第7話 手当てしただけです
僕の答えを聞いて、ピュータン教官はしばらく固まっていた。
やがて、大きく息を吸い込むと、頭を抱えて天を仰いだ。
「……もういい。次は魔法の実技だ」
教官の足取りは、どこかふらついていた。
魔法の試験は、剣の試験で使った訓練場の端で行われることになった。
石壁の前に、丸い的がいくつか並べられている。
「次、ティオ。前へ」
魔法担当の試験官に名前を呼ばれ、僕は前へ出た。
「的を狙って、お前の一番自信のある攻撃魔法を放て。威力と詠唱の正確さで評価する」
「すみません」
僕は正直に答えた。
「攻撃魔法は、習っていません」
ざわっ、と受験生たちの間で声が上がった。
「なんだよ、魔法は使えないのか」
「さっきの剣はまぐれだったんじゃないか?」
くすくすと失笑が漏れる。
ヴィクトルさんも、腕を組んで鼻で笑っていた。
「ふん。剣の腕だけは多少あるようだが、やはり貴様のような平民だな。魔法の素養など欠片もないと見える」
でも、本当に習っていないのだから仕方がない。
村では火を起こすのは火打ち石や薪だし、水は井戸から汲む。わざわざ魔法で何かを燃やしたり壊したりする必要なんて、一度もなかったのだ。
試験官が困ったように顔をしかめた。
「攻撃魔法が使えない?それでは実技の評価ができないぞ。何か、少しでもできることを見せろ。生活魔法でもいい」
「できること、ですか」
僕は首を傾げた。
少し離れたところで、ピュータン教官が腕を組んでこちらを見ている。
その教官が、歩くときに左の膝をわずかにかばっているのが、さっきから気になっていた。
「あの、手当てならできます」
僕は教官の前に歩み寄った。
「ピュータン先生。左の膝、痛むんですよね?よかったら、手当てさせてください」
「はあ?俺の膝だと?」
教官は険しい顔で僕を見下ろした。
「これは二十年前、Sランクの魔獣にやられた古傷だ。王都の最高位の治癒師でも治せなかった。お前みたいなガキの生活魔法で、どうにかなるもんじゃねえ」
「でも、少しは楽になるかもしれません。村で、母さんに教わったので」
「……勝手にしろ」
教官は呆れたようにため息をついた。
僕はしゃがみ込み、教官の左膝に両手を当てた。
村で、母さんに手当てを教わった時のことを思い出す。
『いいかいティオ。手当てっていうのはね、魔力を無理やり流し込むんじゃないの』
夕暮れの台所で、母さんは僕のすりむいた膝に手を当てながら言った。
『怪我をした場所が、本来の形に戻りたがってる声を聞くの。それにちょっとだけ、寄り添って力を貸してあげるだけ。あとは体が勝手に治してくれるわ』
母さんが村人たちの怪我や病気を治すのを見て、僕も見よう見まねで覚えた。
もちろん、母さんにはまだまだ敵わないけれど。
僕は手のひらから、ほんの少しだけ魔力を流した。
淡く温かい光が、教官の分厚い革鎧越しに膝を包み込む。
中にある、古く硬くねじ曲がった傷跡が、本来の形に戻りたがっているのを感じる。
僕はその声に合わせて、少しだけ魔力をそっと流し込んだ。
(……うん、これくらいかな)
百分の一の力でも、膝の痛みを取るくらいなら十分なはずだ。
「終わりました」
僕が手を離すと、ピュータン教官は自分の膝を見下ろしたまま、動かなくなった。
「あの、痛かったですか?すみません、手当てはまだ下手で」
返事はなかった。
◇◇◇
――ピュータン
曲がる。
二十年、雨の日には杖なしで歩けなかった膝が、何の引っかかりもなく曲がる。
痛みも、違和感も、完全に消え失せている。
慌てて革鎧の隙間から膝の裏を確認したが、醜く引きつっていた太い傷跡すら、きれいに消滅していた。
生まれたての赤子のように、真新しい皮膚ができあがっている。
