第七章 ゴブリン襲撃、土木で迎え撃つ
ゴブリン。
身長一メートルほどの緑色の魔物。一体一体は弱いが、群れで襲うと厄介。
数、二百。
ヴェスタリア辺境伯領の常駐兵力は、城塞守備隊と合わせても百名ほど。しかも、半数は工事のために前線から下げられている。
「正面突破で迎え撃つしかありません!」
兵長らしき男が叫んだ。
リーンハルトは唇を噛んだ。
俺は街道を見下ろし、地形を観察した。
街道は、城塞の前で細い谷状になっている。両側は斜面。谷の出口に、城壁の建設現場。
「……いける」
俺は呟いた。
「リーンハルト様、提案があります」
「何なりと」
「迎え撃ちません。ゴブリンを、街道のあの谷に誘い込みます。そして、出口を塞ぎます」
「塞ぐ? どうやって」
俺は建設現場を指差した。
「あそこに、未使用の石材があります。あと、足場の解体材。あれを谷の出口に積み上げて、簡易バリケードを作ります。同時に、谷の途中に落とし穴を掘ります」
「落とし穴を、今から?」
「ガロンさん」と俺はドワーフ親方を振り返った。「石工の皆さん、土木作業もできますか」
「馬鹿にするな。石を扱う前は、皆、地面を掘ってきた」
「では、お願いします。落とし穴を、五箇所。深さ二メートル、底に尖った石材。位置はここ、ここ、ここ、ここ、ここ」
俺は地図に印をつけた。
すべて、ゴブリンが走った時に必ず踏む場所。
歩掛――職人一人が一時間でこなせる作業量――を頭の中で計算する。
石工十名、深さ二メートル、面積二平方メートルの穴。およそ二時間で五箇所、いける。
「兵士の皆さんは、谷の両側に弓兵を配置してください。落とし穴で陣形が乱れたところを、上から狙い撃つ」
「な、なるほど……!」
兵長が頷いた。
「リーンハルト様は、僅かな騎兵で囮を。ゴブリンを谷に誘導してください」
「分かりました」
二時間後。
ゴブリンの群れが地響きと共に街道に現れた。
リーンハルト率いる騎兵が一矢を放ち、わざと逃げ始める。ゴブリンたちは雄叫びをあげて追撃する。
谷に入った。
最初の落とし穴。先頭集団がどっと落ちる。続く集団が、その上に折り重なる。
二つ目、三つ目、四つ目――ゴブリンの陣形は、見事に崩れた。
崩れたところに、両側の斜面から矢の雨。
最後尾を、組み上がったバリケードが塞ぐ。
逃げ場のなくなったゴブリンたちは、混乱の中で次々と倒れていった。
戦闘時間、わずか半刻――およそ三十分。
味方の死傷者、ゼロ。
戦闘ではなく、施工管理だった。
ゴブリンたちは、敵としてではなく、計画通りに動いてくれる「予測可能な変数」として処理された。
リーンハルトが俺の傍に駆け寄ってきた。彼女の頬は紅潮し、目には涙が滲んでいる。
「田所殿……これは……」
「土木工事の応用です。地形を作れば、戦闘が変わります」
「我が領は、十年前にも同じ規模のゴブリン襲撃を受けました。あの時の死者、四十七名」
彼女の声が、震えた。
「今回、ゼロ。一人も、死んでいない」
彼女は、街道に倒れたゴブリンたちを見下ろしていた。
その目には、勝利の喜びではなく、もっと深い、もっと静かな、何かが宿っていた。
「私は……今夜、四十七名のご遺族に、報告に行きます」
「報告、ですか」
「『あの時の戦で失った夫が、父が、息子が、もしもう少し早く、賢明な指揮官に守られていたら――生きていたかもしれない』、と。それを、私は、伝えに行きます」
リーンハルトの目に、涙が一筋、流れた。
「許してください。今までの私の指揮では、守れなかったことを」
俺は何も言えなかった。
彼女のこの涙は、誇りある領主の娘が、十年抱えてきた重荷だった。
その時。
ガロン親方が、無言で歩み寄ってきた。
彼は腰の鎚――石工の象徴――を外し、地面に置いた。
石工が鎚を置くというのは、自らの全てを相手に預ける、ということだった。
「人族の旦那」
ガロンは、もう一度、片膝をついた。
「あんたが、わしらの新しい棟梁だ」
他の石工たちも、同時に膝をついた。
兵士たちも、次々と膝をつく。
誰が最初に膝をついたか、誰も覚えていない。
ただ、ひとり、またひとりと、波が広がるように、その場の全員が、俺の前に膝をついていた。
リーンハルトも、深く一礼した。
俺は、何と返事をしていいか分からず、ただ突っ立っていた。
俺はゼネコンで十年、職人たちと現場を共にしてきた。
でも、職人に膝をつかれたことは、一度もなかった。
いつも、頭を下げているのは、俺の方だった。
「すみません、無理を聞いてください」「申し訳ありませんが、明日までに」「お願いします、もう少しだけ」――それが、俺の口癖だった。
誰かに膝をつかれて、何を返したらいいのか、分からなかった。
俺は震える手で、ガロン親方の鎚を、丁寧に拾い上げた。
そして、それを彼の手に、両手で返した。
「ガロン親方。これは、あなたの鎚です」
「……」
「俺たちは、棟梁と職人じゃない。同じ現場の、仲間です」
ガロンは、長い、長い沈黙の後、ゆっくりと、立ち上がった。
彼の目から、一粒、涙が落ちた。
六十年、石を積んできた老石工の、生涯で初めての、誰かに向けた涙だった。
「人族の旦那」
「はい」
「わしの六十年は、あんたに、出会うため、だったかも、しれんな」
夕陽が、城塞の上に沈んでいく。
遠くで、街道の隅に、汚れた服のゴブリンが一匹、震えていた。
そいつは怯えた目で俺を見て、ぴょこんと立ち上がり、北の方角へ走り去った。
俺はその後ろ姿を見送りながら、奇妙な予感に襲われた。
あのゴブリンの目に、知性のような光が一瞬、あった気がした。




