窮地に陥るのは敵の強さ以上に使えない仲間に原因がある。 味方にこそ敵あり。
「まだまだ遠いな」
隊長が地図を片手につぶやいた。
僕たちの部隊は少し前まで○×国に駐屯していた。
僕は戦争においても得意の語学を生かすことができればと思って通訳に志願し、その任務に就くことになった。
元々海外の文化に興味があり、橋渡しというのはおこがましいけど、日本にはない優れた国外の技術や芸術その他のものを仲介することができればと思い、子供のころから語学に親しんでいたのだ。
活動写真で見た異国の綺麗な女性に恋い焦がれ、我が国とはまるで違う文化に胸を躍らせた。
英語、フランス語、中国語をメインに、その他主要国の言葉であればいくつかは片言程度の語学力があり、そんな知識が積もるほどに自分の、そしてこの国の未来が開けていくような手ごたえを勝手に感じていた。
が、しかし世間は開戦ムードが徐々に高まりつつあり、僕が関心を示している敵性語に対しての風当たりも強くなってきた。
曰く、
「そんな国の文化や言葉に興味を持つな」
と。
学校を卒業した後は東京の貿易会社に就職。
数年働いたところで召集、そして現在に至る。
なお、○×国は戦争に乗じて我が国が一時的に支配していた占領国だった。
しかし隷属されていたことへの不満が最高潮に達した時に乗り込んできた敵対国と手を組んで逆襲され遁走、駐屯していた我が軍の兵隊たちは散り散りとなり大方は行方が知れず、逃げ遅れたものは悲惨な末路を遂げたという風の噂を聞いた。
そのような状況のため、もう○×国に戻ることはできず、現在は国境を越えて中立の隣国から海路で脱出し、△国に駐屯している部隊との合流を目指すという計画を実行している最中なのだ。
そして現在はその途上にある。
この先の目的地に行く道程は二つに分かれていた。
距離は短くなるが地雷原があるとされる高原、そして遠くはなるが安全性の高い山道。
危険は常に身近なのでいち早く安全なところへ行きたいのは山々だがそのためにはリスクがあり、なかなか踏み込めない。
かといって愚図愚図していては敵軍に発見され、駆逐されてしまうこともありうる。
隊長が地図から目を外して行く道を眺めていたが、「うむ」と一言もらしてから切り出した。
「さて、ここからは二通りの行き方があるわけだが、諸君。どちらの道を選んだらいいと思うかね」
隊長が提案してきた。
が、誰もそれに対して返答をしない。
押し黙ったまま隊長の次なる出方を見守っている。
隊長。
年齢不詳。
見た目は三十中頃に見えるが四十後半だとも言われており、実年齢は定かではない。
背景も不明。
政財界の大物の二号の子だとか、はたまた貧農の恥かきっ子だとかいろんな噂が立ってはいるが、これまた事実は謎。
それについての真実を確認するのがはばかれるくらいの厳かな存在感と冷徹さ、そしてこの上なく切れ者であることだけが隊員に共通した認識となっている。
これまでの過酷な行軍で多少の犠牲者を出しているとはいえ、多くの隊員が生きてここまで来ることができたのは隊長のカミソリのような洞察力と判断力、そしてそれを後押しする揺るぎない行動力のおかげといっても過言ではなく、そうでもなければとうに全滅していてもおかしくはなかった。
そんな隊長が意見を求めているのだ。
考えもなしに当てずっぽうなどを言っては、たちまちのうちに厳しい言葉でハチの巣にされてしまう。
やり込められるのは気分に良くないという以上に周りの隊員に対しての示しもつかなくなる。
ダメなやつ、使えないやつという烙印を押されては舐められてしまうからだ。
そういう意味では短い時間での関係しかない敵軍よりも四六時中一緒にいる隊員のほうが、よっぽど危険な存在とも言えた。
窮地に陥るのは敵の強さ以上に使えない仲間に原因がある。
味方にこそ敵あり。
それだけに不用意な発言はできないのだ。
「ふむ、誰も意見はなしか。だがこのままでは何もできないまま日が暮れてしまうわけだが……」
爬虫類を思わせる体温の低い視線で隊員一同を舐めまわしつつ、いったん言葉を切った。
そして、
「山田、お前ならどうするかね?」
