↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
31/54

第30話

エレボスは静かに歩き出した。地下の湿った石畳を踏みしめるたび、音もなく纏った魔力が周囲の気配を探り、わずかな痕跡さえも拾い集めていく。すでに転移陣の残滓はほとんど消えていたが、それでもわずかに残された『歪み』が、術者の位置をぼんやりと指し示していた。


「どこまで仕組まれていた……?」


呟く声は低く、乾いていた。


あの男の最後の言葉、そして口にされた“アーテー”の名。数年前、あの忌まわしき殺人鬼が血で綴った犯行声明。その全てが、まるで“神の啓示”であるかのように語られ始めている。


もし、あの“狂人”が本当に再び動き出しているのだとしたら──そして、それを信仰する連中が動いているのだとしたら──


事態は、あの時を遥かに超えている。


石壁に沿って進んだ先、小さな祠のような空間が現れた。地下墓地に併設された古い信仰施設の一部らしいが、すでに機能はしておらず、風化した石像と、崩れかけた壇が残されているだけだった。


だが、その中央に置かれていたものが、エレボスの目を鋭くした。


それは、歪んだ人間の顔が彫られた仮面。


そして、その周囲に刻まれた“血文字”。


『アーテーに仕える者、ここに集いし時、破滅の鐘は鳴る』


ただの落書きにしては、魔力の残留が強すぎた。誰かが明確な意図を持って“ここ”を用いていた。そして、そこにはひとつの“合図”があった。


地面のわずかな溝。血の流れが一点に向けて彫られている。祭壇に見せかけて、その中央に“何か”を捧げていた痕跡があった。


エレボスは指先で血の痕をなぞり、低く唸る。


「これは……“召喚”か。“模倣”か」


魔術の型は不完全だった。しかし、“完成を急がなかった”形跡がある。つまり、この教団の目的は即時の破壊や支配ではなく──『信仰の拡大』。狂信の中に、冷徹な“計画”が見え隠れする。


その時、後方の気配が揺れた。


反射的に身体をひねり、背後の影へと魔力を叩き込む。


空気が爆ぜ、黒いローブを纏った小柄な人影が吹き飛ぶ。床を転がった先で呻き声をあげるその者は、まだ少年と呼べるほどの年齢だった。


だが、眼だけは違った。


濁っている。恐怖でも憎しみでもない、“信仰”に塗れた眼だ。


「アーテー様に……手を出すな」


震える声ながらも、憎悪に満ちていた。魔法の才能は浅い。だがその小さな身体に、『何か』が宿っている。


「洗脳か……それとも、自ら堕ちたか」


エレボスが近づこうとしたその瞬間、少年の身体が不自然に震え始めた。


皮膚が割れる音。


骨の軋むような音。


「――“融合体”……!」


背中から突き出すのは、まるで虫の脚のような異形の器官。内部に『何か』を埋め込まれている。半ば“キメラ”として、少年は自らの身体を供物にしているのだ。


エレボスは咄嗟に魔力を展開した。


「意識を潰す……これ以上、苦しまなくて済むように」


少年は吠えるように叫び、跳躍する。その一撃は粗雑であっても、身体の硬度と魔力によって殺傷力を備えていた。


エレボスはかわさず、真正面から受け止めた。


ガン、と金属が打ち合うような音が響き、エレボスの前腕に魔力の盾がきらめく。そのまま地面を蹴り上げ、少年の動きを封じる形で足をかけて組み伏せた。


「眠れ……“救い”とは、これを拒むことではない」


魔力が指先から少年の首元へと滑り込む。その力は“破壊”ではなく“静止”。心臓を止めずに、意識のみを断つ。


少年の身体が静かに崩れ落ちた。


ほんの一瞬のうちに終わったその戦いは、残酷な静寂を残していた。


エレボスは倒れた少年をそっと仰向けにし、フードを直してやった。


その顔は、確かに“普通の子供”だった。


「……罪は、お前のものではない」


仮面の奥、声はかすかに沈んでいた。


だが、その沈黙の奥には、確かな『怒り』が息を潜めていた。


この歪んだ信仰の拡がり――根は、深い。


そしてその“核”に、再び“アーテー”の名が絡んでいるのなら――


エレボスは拳を握り直した。


『今度こそ、逃がしはしない』


夜は、まだ終わっていない。

祠を後にしたエレボスの足取りは、以前にも増して静かだった。だがその沈黙の裏には、確かな熱が渦巻いていた。教団の触手は地中に根を張り、既に王都のあちこちへと伸び始めている。しかも、彼らは“人間”を苗床にしていた。


