外伝5 文化祭当日
土曜日だった。
昼前。
停車場は珍しく静かだった。
客はいない。
高橋はいつもの席に座っている。
若い男も窓際にいる。
だが。
マスターがいない。
「本当に行くんですか」
若い男が聞く。
高橋はコーヒーを飲む。
「知らん」
「聞いてません?」
「聞いた」
「で?」
「面倒だから行かないって言ってた」
若い男は頷いた。
それは想像できる。
その時。
店の奥からマスターが出てきた。
なぜかジャケットを着ている。
高橋が見る。
若い男も見る。
マスターは見られていることに気付く。
「なんだ」
「行くんですか」
若い男が聞く。
「どこに」
「文化祭」
「行かない」
即答だった。
だが。
車のキーを持っている。
高橋が言う。
「ほう」
「何だ」
「行かないのか」
「行かない」
「その格好で」
「たまたまだ」
高橋は笑う。
若い男も笑う。
マスターだけが真顔だった。
十分後。
停車場は閉まっていた。
三人とも高校へ向かっていた。
⸻
近所の高校は文化祭で賑わっていた。
校門には派手な看板。
生徒たちの声。
焼きそばの匂い。
吹奏楽の音。
若い男は少し懐かしくなる。
高橋は特に何も思っていない顔だ。
マスターは帰りたそうな顔をしている。
「帰るか」
「まだ入ってません」
若い男が言った。
その時。
遠くから声が飛んできた。
「あーーーーっ!!」
嫌な予感がした。
マスターもしたらしい。
振り向こうとしない。
だが無駄だった。
女子高生が全力で走ってくる。
「来てくれた!」
「帰る」
「帰らないで!」
腕を掴まれる。
完全に捕まった。
高橋が横で笑っている。
若い男も笑っている。
「ほら」
女子高生が言う。
「こっちです!」
マスターは半ば引きずられるように校舎へ連れていかれた。
⸻
二年三組。
教室の前には大きく書かれている。
『喫茶たんぽぽ』
ネーミングセンスについては触れない。
店内は満席に近かった。
思ったより繁盛している。
「へぇ」
若い男が感心する。
女子高生は誇らしそうだ。
「頑張ったんです」
すると。
教室の奥から男子生徒が出てきた。
「あっ!」
そして。
大きな声で言った。
「マスター来たぞ!」
嫌な予感しかしない。
教室中の視線が集まる。
マスターが止まる。
逃げるタイミングを失った。
「この人です!」
女子高生が言った。
やめろ。
若い男は心の中で思う。
だが遅かった。
「コーヒー教えてくれた人!」
拍手が起こった。
マスターが固まる。
高橋が吹き出した。
若い男も耐えられなかった。
「紹介されてますよ」
「聞こえてる」
マスターは本気で困っていた。
⸻
席に案内される。
当然のように三人分。
女子高生がコーヒーを持ってくる。
緊張している。
「どうぞ」
マスターの前にカップが置かれる。
教室中が見ている。
完全に試験官だった。
女子高生もそれに気付いている。
「……」
「……」
沈黙。
高橋が笑いを堪えている。
若い男は面白くて仕方ない。
マスターがカップを持つ。
一口飲む。
女子高生が固まる。
周囲も固まる。
静かになる教室。
そして。
マスターが言った。
「うまいな」
女子高生の顔が一気に明るくなった。
周囲から歓声が上がる。
男子生徒たちがガッツポーズをする。
まるで試合に勝ったみたいだった。
若い男は笑った。
高橋も笑った。
マスターだけが少し困った顔をしている。
だが。
どこか嬉しそうでもあった。
⸻
帰り道。
三人は校門を出る。
秋の風が吹いていた。
若い男が言う。
「良かったじゃないですか」
「何が」
「喜んでましたよ」
マスターは答えない。
高橋が言う。
「お前も嬉しかったろ」
「別に」
「嘘つけ」
「別にだ」
しばらく歩く。
そして。
マスターがぽつりと言った。
「ちゃんと練習したんだろうな」
若い男が笑う。
高橋も笑う。
その一言で十分だった。
⸻
夕方。
停車場はいつも通り営業していた。
カウンターの隅に紙袋が置かれている。
女子高生たちからのお礼だった。
中にはクッキーが入っていた。
手書きのメモもある。
『ありがとうございました』
マスターは何も言わない。
ただ。
そのメモを捨てなかった。
引き出しの中へしまっただけだった。
たぶん。
しばらく残るのだろう。
本人は認めないだろうけど。
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