第8話 首席の王女と特別枠
何度も見返しても、名前はない。
僕は血の気が引くのを感じた。
母さんとの約束を、うまく守れなかったからだろうか。
外の人は脆いから、力は百分の一で。その言いつけを、どこかで破ってしまったのかもしれない。
それとも、試験用のゴーレムを真っ二つに壊してしまったから、不合格になったのだろうか。
足から力が抜けそうになり、僕はその場に立ち尽くした。
「おい、どうしたティオ。自分の名前、見つけられないのか?」
隣で自分の合格を喜んでいたダンが、僕の顔色を見て不思議そうに首を傾げた。
「ダン。僕の名前、どこにもないみたいです」
「はあ?そんなわけないだろ。ずらりと並んだ名前を、端からよく見ていけば……」
ダンが掲示板に歩み寄り、指でなぞっていく。
しかし、上から下まで何度探しても、僕の名前は見つからない。
「本当だ。ないぞ。なんでだ?筆記も実技もあんなにめちゃくちゃやったのに、落ちるわけが……」
「やっぱり、ゴーレムの弁償ができなかったからでしょうか。村にはお金があまりないから、僕が働くしかないかもしれないです」
「いや、あれは実技教官が弁償しなくていいって言ったんだろ?絶対におかしいぜ。俺、教官たちの部屋に行って聞いてきてやるよ!」
ダンが自分のことのように怒ってくれているのが、少しだけ嬉しかった。
王都でできた、初めての普通の友達だ。
僕がダンの優しさに感動していると、不意に背後から声がした。
「シルト村のティオはいるか」
人だかりを割って、大きくて野太い声が響いた。
見れば、傷だらけの革鎧を着た大柄な男が、こちらに向かって歩いてくる。
実技試験の時にいた、ピュータン先生だった。
周りの受験生たちが、慌てて道を開ける。
「はい。僕です」
僕が手を挙げると、ピュータン先生は僕の前に立ち止まり、深くため息をついた。
「探したぞ。ついてこい。学院長がお呼びだ」
「……が、学院長!?」
僕より先に、ダンが素っ頓狂な声を上げた。
「あの、何か怒られるんでしょうか」
「俺の口からは言えん。いいから来い」
ピュータン先生に背中を押され、僕は掲示板の前から連れ出された。
ダンも心配そうに、僕の後ろを少し離れてついてきてくれている。
王立リーフェン学院の校舎は、外から見るよりもずっと広くて複雑だった。
磨き上げられた大理石の床を歩き、壁に掛けられた立派な絵画や甲冑の前を通り過ぎる。
すれ違う学院の先生たちも、みんな難しそうな顔をしていて、なんだかとても居心地が悪い。
やがて、最上階にある重厚な両開きの木の扉の前に着いた。
扉には、獅子と剣をあしらった王国の紋章が彫り込まれている。
ピュータン先生がノックをすると、中から「入りなさい」と穏やかな声がした。
「失礼します」
部屋の中は、壁一面が本棚で埋め尽くされていた。
奥にある大きな執務机の向こうに、白い髭を長く伸ばした、優しそうなおじいさんが座っている。
ゆったりとしたローブを着ていて、どこかオズ先生に似た雰囲気の人だった。
「よく来てくれましたね。私がこの学院の長を務めている、セオドールです」
「シルト村から来ました、ティオです」
僕が深く頭を下げると、セオドール学院長はにこやかに微笑んだ。
机の上には、見覚えのある僕の答案用紙や、書類の束が置かれている。
「単刀直入に言いましょう。ティオ。君の処遇について、教官たちの間で大変な議論になりましてね」
「すみません。やっぱり、試験用の道具をいくつも壊してしまったからですよね。村に手紙を書いて、少しずつでも弁償しますので……」
「いやいや、そうではないのですよ」
学院長は楽しそうに笑って、手を振った。
「まず筆記試験。君は全問正解の満点でした。それどころか、王宮魔術師の筆頭が十年かけて解読した古代語の魔術文に対し、『第五節の記述に誤りがあり、このままでは暴発する』と指摘してくれました。試験官から報告を受けた魔術師が慌てて確認したところ、まさしく君の言う通りだったのです」
(オズ先生に、いつも問題文は最後までよく読みなさいと怒られていたから、普通に答えただけなのに)
僕が首を傾げていると、学院長はさらに書類をめくった。
「次に鑑定の儀ですが、この学院が百年以上使ってきた鑑定水晶が、君の魔力を測定した直後に砕け散りました。鑑定官は寿命による劣化だと判断したようですが……さて、本当にそうだったのか。私には、どうもそうは思えないのです」
「えっ、そうだったんですか。そんなに大事なものだったなんて……すみません、絶対に弁償しますから……」
「弁償は不要ですよ。あれを壊せるほどの才能に出会えたことのほうが、はるかに喜ばしい」
学院長の目が、鋭く光った気がした。
「そして実技試験は、ご存じの通りです。ピュータン教官が教官会議でどれほど興奮して君のことを語ったか、見せてあげたかったくらいですよ」