子供までも、迷いなく“供物”にして。


これが、ただの信仰で済む話ではないことは明らかだった。


エレボスは地下回廊を進みながら、掌に宿したままの魔力で壁面をなぞる。血の流れがかすかに染み込んだその石材には、微細な転移痕と儀式の魔紋が刻まれていた。それらは不完全ながらも、あちこちで共通する“文様”を形成している。


「……なるほど。街全体を『陣』に見立てているか」


それは単なる拠点ではない。王都の地下網そのものを使って、教団は何かを“完成させよう”としている。空間そのものが、巨大な器となるなら――その中心である“核”は、既に用意されている可能性が高い。


だが、その“核”の場所だけが、今なお特定できない。


エレボスは地図を頭の中に展開し、既知の転移痕と残滓を繋いでいく。その途中、意識が自然とある一点へと向かう。都市中心部にある、大聖堂跡。かつて信仰の拠点として機能していたその場所は、今は役目を終え、封鎖されたままとなっていた。


「核……そこにあるのか?」


ふと、地下の空気が揺れた。


静寂のなかに、異質な『気配』が混じる。まるで人ならざるものが、岩の奥からこちらを覗いているかのような、粘性のある視線だった。


エレボスは立ち止まり、仮面の奥の瞳を細める。


風は吹かないはずのこの空間で、髪がふと揺れた。直後、突如として壁の一部が“裂けた”。


ぬるりと這い出してきたのは、長く、薄い身体。


それは人の形を模した“何か”だった。腕は二本、足もある。しかし、皮膚は均一な灰色で、目鼻口といった器官が“描かれたように”貼りついている。人間を模した蝋人形のようなその存在が、じわりと立ち上がった。


「……模倣体か。いや、“人間だった”か?」


仮面の下で、エレボスの声が沈んだ。


それは、確かに元は人だった。だが、すでに魂の芯を焼かれている。声を上げることも、言葉を発することもなく、ただ教団の“命令”に応じて動くだけの傀儡。


目の前の敵は、エレボスを見て即座に動いた。


滑るような速さで距離を詰めると、腕を裂くようにして刃を生み出し、一閃。


エレボスは体をひねり、それを紙一重でかわした。刃は背後の岩壁を抉り、火花が散る。


「悪趣味な細工だ」


その声とともに、エレボスの拳が炸裂した。


魔力を宿した掌底が傀儡の腹を砕き、そのまま壁へ叩きつける。だが、それでも敵は止まらなかった。身体を引き裂くようにして背中から“脚”のようなものが生え、蜘蛛のように逆立ち、再び跳びかかってくる。


