外伝9 何も起きない日
午後三時。
カラン。
ドアベルが鳴る。
若い男が店に入る。
「こんにちは」
「おう」
マスターが答える。
「よう」
高橋も答える。
いつもの停車場だった。
⸻
そして。
窓際の席には女子高生がいた。
本を読んでいる。
文化祭の女子高生だった。
制服姿。
アイスコーヒー。
文庫本。
静かな時間だった。
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若い男は少し驚く。
「あ」
女子高生が顔を上げる。
「こんにちは」
「こんにちは」
軽く会釈する。
それだけだった。
若い男は席へ向かう。
高橋の隣。
いつもの席。
座る。
すると。
コーヒーが置かれる。
「どうぞ」
「頼んでません」
「知ってる」
いつもの流れだった。
⸻
若い男はコーヒーを飲む。
そして考える。
今日は面白いことが起きそうだ。
なんとなく。
そんな気がする。
⸻
高橋がいる。
女子高生がいる。
マスターがいる。
役者は揃っている。
何か起きる。
絶対起きる。
そう思った。
⸻
十分後。
何も起きなかった。
高橋は新聞を読んでいる。
マスターはカップを磨いている。
女子高生は本を読んでいる。
若い男はコーヒーを飲んでいる。
以上だった。
⸻
若い男は話しかける。
「何読んでるんです?」
女子高生が本を見せる。
「小説です」
「面白い?」
「面白いです」
会話終了。
⸻
若い男は高橋を見る。
「最近どうです?」
「普通だ」
会話終了。
⸻
マスターを見る。
「何かないんですか」
「何が」
「何かです」
「知らん」
会話終了。
⸻
静かだった。
驚くほど。
ジャズが流れている。
コーヒーの香りがする。
ページをめくる音。
カップを置く音。
それだけだった。
⸻
二十分後。
若い男は少し焦り始める。
何か起きてもいい頃だ。
だが起きない。
⸻
女子高生は本を読んでいる。
高橋は新聞を読んでいる。
マスターはコーヒー豆を挽いている。
⸻
何も起きない。
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三十分後。
若い男は諦めた。
コーヒーを飲む。
窓の外を見る。
空を見る。
店内を見る。
⸻
その時だった。
女子高生が本を閉じる。
若い男は身構える。
来た。
何か来る。
女子高生が立ち上がる。
カバンを持つ。
会計をする。
そして。
「ありがとうございました」
と言った。
「おう」
マスターが答える。
女子高生は帰った。
終わりだった。
⸻
若い男は拍子抜けする。
高橋が笑う。
「何だ」
「いや」
若い男は苦笑いする。
「何か起きるかと思って」
高橋はコーヒーを飲む。
そして言った。
「起きてただろ」
若い男が首を傾げる。
「何がです?」
高橋は窓際の空いた席を見る。
女子高生がいた席だった。
「本読んでた」
「はい」
「お前はコーヒー飲んでた」
「はい」
「俺は新聞読んでた」
「はい」
「それで十分だろ」
⸻
若い男は黙る。
マスターがコーヒーを置く。
頼んでいないおかわりだった。
「店なんてそんなもんだ」
珍しく。
マスターが会話に入った。
若い男はカップを見る。
湯気が立っている。
そうかもしれない。
包丁を研ぐ日もある。
簿記を教える日もある。
おもちゃを直す日もある。
でも。
毎日そんなことは起きない。
何も起きない日もある。
そして。
たぶん。
そういう日のために人は店へ来る。
若い男はコーヒーを飲んだ。
高橋は新聞をめくった。
マスターはカップを磨いた。
外では風が吹いている。
停車場は今日も営業中だった。
何も起きないまま。
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