読み上げられると、なんだかとても悪いことをしたような気がしてくる。
母さんとの約束を守って、すべて百分の一の力で、普通にやり過ごすつもりだったのに。
「これでは、他の受験生たちと同じ基準で点数をつけることが不可能なのです」
学院長は真剣な顔つきになった。
「よって、私個人の権限により、君を『特別枠』で合格とします」
「と、特別枠、ですか」
「はい。点数では測れない規格外の才能を、学院長直々に入学させるための制度です。ここ何年も使われていませんでしたがね。合格おめでとう、ティオ」
「ありがとうございます!」
不合格じゃない。
それに、弁償の話も出なかった。
僕は心底ほっとして、もう一度深く頭を下げた。
これで、母さんとの約束通り、王都で普通の友達が作れる。
「手続きはピュータン教官に案内してもらいなさい。これから三年間、大いに学び、大いに楽しんでください」
学院長室を出ると、廊下ではダンが壁に張り付くようにして待っていた。
「お、おいティオ。どうだったんだよ。やっぱり退学か?それとも莫大な借金か?」
「いいえ、合格でした。特別枠っていうのになったみたいです」
「と、特別枠!?」
ダンが廊下に響き渡るような大声を上げた。
「嘘だろ!?あれって建前だけの制度じゃなかったのかよ!何年も使われてなくて、もう誰も信じてなかった幻の枠だぞ!?お前、本当に何者なんだよ!」
「ただの村人ですよ。でも、ダンと同じ学院に入れてよかったです。これからよろしくお願いしますね」
「お、おう……俺の心臓が三年持つか心配だけどな……」
ダンが大きなため息をついた、その時だった。
コツ、コツ、と硬い靴音が廊下に響く。
振り返ると、窓から差し込む光を背に受けて、ひとりの女の子が立っていた。
透き通るような美しい金髪を、背中の真ん中あたりで切り揃えている。
年の頃は僕やダンと同じくらいだろう。
仕立てのいい真っ白な制服を着こなし、腰には細身の剣を帯びていた。
柄には美しい細工が施されていて、ゴルドじいちゃんの木剣とは比べ物にならないくらい立派な剣だ。
ただ立っているだけで、周りの空気が引き締まるような、凛とした雰囲気がある。
「あなたが、シルト村のティオね?」
鈴を転がしたような、よく通る声だった。
ダンがその姿を見た瞬間、ひっ、と短い悲鳴を上げて壁に背中を押しつけた。
「ええと、はい。そうですけど」
僕が首を傾げると、彼女はまっすぐにこちらを見据えた。
強い意志を感じさせる、サファイアのような青い瞳だった。
「私はエルナ。エルナ・リーフェンよ。今年の入学試験で、総合第一位になった者よ」
リーフェン、という響きに聞き覚えがあった。
たしか、この国の名前だ。
そして、この王立学院の名前でもある。
「ば、ばばば、馬鹿野郎ティオ!頭を下げろ!」
ダンが僕の袖を激しく引っ張って、強引に僕を平伏させようとした。
「第二王女殿下だぞ!剣も雷魔法も、同い年じゃ誰もかなわないっていう天才の……!俺たちみたいな平民が、気軽に口を利いていいお方じゃないんだよ!」
「王女様なんですか」
僕は驚いて、慌てて背筋を伸ばして深く頭を下げた。
村には王女様なんていなかったから、どう挨拶していいかわからない。
「ご挨拶が遅れました。シルト村から来ました、ティオと申します。エルナ様」
「顔を上げてちょうだい。ここは学院よ。身分は関係ないわ」
エルナ様は毅然とした口調で言って、僕の前にゆっくりと歩み寄ってきた。
間近で見ると、本当に綺麗な顔立ちをしている。
でも、その青い瞳には、なぜか強い悔しさのようなものが滲んでいた。
「私は首席よ。誰よりも努力して、誰よりも強い魔法を身につけて、この場所を勝ち取ったの。実技試験でも、私の雷魔法の右に出る者はいなかった」
「はい。すごいですね。雷の魔法なんて、村では見たことがありません」
「でも、勝ったとは思っていないわ」
エルナ様が、僕をきつく睨みつけた。
「あなたは点数がつけられなくて、順位の外に置かれただけ。私は、あなたと比べてもらえなかったのよ」
エルナ様は、細い指を一本ずつ折っていく。
「古代語の魔術文を読み解き、鑑定水晶を粉砕し、ゴーレムと結界を一撃で両断し、最高位の治癒魔法を無詠唱で行う」
彼女の言葉に、ダンが隣で頭を抱えてしゃがみ込んだ。
こうして並べられると、なんだか僕がすごいことをしたみたいに聞こえてしまう。
「あの、違うんです。僕はただ、少し腰を入れずに薪を割ったり、手当てをしただけで……」
「それを異常だと言っているのよ」
エルナ様が、細い息を吐き出した。
そして、僕の顔を真っ直ぐに覗き込む。
「あなた、何者?」
その真剣な問いかけに、僕は背筋を伸ばして、いつも通り正直に答えた。
「シルト村のティオです」
エルナ様は信じられないものを見るような顔をして、深く、深くため息をついた。




