外伝4 お願い
昼を少し過ぎた頃だった。
カラン。
ドアベルが鳴る。
若い男が店に入る。
その直前。
店の中から聞こえた。
「お願い!」
若い女の子の声だった。
勢いのある声。
懇願するような声。
だが。
若い男は意味も分からずそのまま扉を開けた。
カランカラン。
少し大きな音が店内に響く。
そして。
店の空気が止まった。
マスター。
そして女子高生。
二人の視線が同時にこちらへ向く。
若い男だけが状況を理解していない。
「こんにちは」
とりあえず挨拶する。
誰も返事をしない。
数秒。
沈黙。
若い男は少し後悔した。
入るタイミングを間違えた気がする。
カウンターには女子高生が座っていた。
見覚えはない。
簿記講座の時にいた三人とも違う。
制服姿。
短く切った髪。
真面目そうな顔。
だが今は少しだけ必死な表情をしている。
目の前にはグラス。
透明な炭酸飲料らしい。
コーヒーではない。
そして。
マスターは腕を組んでいる。
嫌な予感がした。
若い男は静かに席へ座る。
すると。
いつものようにコーヒーが置かれた。
「どうぞ」
「頼んでません」
「知ってる」
少し安心した。
いつも通りらしい。
女子高生が再び口を開く。
「だからお願いです」
マスターは首を振る。
「無理だ」
「なんでですか」
「無理だからだ」
話が進まない。
若い男は聞き耳を立てる。
聞こえないふりをしながら。
女子高生が身を乗り出した。
「絶対マスターが適任なんです!」
「違う」
「違いません!」
「違う」
「違いません!」
まるで押し問答だった。
若い男はコーヒーを飲む。
状況は全く分からない。
だが。
面白そうだ。
女子高生は机を軽く叩いた。
「みんなもそう言ってます!」
「みんなって誰だ」
「みんなです!」
説明になっていない。
マスターは深いため息をついた。
「先生に頼め」
「断られました」
「校長に頼め」
「もっと無理です」
「親に頼め」
「それも違います」
若い男は吹き出しそうになる。
マスターも困っているらしい。
珍しい。
女子高生は真剣そのものだった。
そしてついに言った。
「文化祭なんです!」
店内が静かになる。
若い男はカップを置いた。
文化祭。
なるほど。
何か頼み事らしい。
だが。
それならなぜマスターなのか。
女子高生は続ける。
「クラスで喫茶店やるんです!」
マスターが目を閉じる。
嫌な予感しかしない顔だった。
「だから!」
女子高生が言う。
「コーヒーの淹れ方を教えてください!」
若い男は吹き出した。
マスターは天井を見上げた。
なるほど。
そういうことか。
女子高生は必死だ。
「お願いします!」
「断る」
「なんで!」
「面倒だから」
「そこをなんとか!」
若い男は笑いを堪える。
マスターは本気で面倒そうだ。
だが。
女子高生も諦める気がない。
十分。
十五分。
二十分。
押し問答は続いた。
そして。
マスターが負けた。
「一回だけだぞ」
女子高生が立ち上がる。
「本当ですか!?」
「一回だけだ」
「ありがとうございます!」
深々と頭を下げる。
マスターは頭を掻いた。
完全に根負けだった。
女子高生は炭酸飲料を飲み干す。
満面の笑みだった。
会計を済ませる。
帰り際。
元気よく頭を下げる。
「また来ます!」
「来るな」
「来ます!」
そして帰っていった。
ドアベルが鳴る。
静かになる店内。
若い男が聞く。
「文化祭ですか」
「らしいな」
「教えるんですか?」
マスターはしばらく考えた。
そして答える。
「後悔しそうになったら断る」
若い男は吹き出した。
「もう引き受けたじゃないですか」
「そうだったな」
珍しく。
本当に珍しく。
マスターは少しだけ笑っていた。
窓の外では。
平日の午後の日差しが街を照らしていた。
どうやら停車場は。
また一つ面倒事を抱えたらしい。
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