第6話 薪割りの要領で
訓練場は、さっき鑑定の儀を行った講堂がいくつも入りそうなほど広大だった。
見上げれば雲一つない春の青空が広がり、足元には硬く踏み固められた土がどこまでも続いている。
周囲を高い石壁がぐるりと囲むその中央に、鈍い銀色をした鉄の塊のような人形が等間隔で三体、並んで立っていた。
「俺は実技教官のピュータンだ」
傷だらけの革鎧を着た、熊のように大柄な男が前に出た。
無造作に伸ばした髪に、鋭い眼光。首には太い傷跡があり、只者ではない歴戦の冒険者だったことを窺わせる。
ただ、歩くときに左の膝だけをわずかにかばっているのが、少し気になった。
ずしりと重い足音が響くだけで、数百人の受験生たちが息を呑んで静まり返った。
「剣の試験は簡単だ。あの試験用ゴーレムに、お前たちの一番自信のある一撃を入れろ。剣に魔法をまとわせるのは構わん。評価はゴーレムについた傷の深さで決める。魔法の試験はこのあとだ」
ピュータン教官がゴーレムの背後を太い親指で指し示した。
そこには、訓練場を横断するように、半透明の光の壁が張られていた。
「ゴーレムの後ろには、高位の魔術師が張った防御結界がある。万が一、威力が余っても怪我人は出ねえ。手加減はいらん、全力でこい」
名前を呼ばれる前に、ダンが僕の肩を掴んで囁いた。
「いいかティオ、相手はあのヴィクトルだ。水晶の時みたいにまた絡んでくるかもしれないけど、絶対に張り合うなよ。適当にゴーレムを叩いて、やり過ごせ」
「はい、わかりました。適当に、ですね」
僕は素直に頷いた。ダンは本当に親切だ。
「では第一組、ヴィクトルとティオ、前へ」
名前を呼ばれ、僕は前へ出た。
ヴィクトルさんが、取り巻きたちを従えて優雅に歩み出る。
陽の光を浴びて、プラチナブロンドの髪が風に揺れていた。
「ふん。スキルなしの平民と一緒に試験とは、私への侮辱かと思ったが。まあいい、格の違いというものを教えてやろう」
ヴィクトルさんが抜いたのは、柄に赤い宝石が埋め込まれた、見事な装飾の剣だった。
刃は鏡のように磨き上げられ、素人目にもとんでもない業物だとわかる。
「燃え盛れ、爆炎!」
ヴィクトルさんが高らかに詠唱すると、剣身に赤い炎がまとわりついた。
周囲の受験生たちから感嘆の声が上がる。
「あれは火属性の上位魔法だぞ」
「それを剣にまとわせるなんて、さすがは侯爵家の跡取りだ」
ヴィクトルさんは得意げな笑みを浮かべ、気合いと共に炎の剣をゴーレムに叩きつけた。
激しい打撃音と、熱風が訓練場に広がる。
炎が収まると、ゴーレムの胸元には黒く焦げた跡と、指一本ほどの深さの傷が刻まれていた。
「ふん。こんなものだろう」
ヴィクトルさんが剣を鞘に収めると、ピュータン教官が顎を撫でた。
「見事だ。魔法と剣のつなぎがなめらかで、炎の制御も申し分ない。ゴーレムの装甲をここまで焦がすとは、大した威力だぞ。総合評価Aは伊達じゃないな」
「当然です」
ヴィクトルさんは胸を張り、僕の方をちらりと見た。
「さあ、次は貴様の番だ、平民。鑑定水晶を壊しただけのスキルなしが、このゴーレムに傷一つでもつけられるか、見せてもらおうか」
「はい、がんばります」
僕は素直に頷いて、腰の帯に差していた剣を抜いた。
ゴルドじいちゃんが、出発の朝に餞別としてくれた千年樹の木剣だ。
少し曲がっているけれど、手によく馴染む。
それを見た周囲の受験生たちから、くすくすと笑い声が漏れた。
「おい、見ろよ。木剣だぞ」
「いくらなんでも、鉄のゴーレム相手に木剣はないだろう」
「弾かれて自分の腕を折るのが関の山だな」
ヴィクトルさんも鼻で笑っている。
僕は首を傾げた。
村ではずっと、この木剣で薪割りをしていたから、剣といえばこれが普通だと思っていたのだけれど。
外の人たちは、もっと立派な剣で薪を割るのだろうか。
