外伝18 全国1位
夕方だった。
カラン。
ドアベルが鳴る。
若い男が店に入る。
「こんにちは」
「おう」
マスターが答える。
だが今日は少し様子が違った。
店内が賑やかだった。
高校生が三人。
男子二人。女子一人。
見覚えがある。
以前、簿記講座を受けていた生徒たちだった。
店の奥にはホワイトボード。
マスターが何かを説明している。
「だからな」
ホワイトボードに線を引く。
「三月分の家賃を四月に払った場合」
「うん」
「三月に発生した費用なのに」
「うん」
「まだ払ってない」
高校生たちが頷く。
すると。
珍しくマスターが続けた。
「この部分は企業会計原則にも書かれている」
高校生たちが顔を上げる。
マスターはホワイトボードに書く。
未払費用
そして言った。
「一定の契約に従い、継続して役務の提供を受ける場合」
「すでに提供された役務に対して」
「いまだその対価の支払が終わらないものをいう」
店内が静かになる。
高校生たちは必死にノートを取る。
若い男も思わず聞いていた。
マスターは続ける。
「だから」
「未払金と区別しなければならない」
一呼吸置く。
「だから未払費用」
沈黙。
高校生たちが顔を見合わせる。
若い男もマスターを見る。
マスターは平然としていた。
女子高生が手を挙げる。
「マスター」
「なんだ」
「今日めっちゃ喋りますね」
店内が笑いに包まれる。
マスターは少し考える。
「そうか?」
「そうです」
男子生徒が言う。
「三行以上喋ってました」
「数えてたのか」
若い男も笑う。
「俺も初めて聞きましたよ」
「そうか」
マスターはホワイトボードに向き直る。
「じゃあ続きやるぞ」
「逃げた!」
高校生たちが騒ぐ。
マスターは無視してペンを走らせる。
経過勘定だった。
若い男は席に向かう。
その途中で。
マスターがコーヒーを持ってくる。
「どうぞ」
「頼んでません」
「知ってる」
いつもの流れだった。
高校生たちが笑う。
もう慣れている。
若い男はコーヒーを飲む。
そして聞いた。
「マスター」
「なんだ」
「なんでそんなに色々知ってるんですか?」
高校生たちも聞いている。
マスターは少し考える。
「いろいろやったからな」
若い男が笑う。
「またそれですか」
「本当だ」
「簿記も」
「やった」
「大型も」
「やった」
「Excelも」
「やった」
「コーヒーも」
「やってる」
確かにそうだった。
若い男は少し考える。
そして聞いた。
「学生の頃は成績優秀だったんですか?」
高校生たちが身を乗り出す。
マスターは腕を組む。
少し考える。
「中学の時に実力テストってあったろ?」
高校生たちが頷く。
「あります」
「俺の頃もあった」
マスターは続ける。
「全国順位が出るやつだ」
若い男も思い出す。
「あったなぁ」
マスターはコーヒーを一口飲む。
そして言った。
「それで一位だった」
──静まり返る。
「え?」
「全国?」
「一位?」
高校生たちが固まる。
若い男も固まる。
「マジですか」
「マジだ」
女子高生が身を乗り出す。
「何の教科ですか!?」
マスターは答える。
「理科」
「天才じゃん!」
「すげぇ!」
一気に騒がしくなる。
だがマスターは平然としていた。
「満点だっただけだ」
「はい?」
「満点取ると一位タイだからな」
静かになる。
若い男が吹き出す。
「それ先に言うやつですよ!」
「事実だ」
「いやでも順番!」
「聞かれなかった」
マスターは真顔だった。
高校生たちも笑う。
そして若い男が聞く。
「高校は?」
マスターは即答した。
「下から二番目だ」
──今度は完全に止まる。
「え?」
「え?」
「え?」
高校生三人の声が揃う。
若い男も同じ顔だった。
「なんでですか」
マスターは少しだけ笑う。
珍しかった。
「高校生活はな」
「うん」
「楽しすぎたんだ」
高校生たちが爆笑する。
「ダメじゃん!」
「何やってたんですか!」
「勉強しろよ!」
店内が一気に賑やかになる。
マスターは苦笑い。
「いろいろだ」
「絶対遊んでたでしょ!」
「遊んでたな」
「認めた!」
さらに笑いが起きる。
しばらく騒ぎが続く。
やがてマスターが手を叩く。
パン。
「ほら」
静かになる。
「経過勘定に戻るぞ」
「はーい」
「勉強しろ」
男子生徒が言う。
「でも高校生活も楽しみたいです」
マスターは頷く。
「それでいい」
「え?」
「ただな」
一拍。
「下から二番目はおすすめしない」
一瞬の静寂。
そして。
店内は笑いに包まれた。
喫茶店なのに。
今日もだった。
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