王都の最高位の治癒師は匙を投げた。
教会の司祭は、高額な寄付だけ取って首を振る始末。
そんな呪いにも似た古傷を、この坊主は「手当て」と言った。
ほんの数秒、手を当てただけで完治させてしまったのだ。
これは治癒魔法などというチャチなものではない。
肉体の時間を巻き戻すような、神の奇跡だ。
聖女級……いや、それ以上の御業だ。
ゴーレムを真っ二つに割ったあの太刀筋もそうだ。
俺は若い頃、一度だけ似たものを見たことがある。
――あり得ない。あの流派は、十五年前に途絶えたはずだ。
規格外の剣技。そして神の如き治癒魔法。
それが、こんな素朴な村人丸出しの少年に同居している。
背筋に冷たい汗が伝った。
「坊主」
声がかすれた。
「お前、本当に何者だ」
◇◇◇
「シルト村のティオです」
そう答えたら、先生はなぜか再び空を仰いだ。
周囲の受験生たちは、何が起こったのかわかっていないようだった。
魔法担当の試験官だけが、教官の足の動きを見て目をむいている。
「ひ、膝が治ったのか!?あのピュータンの古傷が!?」
「ああ。嘘みたいにな」
ピュータン先生は深く息を吐き出し、僕を見た。
「魔法の実技は、これで十分だ。この坊主には満点をつけておけ」
「ま、満点!?しかし、攻撃魔法は……」
「俺の傷を治したんだ。異議はないな?」
鋭い眼光で睨まれ、試験官は慌てて手元の書類に何かを書き込んだ。
こうして、僕の実技試験は終わった。
試験後、訓練場を出たところで、ダンが駆け寄ってきて僕の肩を激しく揺さぶった。
「お前!なんだよあの剣!それにあの魔法!全然普通じゃねえだろ!」
「えっ、でも、あれはただの薪割りと手当てで……」
「だから、それが普通じゃねえって言ってんだよ!」
ダンは頭を抱え込んで、その場にしゃがみ込んだ。
「俺、お前と一緒にいて心臓が持つか心配になってきた……」
「大げさですね。ダンは面白いです」
僕は笑ってダンの背中を叩いた。
王都の人は本当に反応が大きくて楽しい。
「面白くねえよ!」
それから数日が経った。
僕は王都の安い宿屋に泊まりながら、試験の結果を待つ日々。実家から通っているダンは、毎日のように宿まで遊びに来てくれた。
ギルドの依頼で薬草を採取したり、ダンの実家であるコルト商会の話を聞いたりして過ごすうちに、あっという間に時間は過ぎていく。
ダンは商才のスキルのおかげで、王都の物価や店の評判にすごく詳しい。
同い年の友達と一緒に街を歩くのは、村では知らなかった楽しさだ。
そして、いよいよ合格発表の日を迎えた。
王立リーフェン学院の正門前には、大きな掲示板が立てられている。
そこには、合格者の名前が書かれた白い紙がびっしりと貼り出されていた。
「よし、見てくるぜ!」
ダンが人だかりの中へ飛び込んでいく。
僕は少し離れた場所で、祈るように手を組んでいた。
(村でいちばん弱かった僕でも、王都の学院に入れるだろうか)
百分の一の力で、普通に生活してきたつもりだ。
ゴーレムを壊してしまった時は少し怒られるかと思ったけれど、弁償はしなくていいと言われたし、手当てもピュータン先生の役に立ったみたいだった。
しばらくして、ダンが満面の笑みで戻ってきた。
「あったぞ、ティオ!俺の名前、ちゃんとあった!」
「本当ですか!?よかったですね、ダン!」
僕は自分のことのように嬉しくて、ダンの手を握って喜んだ。
「ああ!お前も早く見てこいよ!」
「はい!」
僕は期待に胸を膨らませて、掲示板の前に立った。
ずらりと並んだ合格者の名前を、上から順番に目で追っていく。
だが、何度見返しても。
僕の「シルト村のティオ」という名前は、掲示板のどこにも書かれていなかった。