「よし、始めろ」
ピュータン教官の合図で、僕はゴーレムの前に立った。
鉄の塊は、村の裏山にある一番硬い岩よりも硬そうに見えた。
(母さんとの約束は、百分の一、だったよね)
僕は木剣を構えながら、頭の中で計算した。
村の毎朝の薪割りでは、ゴルドじいちゃんにいつも「腰が入っとらん!」と怒られていた。
『剣の道は一日にして成らずじゃ。へっぴり腰で振った剣など、ただの棒切れと同じ。大地に根を張り、腹の底に力を込め、全身を一本の鋼と化してこそ、初めて真の斬撃が生まれる!』
そう言ってじいちゃんが木剣を振ると、薪はおろか、その下にあった分厚い岩の台座まできれいに割れてしまっていた。
あの時は母さんに「また台座を割って!」とひどく怒られていたっけ。
今回は百分の一だから、腰は絶対に入れない方がいい。
足の力も抜いて、棒立ちのままでいいだろう。
手首も固定して、腕の力だけで軽く振る。
これなら、きっと百分の一くらいになるはずだ。
僕は息を短く吐き、腕の力だけで、毎朝の薪割りの要領で木剣を振り下ろした。
すっ、と木剣が空気を切る。
ゴーレムに当たった瞬間、手応えがまったくなかった。
カンッという硬い音すらしない。
まるで、母さんが作ってくれた柔らかいチーズにナイフを入れた時のような、何の抵抗もない感触だった。
しまった、力を抜きすぎた。
やっぱり、少しは腰を入れないと駄目だったかもしれない。これでは傷一つついていないだろう。
「すみません、失敗したので、もう一回……」
僕が言いかけた時だった。
ずんっ、と。
地響きのような重い音がして、試験用ゴーレムの左肩から右脇腹にかけて、斜めに一本の線が入った。
次の瞬間、分厚い鉄の上半身がゆっくりと滑り落ち、重たい音を立てて地面に崩れ落ちた。
切断面が、鏡のように滑らかに光っている。
それだけではない。
パキン、という高い音が空気を震わせた。
ゴーレムの背後に張られていた、半透明の防御結界。
そこに、上から下まで一直線の亀裂が入り、そのままガラスが砕けるように粉々に散って消えたのだ。
パラパラと、光の破片が地面に落ちて消えていく。
「…………え?」
誰かの間抜けな声が響いた。
訓練場が、水を打ったように静まり返った。
さっきまで笑っていた受験生たちは、幽霊でも見たかのように青ざめている。
ヴィクトルさんは目を見開き、口をぽかんと開けたまま固まっていた。
ダンは頭を抱えて、天を仰いでいる。
ピュータン教官は、両断されて崩れ落ちたゴーレムと、完全に消滅した結界を交互に見つめ、それからゆっくりと僕を見た。
「あ、あの」
僕は慌てて木剣を後ろに隠した。
「壊してしまってすみません!手加減したつもりだったんですけど、まさかこんなに脆いなんて……」
水晶に続いて、今度はゴーレムと結界まで壊してしまった。
村にはゴーレムなんてなかったから相場がわからないけれど、きっとすごく高いに違いない。
「弁償は、いくらくらいになりますか?」
僕が恐る恐る尋ねると、ピュータン教官は無言のまま、ゆっくりと近づいてきた。
その顔は、怒っているのか驚いているのか、よくわからない険しい表情。
教官は僕の前に立つと、低く響く声で言った。
「もう一度振ってみろ」
「えっ?」
「ゴーレムはいい。空に向かって、今と同じようにもう一度振れ」
言われるままに、僕は後ろに隠していた木剣を、もう一度構えた。
そして、先ほどと同じように、棒立ちのまま、腕の力だけで軽く木剣を振り下ろした。
ピュータン教官は、その太刀筋を瞬きもせずにじっと見ている。
やがて、教官は深く息を吐き出した。
「坊主」
かすれたような声だった。
「お前、その剣どこで習った」
「えっと」
僕は正直に答えた。
「村のおじいちゃんに、薪割りを」




