第六章 三日で工程を組み直す
ドワーフの石工親方は、ガロンと名乗った。
六十年、この城壁を積み続けてきた老職人。深い皺の刻まれた顔に、鋭い目。
「人族のオッサンが、わしの段取りに口を出すと言うのか」
ガロンの声は低く、空気が震えた。
周りの職人たちが息を呑む。
俺は怯まなかった。怯む理由がなかった。
怒鳴る職人なら、現場で何十人も見てきた。
「ガロンさん。一つだけ、聞かせてください」
俺は地面に膝をつき、置いてある石材を指で叩いた。
石を叩く時の音は、内部の状態を示す。
澄んだ音なら、内部に空洞がない、健全な石。
濁った音なら、内部に亀裂や水分がある、危険な石。
ぼん、と濁った音がした。
「この石、北東角に積む予定でしたか」
「ああ」
「やめてください。これは表面の風化が進んでいる。北東は冬季の凍結融解が一番きつい箇所です。三冬で剥離する」
ガロンの目が、ぴくりと動いた。
彼は黙って、その石を手に取り、よく見た。
それから別の石を、もう一つ。
「……どこで分かった」
「色です。表面の色が、内部より黒い。風化で水を吸ってる」
ガロンは石を地面に置き、ゆっくりと顔を上げた。
「他には」
「資材置き場の構成も、見直したいです。重量物が脆弱物の上にあると、下が割れる。あと、搬入動線と職人動線が交錯してます。これは事故の元です」
「事故、だと? もう何十年もこの形でやってきたぞ」
「だから、いつか、事故が起きます」
俺は静かに言った。
「現場で誰かが怪我をすれば、その家族の人生が変わります。それだけは、防ぎたいです」
ガロンは長い間、俺の顔を見ていた。
彼の深い皺の刻まれた顔の中で、目だけが、若い職人のように鋭く動いていた。
六十年。六十年、彼はこの石を積んできた。父から教わり、その父も、そのまた父から教わってきた。古いやり方を、ただ守り続けてきた。
その彼の前で、見たこともない人族の若造が、石の色と地面の組み方だけで、改善案を出している。
怒っていいはずだった。
あるいは、無視してもいいはずだった。
でもガロンは、もう一つだけ、確認したいことがあった。
「人族の坊や。あんた、なぜ……『家族』と言った」
「え」
「事故で怪我をすれば、その家族の人生が変わる、と。なぜ、その家族のことを、知らぬあんたが、気にする」
俺は、少し考えてから、答えた。
「俺の世界で、現場で誰かが死ぬと、その家には、その人の写真が一枚、増えるんです。仏壇という、家の中の祭壇に飾る写真です」
「ふん」
「うちの会社は、過去に五人、現場で職人さんを亡くしています。そのご遺族と、毎年、命日にお会いします。子供さんが、毎年、少しずつ大きくなっていく。お父さんが居ない、まま」
俺の声が、少し、震えていた。
「もう、増やしたくないんです。たとえ、知らない人の家族でも」
ガロンは、長く、沈黙した。
それから、ふっと、肩の力を抜いた。
「……人族の坊や。あんた、何者だ」
「ただの、現場のオッサンです」
「もう一度、聞く」
ガロンは膝をつき、額を地面につけた。
古い石工の、最大の敬意の表し方。古代から、人族にも、エルフにも、誰にも見せたことのない仕草。
「あんたは、何者だ」
周りの職人たちが、ざわめいた。
六十年、誰にも頭を下げなかったガロン親方が。
俺はリーンハルトの方を見た。彼女は両手で口を覆い、目を見開いていた。
「ガロンさん、頭を上げてください。俺はただの旅人です。でも、現場の段取りなら、少しだけ知っています」
「教えてくれ。わしらに、新しい積み方を」
「はい。一緒に、組みましょう」
俺は工程表(と呼ぶには素朴な、羊皮紙の図)を広げ、職人たちに説明を始めた。
「まず、ここを最優先で積みます。これが終わらないと、後の工程が全部止まる。クリティカルパス――この線、覚えてください」
「クリティカル……パス」
ガロンが繰り返した。
「最重要経路、と訳します。城壁全体の中で、ここが一日遅れたら、全体が一日遅れる。だから、ここに人を集める。逆に、それ以外はもう少しゆっくりでもいい」
「ここに、人を集める……」
職人の一人が、つぶやいた。
「俺たち、いつも、全部の現場に均等に人を散らしてた。だから、どこも進まなかった」
「そうです」と俺は頷いた。「やるべき場所を一つに絞れば、全体が速くなる」
俺はもう一つの図を、職人たちの前に広げた。
工区ごとの作業順序図。
誰が、どこで、何をするか、明確に書き込んでいた。
「皆さん、一人ずつ、自分の担当を確認してください」
俺は、職人を一人ずつ、名前で呼びながら、担当を伝えた。
ドワーフのバーグ。北東角の基礎石組み。
人族のラルス。胸壁外装の仕上げ。
ハーフリングのトトロ。資材搬入の管理。
名前を呼ばれるたびに、職人たちの表情が、変わっていった。
今までの彼らは、ガロン親方が「お前、あっち手伝え」と指示するだけだった。
自分の役割が、紙の上に、はっきり書かれているのを見るのは、初めてだった。
誰かが、ぽつりと言った。
「俺の名前、ある」
「俺もだ」
「ちゃんと、書かれてる」
彼らの目が、輝き始めた。
現場というのは、不思議なもので、「自分が必要とされている」と感じた瞬間に、人は、生まれ変わる。
俺の世界でも、同じだった。
名もない一職人が、誰かの工程表に「●●さんに、ここをお願いする」と書かれているのを見つけて、急に、目を輝かせて働き出す。
毎度、毎度、同じ現象を、俺は見てきた。
その日の夕方には、職人たちの動きが変わっていた。
翌日、変わっていたのは作業効率だった。
昨日まで、誰がどこにいるか分からない混沌だった現場が、今日は、各担当が、それぞれの持ち場で、黙々と作業している。
二日目、変わっていたのは雰囲気だった。
誰かが、口笛を吹き始めた。
誰かが、隣の作業を見ながら、「いい仕事してるな」と声をかけた。
誰かが、休憩中に、若い職人に石の組み方を教え始めた。
半年間、止まっていた現場が、生き返り始めていた。
三日目の夕刻、リーンハルトは現場の高台から、城塞を見下ろしていた。
「……夢を見ているようです」
彼女は静かに呟いた。
「半年止まっていた現場が、たった三日で、ここまで動き出すなんて」
「動いてただけです。組み直しただけです」
「あなたは、何者なのですか」
「現場のオッサンです」
リーンハルトはふっと笑った。
笑顔を見たのは、初めてだった。
その笑顔が、夕陽に照らされて、震えるほど美しかった。
彼女の銀髪が、西の光を受けて、橙色に染まっていた。
頬が、ほんのり、紅潮している。
青い目が、現場を、しっかりと、見ていた。
「田所殿。父にお会いいただきたい。今夜、辺境伯城へ」
俺は頷いた。
遠くで、警鐘が鳴った。
城壁の見張りが叫んだ。
「ゴブリンの群れ、街道に侵入! 数、二百以上!」




