第十八章 想定外、そして再計画
「やあ、田所くん」
神島が、薄笑いを浮かべて待っていた。
彼の隣には、リーンハルト。後ろ手に縛られている。
「リーンハルト!」
俺は思わず叫んだ。
彼女は、髪が乱れ、頬に擦り傷があった。
でも、青い目は、俺を見て、わずかに頷いた。
「無事です」と、その視線が告げていた。
「彼女、無事だよ。今のところはね」
神島は、剣を抜いた。
「お前、ここに来ると思ってたよ。だってさ、お前は『現場』を見ないと気が済まない男だから」
「神島さん」
「ところで、田所くん。お前がここまで来るのを予想して、俺はいくつか、罠を仕掛けておいたんだ」
神島の声には、長らく仕込んできた計画を、ついに披露できる興奮があった。
彼はずっと、これを、待っていた。
俺が現場に来るのを、罠を発動させる瞬間を、味わうために。
神島が指を鳴らした。
回廊の上部から、岩石が落下し始めた。
「ぐ……っ!」
ガロンが、巨石を盾で受け止める。アリエルが矢で岩を撃ち砕く。
しかし、退路が、塞がれた。
「さあて、田所くん」
神島は嬉しそうに笑った。
「ここで、お前の現場主義とやらを、見せてもらおうか」
俺は冷静に状況を観察した。
退路、なし。
前進路、敵あり。
リーンハルト、人質。
戦力差、五対十。
絶望的に見える。
でも――俺は、現場で何度も、こういう状況に立ってきた。
工事中の現場で、突発的な事態は、必ず起こる。
予期しない地中障害。
突然の悪天候。
職人の急病。
大事なのは、慌てないこと。
今、ある資材で、最善の手を打つこと。
「ガロンさん」
俺は静かに告げた。
「あの天井、二度目の落石は来ません。一度の崩落で、安定構造になりました」
「分かるのか」
「岩の組み方を見れば、分かります」
俺は次にアリエルを見た。
「アリエルさん、神島の右後ろの女、あれが術者です。彼女が魔力を切れば、リーンハルトの拘束も解けます。射抜けますか」
「百歩先でも」
アリエルの声は、揺らがなかった。
千年の弓手の自信。
「お願いします」
俺は最後にラフィカを見た。
「ラフィカさん、リーンハルトを保護してください。アリエルさんの矢が放たれた瞬間、突進を」
「了解」
ラフィカが、ぴんと立てた耳の先で、リーンハルトの位置を測っていた。
獣人最速の身体能力。
矢の飛ぶ速さで、十歩先のリーンハルトに到達できる。
俺は、自分自身に告げた。
神島は、俺が引き受ける。
工程表通り、各班が役割を全うすれば、必ず勝てる。
現場の朝礼で、いつも俺が言っていた言葉。
各班が、それぞれの持ち場を全うする。
全員が同じ計画を理解し、同じタイミングで動く。
それだけで、不可能に見える工事も、できる。
戦も、同じだ。
俺は、ゆっくりと、前に出た。
「神島さん」
俺の声に、神島は嘲笑を浮かべた。
「お、なんだ? 田所くん。一騎打ちでも申し込むのかい?」
「いいえ」
俺は懐から、何かを取り出した。
ハンマー。
ガロン親方からもらった、石工の鎚。
「俺は、戦士じゃありません」
「は?」
「俺は、ただの、現場のオッサンです」
神島が、一瞬、虚を突かれた。
彼は、俺が剣を抜くと、思っていた。
あるいは、何か、勇者にふさわしい武器を構えると。
まさか、石工の鎚を取り出すとは、夢にも思わなかった。
その、一瞬の戸惑い。
それが、神島の最後の油断だった。
次の瞬間、すべてが、同時に動いた。
アリエルの矢が、術者の眉間を貫いた。
彼女が放った矢は、音を立てなかった。
空気を裂く音さえ、しなかった。
ただ、術者の眉間に、突如、矢羽根が生えていた。
ラフィカが、風のような速さでリーンハルトを引き寄せた。
獣人最速の身のこなしは、人間の目では、ほとんど追えない。
神島は、リーンハルトが消えた瞬間も、何が起きたか、理解できなかった。
ガロンが、岩盤に鎚を振り下ろし、足場を作った。
古代石工の眼力で、彼は、岩の弱点を、瞬時に見抜いていた。
俺は――地面を、思いきり叩いた。
地響き。
俺は事前に、足元の岩盤の脆い部分を見抜いていた。
岩を叩く音の違いで、内部の空洞が分かる。
澄んだ音なら、健全な岩盤。
濁った音なら、内部に亀裂か、空洞がある。
神島が立っている場所の下には、明らかに、空洞があった。
これも、現場で身につけた技だ。
神島の足元が、崩落した。
「な、なんだ――!?」
神島は転倒し、剣を取り落とした。
黒い瘴気を纏った剣が、岩盤の隙間に、ぼとり、と落ちた。




