかった。」
二人とも、それ以上は語らない。
若い男は思う。
大きな成功じゃない。
何百万円の契約でもない。
たった一台。
缶コーヒー一本。
それだけで、人は嬉しくなれるんだ。
高橋は新聞を広げた。
「最初なんてそんなもんだ。」
若い男もコーヒーを飲む。
窓の外ではトラックが一台走っていった。
その音を聞きながら、若い男は壁の写真を見上げる。
大勢の仲間が笑っている。
その中に、
マスターも、
高橋も、
磯山も、
佐伯もいる。
そして。
写真には写っていない柴田も、
あの日、確かにその場にいた。
一枚の写真の向こうには、
まだ話していない思い出が、
いくつも残っているようだった。
あの日の笑顔にも、
きっと理由があった。
その理由を知っている人は、
今日も停車場でコーヒーを飲んでいた。
少し修正しました。
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