高橋③
木曜日だった。
午後の停車場。
窓から差し込む柔らかな陽射しの中、高橋はいつもの席で新聞を読んでいる。
若い男はコーヒーを飲みながら、壁の集合写真を見上げていた。
トレーラーの前。
大勢の社員が笑っている。
その中に若い頃のマスター。
高橋。
細身の磯山。
後列には腕を組んだ佐伯。
そして。
その写真を撮った柴田だけは写っていない。
先週、高橋から聞いた話を思い返す。
みんな同じ運送会社で働き、隣の伊藤整備工場に助けられながら、毎日トラックを走らせていた。
若い男は高橋へ向き直る。
「その会社には、ずっといたんですか?」
高橋は新聞をゆっくり閉じた。
「いや。」
短く答える。
「辞めた。」
「え?」
「みんなでな。」
若い男は思わず聞き返した。
「みんなで?」
「ああ。」
高橋は写真を見上げる。
その目は、少しだけ遠くを見ていた。
「仕事が終わってな。」
「伊藤整備工場の横で、四人で缶コーヒー飲んでた。」
若い男の頭に、その景色が浮かぶ。
夕焼けに染まる車庫。
仕事を終えたトラックが静かに並び、四人は何も話さず缶コーヒーを飲んでいる。
そんな沈黙を破ったのは、磯山だった。
――俺さ。
――運転の仕事、やっぱり好きなんだ。
高橋は静かに笑う。
「今思えば、あそこからだったな。」
少し間を置いて続けた。
――会社に言われて走るのも悪くない。
――でも、自分たちで仕事してみたい。
「柴田がすぐ笑ってな。」
――俺も好きだ。
――毎日走ってても飽きない。
「俺も同じだった。」
若い男は自然と尋ねる。
「マスターは?」
高橋は苦笑した。
「缶コーヒー飲みながら、黙って聞いてた。」
その時だった。
カウンターから声が聞こえる。
「そんなこともあったな。」
若い男が振り向く。
マスターはカップを磨きながら、小さく笑っていた。
「聞いてたんですか?」
「聞こえる。」
高橋が声を出して笑う。
「昔からそうなんだ。」
「人の話は最後まで聞く。」
「自分からは、あまり喋らない。」
若い男もつられて笑う。
確かに、今も何ひとつ変わっていない。
高橋はコーヒーを一口飲み、あの日の続きを話し始めた。
「それで、磯山が言った。」
――なあ。
――会社、作ってみないか。
店の中が静かになる。
若い男は息をのんだ。
「すごい話ですね。」
「勢いだけだったよ。」
高橋は照れくさそうに笑う。
「金もない。」
「客もない。」
「トラックもない。」
少し間を置いて、高橋は肩をすくめた。
「あるのは免許だけ。」
若い男は思わず笑う。
「無茶ですね。」
「若かったからな。」
そう言って、高橋はコーヒーを飲む。
「あの時、不思議だった。」
「誰も反対しなかった。」
「マスターも?」
「ああ。」
高橋は頷く。
「あいつは缶コーヒーを飲み終えて、一言だけ言った。」
若い男は身を乗り出す。
「何て言ったんですか?」
高橋は懐かしそうに笑う。
「『そうか。』」
「それだけですか?」
「それだけ。」
若い男は思わず笑った。
高橋も笑う。
「あれで十分だった。」
カウンターでは、マスターが静かにカップを磨いている。
あの日も。
今日も。
きっと何も変わっていない。
若い男は壁の写真を見上げる。
笑っている四人。
いや。
写真には写っていない柴田も、その場にいた。
一枚の写真の向こうには、
まだ話していない思い出が、
いくつも残っているようだった。
少し修正しました。
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