敵は明確に“殺す”ために作られていた。


一つ一つの動きに感情がなく、ただ『対象の命を奪う』ことだけに特化している。


エレボスは冷静にその動きに付き合った。


拳と拳がぶつかり合い、魔力と肉体が擦れ合い、岩壁を震わせる衝突が幾度も繰り返される。


呼吸すら捨てたような敵に対して、エレボスは『肉体』と『魔』の融合で対抗する。魔力を指先に集めると、それを一気に放出し、敵の腕ごと裂いた。


そこからは血も出なかった。


かわりに、黒い液体のようなものが噴き出し、それが床に落ちて“溶かした”。


「やはり、“異界の核”を埋め込まれているか……」


その核は、教団が外部から取り寄せている未知の素材だった。正式な記録にも存在せず、他の魔術師たちでも研究すらできない。まさに“禁忌”と呼ぶべき物質。


だが、エレボスの拳はそれを恐れなかった。


「──沈め」


低く言い放つと同時に、魔力が爆ぜた。


接近戦特化の圧縮魔撃。それは“力”ではなく“破壊”そのものだった。敵の身体が内側から崩れ、皮膚が破れ、核の部分が露出する。


そこへもう一撃。


エレボスの手刀が真っ直ぐに貫き、その核を抉り取る。


残骸は崩れ落ち、ようやく地下に静寂が戻った。


エレボスは核を掌の中で砕きながら、仮面の奥で静かに息をついた。


「これで、一つ」


だが、周囲の空気が変わっていた。岩壁に刻まれた魔紋が、また新たに浮かび上がる。


まるで、誰かが“こちらを見ている”かのように。


「次は、“迎え撃たれる”番か……」


それでも構わなかった。


仮面の下、微かに口角が上がる。


彼は、あの“男”と再び出会うことを、何よりも待っていたのだから。


夜は、まだ深まる気配を見せていた。

王都の夜は静かだった。

だがその静けさは、死んだ水面のようなものだ。下では濁流が渦を巻き、どこかで必ず――破裂する。


エレボスはその兆しを見逃さない。


地上に戻った彼の視線は、遠く、封鎖された旧大聖堂跡を捉えていた。

かつての信仰の象徴。今では人が寄り付かず、時折鳴る鐘の音さえ風の悪戯と思われている。


しかし、エレボスには聞こえていた。

“何か”があの中で蠢いている音が。


彼は夜の王都を歩く。

瓦屋根に霧が降り、灯火の色をぼやかす中、ひときわ目立たぬ漆黒の影が、音もなく道を進んでいた。


そして、ある小路の奥。


旧市街に近いその一角は、日中こそ市場として賑わうが、夜になればすぐに闇に沈む。

だが、今夜だけは、確かにそこに“光”があった。


地面を照らす淡い赤い光――魔紋だった。

それは誰にも気づかれぬよう、路面の石と石の間に細く、深く刻まれていた。


「……ここも陣の一部か」


低く呟くと、エレボスは膝を折り、その文様に掌を当てる。

魔力の流れを探る。時間はかからなかった。


それは、既に“繋がっていた”。


そして次の瞬間、まるでそれが合図であるかのように――背後から、気配が現れる。


踏みしめられた石畳がきしみ、足音が響く。

ひとつ、ふたつ、みっつ。だが気配は、一人分ではなかった。


仮面の奥でエレボスの瞳が細くなる。


「……匂いが変わったな」


空気の密度が違う。

鉄錆のような、あるいは腐臭のような――生きてはいるが、人ではない。

気配が、にじむように増える。


やがて、闇から現れたのは、数名のフードの男たち。


全員が教団の装束をまとい、顔を隠していた。

だがその手には、剥き出しの“術式”が浮かび、手足の皮膚の下に“別の肉”が蠢いている。


彼らはもう、“人ではなかった”。


その中央。ゆっくりと進み出た男だけが、唯一フードを脱いでいた。

痩せこけた体躯。顔には奇妙な文様が刻まれ、瞳は焦点を結ばぬまま虚空を見ている。だが、口だけは笑っていた。


「我らは、『主の器』を目指す者」


彼は空に向かって腕を広げる。


「この世の理から逸脱し、愚者の咎を背負い、目覚めの時を告げるために」


その言葉が終わる前に、エレボスはすでに動いていた。


魔力を拳に集め、一直線に飛び出す。


前に出た信者の一人が防御の魔法を展開するが、拳の一撃で陣が砕け、肉体ごと吹き飛ぶ。


地面が砕け、信者たちが慌てて術式を描こうとする――が、遅い。


「お前たちは、“器”ですらない」


低い声が響くと同時に、エレボスの蹴りが次の一人の胸を貫く。

魔力で強化された肉体は、刃にも勝る破壊力を持ち、術者の防御を容易に穿つ。


しかし、敵もただの信者ではない。

残った者たちは一斉に詠唱を中断し、自身の肉体を“変異”させ始める。


その背から現れたのは、黒い“羽”。

蜘蛛か、蝙蝠か。あるいは、もっと別の何か。

人の輪郭が歪み、牙と爪が溢れ、眼がいくつも増える。


魔術による肉体変異――『転身の儀式』。


「“主の声”を聞け」


そう叫んだ瞬間、周囲の魔紋が一斉に光を帯びた。

結界だった。そこは、彼らの“聖域”。


その中で、エレボスは包囲されていた。


だが、逃げる気など最初からない。


「貴様らの主など、俺は知らん」


その言葉と同時に、掌が空を裂く。


圧縮した魔力を斬撃に変え、前方を薙ぎ払う。

信者の一人が胴体ごと裂かれ、魔力が暴発し、周囲の術式を巻き込んで爆ぜた。


火花の中、エレボスは地を蹴る。

まるで重力を逆らうように、壁を蹴って跳び、敵の頭上から急降下。

片膝を抱えたまま着地し、衝撃波が地面を砕く。


二人、三人と倒れていく。


だが、その奥であの痩せこけた男が笑っていた。


「ようこそ、“神の眼”へ」


その言葉の意味を問う暇もなく、周囲の空間が歪んだ。


天と地が一瞬逆転し、視界が強制的に塗り潰される。


魔術だ。空間転移型の、恐らく術者本人とリンクしたタイプ。


「逃げる気か」


エレボスは地を蹴る。


だが次の瞬間、男はすでにその場にはいなかった。


術式の残滓が舞い、彼の“転移”が完了したことを示していた。


エレボスはその場に立ち尽くし、ひとつ深く息を吐く。


「……また、見失ったか」


仮面の下の瞳が、再び細くなる。


だが、口元には皮肉のような微笑が浮かんでいた。


「それでいい。まだ、終わらせはしない」


夜風がその背を押し、王都の屋根の向こうに仄かな朝焼けが滲みはじめていた。

だが、闇はまだ、完全には退いていなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。