外伝13 最初に考えるな
午後だった。
カラン。
ドアベルが鳴る。
だが。
いつもより元気がない。
若い男が入ってきた。
肩を落としている。
顔も暗い。
足取りも重い。
高橋が新聞から顔を上げた。
「どうした」
若い男は答えない。
「マスター…」
声にも元気がなかった。
マスターは棚の整理をしている。
若い男の方は見ない。
そして言った。
「うちは喫茶店だ」
若い男は顔を上げる。
「まだ何も言ってません」
「言わなくても分かる」
高橋が吹き出した。
⸻
若い男は席に座る。
頼んでもいないコーヒーが置かれる。
「どうぞ」
「頼んでません」
「知ってる」
いつものやり取りだった。
だが今日は違う。
若い男は深いため息をついた。
「やってしまいました」
「何を」
高橋が聞く。
若い男はしばらく黙っていた。
そして言う。
「甥のおもちゃです」
マスターの手が止まる。
嫌な予感がした。
「パソコン型のおもちゃが壊れまして」
「うん」
「マスターみたいに分解してみたんです」
店の中が静かになる。
「それで」
「直そうと思って」
「うん」
「トドメを刺しました」
高橋が顔を伏せる。
笑いを堪えている。
マスターはゆっくり天井を見上げた。
「そうか」
若い男は頭を抱えた。
「直せると思ったんですよ」
「そうか」
「配線を見れば分かるかなって」
「そうか」
慰める気配はなかった。
⸻
しばらくして。
マスターは棚から離れた。
若い男の向かいに座る。
珍しいことだった。
コーヒーを一口飲む。
そして言った。
「最初に考えたらダメだ」
若い男が顔を上げる。
「考えたんだろ」
「はい」
「なんで壊れたか」
「はい」
「たぶんここだろうって」
「はい」
「だから失敗した」
若い男は黙る。
マスターは続けた。
「最初に観察しろ」
ジャズだけが流れる。
「観察して」
「理解しろ」
「それから考えるんだ」
高橋も新聞を読む手を止めていた。
「どこがどう動いているのか」
「何が原因なのか」
「どんな構造なのか」
「まずそれを見る」
少し間を置いて。
「それからだ」
「どんな道具が必要か」
「どう直せるか」
「考えるのは」
「その後だ」
若い男は苦笑いした。
「逆でした」
「そうだな」
「開けた瞬間から考えてました」
「そうだろうな」
高橋が笑う。
「お前らしい」
若い男は反論できなかった。
⸻
マスターはカップを見つめながら言う。
「そこで考えられないものは直せない」
「どういう意味です?」
若い男が聞く。
「理解できてないってことだ」
「理解?」
「原因が分からない」
「必要な道具も分からない」
「方法も分からない」
「それならまだ早い」
「観察が足りない」
若い男は静かに頷いた。
⸻
しばらく誰も話さなかった。
ジャズだけが流れている。
高橋がぽつりと言う。
「仕事も同じだな」
マスターが頷く。
「だな」
若い男はコーヒーを見つめた。
おもちゃの修理の話だったはずなのに。
仕事も。
勉強も。
人付き合いも。
たぶん同じなんだろう。
まず観察する。
理解する。
考えるのは。
その後。
⸻
帰り際。
マスターが声を掛けた。
「で」
若い男が振り返る。
「はい?」
「そのおもちゃ」
「はい」
「持って来い」
若い男が少し笑う。
「直せます?」
マスターは少しだけ考えた。
そして答えた。
「観察してからだ」
高橋の笑い声が店内に響いた。
若い男も笑った。
少しだけ。
肩の力が抜けたように。
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