外伝12 笑えない冗談
午後の停車場は静かだった。
高橋はいつもの席。
若い男もいつもの席。
マスターはカウンターの中。
ジャズが流れている。
いつもの午後だった。
⸻
カラン。
ドアベルが鳴る。
マスターが顔を上げる。
そして少しだけ目を細めた。
「おう」
入ってきたのは老人だった。
若い男が初めてこの店へ来た日。
「トレーラーを運んでくれ」
そう言って現れた、あの老人だった。
そして。
高橋とマスターを引き合わせた人でもある。
「どうしたんだ?」
マスターが言う。
「しばらく顔出さなかったじゃないか」
老人は豪快に笑った。
「ガハハ!」
そして。
「体調崩して入院してたんだ」
若い男の動きが止まる。
「えっ!?」
思わず声が出た。
「大丈夫なんですか?」
老人は笑う。
「大丈夫じゃなかったから入院したんだ」
返事に困る。
高橋は新聞をめくる。
マスターはいつものようにコーヒーを淹れている。
どうやら二人とも驚いていない。
老人が席に座る。
コーヒーが置かれる。
「頼んでないぞ」
「知ってる」
若い男は少し安心した。
いつもの停車場だった。
⸻
老人はコーヒーを一口飲む。
「やっぱりここのコーヒーだな」
「病院のは飲めたもんじゃない」
「そうか」
マスターが答える。
「死ぬかと思った」
若い男がまた固まる。
高橋は新聞を畳みながら言う。
「死ななかったな」
「残念ながらな」
老人は笑う。
若い男だけが笑えない。
老人は続ける。
「医者に運動しろって言われてな」
「そうか」
「病院の廊下歩いてたら看護師に徘徊扱いされた」
一瞬静かになって。
マスターが吹き出した。
高橋も肩を揺らす。
老人も笑っている。
若い男だけが困った顔をしていた。
「笑い事じゃないですよね?」
老人は頷く。
「そうだ」
少し間を置いて。
「だから笑うんだ」
若い男は老人を見る。
老人はコーヒーを眺めながら続けた。
「笑わんとやってられん」
店の中が少しだけ静かになる。
⸻
「年取るとな」
老人がぽつりと言う。
「体のどっかは毎日壊れる」
高橋が頷く。
「そうだな」
「今日は膝」
「俺は腰」
「俺は肩」
マスターが言う。
若い男が笑う。
「なんですか、その報告会」
三人も笑う。
「若いうちは分からん」
老人が言う。
「分かりたくないですね」
「そのうち分かる」
「嫌だなぁ」
店の中に笑い声が広がった。
⸻
しばらくして。
老人は立ち上がる。
会計を済ませる。
帰り際。
「また来る」
「おう」
マスターが答える。
高橋が言う。
「次は入院前にな」
老人は振り返る。
そして笑った。
「保証はできん」
カラン。
ドアベルが鳴る。
老人は帰っていった。
⸻
静かになった店内。
若い男がぽつりと言う。
「心配しましたよ」
マスターはカップを洗いながら答えた。
「そうか」
「本当に危なかったんでしょ?」
少しだけ手を止める。
そして。
「だから来たんだろ」
若い男は黙った。
入院して。
退院して。
まず顔を出した場所がここだった。
マスターは洗い物を続けながら言う。
「元気だから来たんだ」
それだけだった。
若い男は窓の外を見る。
老人の姿はもう見えない。
でも。
たぶんまた来る。
「保証はできん」
そう笑いながら。
停車場は。
そういう場所だった。
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