と、突然隊員の一人を名指しで意見を求めた。
当の本人は言葉を喉に詰まらせてこわばった表情をしているが、その他の隊員はとりあえず安堵しているようだ。
もちろん自分も含めて。
とはいえ、その後に指名されないとも限らないので予断をゆるさいない状態ではあるのだが。
一人の犠牲が多くの者に幸せをもたらす。
これは戦場、それも敗走時に限って色濃く露わになる。
攻めるときとは違って逃げるともなると多すぎる仲間など足かせにしかならないからだ。
言うまでもないが人が増えるほどに意思の疎通は困難になり、行動も鈍くなる。
また仲間が死ぬことで一人当たりの食料が増え、弾丸の支給量も増し、そしてなぜだがわからないけど終戦が近付いたような錯覚も覚えた。
もちろん分母が減ることで当然次は自分の番では?という危機感もあるのだが、それを凌駕するくらいの幸福を与えてくれる。
敵を十人倒すよりも味方一人いなくなる方がよく思えるのだ。
かなり危険な考えとは思うのだが、いまはそこまで逼迫している。
極限における異常な精神状態なればこその考え方なのかもしれない。
そして当の山田はというと相変わらず隊長からの射抜くような目で見つめられてへどもどとしている。
焦らすでもない、それでいて悠長でもない不思議な隊長の視線は、どことなく百獣の王を思わせる。
彼らも意識して威張っているわけではないのだが皆から畏怖される。
そんな存在感。
「わ、私は高原から抜けるのが良いかと思います」
プレッシャーに耐えられなくなった山田が言った。
「理由は?」
当然の返しがくる。
隊長の尋問は執拗だ。
「は、はい。やはり敵地は危険ですので一刻も早く抜け出すのが良いかと思います」
「地雷原をどう突破するかね」
ここで山田は口ごもった。
碌な考えなしに口にしてしまったのだろう。
「どうするのかね?」
隊長が詰め寄る。
「はい、とりあえず奴隷に高原を先に行かせてどれくらい危険なのかを調べてみてはいかがでしょうか」
とっさの思い付きのような発言ではあったが、意外や隊長はこの案を気に入ったようだ。
山田も安堵の表情を浮かべている。
「ふむ、それは悪くはない。確かに安全なのか危険なのかは試してみないことにはわからんことでもあるからな。して……」
顎をなでつけながら隊長は言った。
「その先導を誰にやらせるかだが。山田、誰がいいと思うかね?」
「わ、私が決めるのでありますか!」
「お前が言ったことなのだから当然だろう」
「そ、それは……」
敵を撃ち殺すことや襲撃した村での略奪、殺戮には躊躇しないくせに、今回に限ってなぜ狼狽するのか?
不思議ではあるがわかることでもある。
戦場での殺しは全体的なもの。
自分の意志以上に他の人間もやっているという連帯感が後押しする、いうなれば他人にやらされているようなものだからだ。
しかし、いま山田が直面していることは違う。
自ら殺す人間を選別しなければならないのだ。
隊長の命令で処刑するほうがまだ気が楽だろう。
なぜならそれは仕方がないこと、俺の気持ちとは関係なくやらざるを得なかったのだ、と無理矢理に納得させることができるから。
「それではその調査員を連れて来い。速やかにな」
まごつく山田に発破をかけた。
間もなくして奴隷たちのいる待機場所に戻った。
異様な雰囲気は伝染する。
人間は身の危険については敏感な生き物だ。
言葉がわからなくても気がつくのだろう。
引き連れられている奴隷たちも暗く沈んだ表情を見せながら小声でなにやら話し合っている。
「敵地は危険なんじゃなかったのか、山田? こうしてお前がもたもたしている間に発見されるかもしれないんだろう?」
隊長にプレッシャーをかけられて、山田は力なく一人の人間を指差した。
指名されたのは三十代の男。
その途端ギョッとした表情となり、なにか良からぬことが始まるのを予感したのであろう。
隊長の命で二人の兵隊に両脇を固められ連行されたときに抗いだしたが、抵抗も空しく待機場所から連れ出されて地雷原の前に放り出された。
隊長は男の姿をじっくりと眺めた。
「さて、それではさっそくこの男に高原の調査を依頼するか。通訳、頼んだぞ」




