第26話 母さんからの手紙
木箱に結わえつけられた手紙を手に取ると、懐かしい薬草と、少しだけ煙のような匂いがした。母さんの台所の匂いだ。
「母さんからです」
「おう、早く開けてみろよ。田舎の仕送りってなんだ?干し肉とか、自家製のチーズとかか?」
ダンが、興味津々で木箱を覗き込む。
僕は丁寧に紐を解いて、蓋を開けた。
中には藁がぎっしりと敷き詰められている。一本つまんでみると、乾いていて、少しちくちくした。父さんの牛小屋の藁だ。
その上に、いくつかの小袋と、小さなガラスの瓶が三つ、きれいに並べられていた。
「よかった、干し肉も入っています。シェラ姉がよく作ってくれたやつです」
いちばん大きな袋を開けると、少し赤みの強い干し肉が、きっちりと束ねて詰めてあった。噛めば噛むほど味が出る、村の味だ。
「へえ、美味そうじゃん。あとは?」
ダンが小袋の一つを手に取り、中身を手のひらに空けた。
コロコロと、青白く光る丸い石のようなものがいくつか転がり出る。ランプの明かりを受けて、表面に虹のような色がゆらりと浮かんだ。
「なんだこれ。ただの石っころ……じゃないな。光の当て方で色が……いや、まさか」
ダンは自分の手のひらを見つめたまま、目を見開いた。
「これ、竜の鱗のかけらじゃないか!?しかも、青いってことは……」
「村の物置で、樽の重しに使っていたやつです。母さんが少し割って送ってくれたんだと思います」
僕が普通に答えると、ダンは頭を抱えてベッドに突っ伏した。
「お前んちの物置はどうなってんだよ!これ一つで、王都に家が建つぞ!」
「えっ、そうなんですか?ただの硬い石だと思っていました」
「ただの石なわけあるか!王城の宝物庫にも数えるほどしかない、国宝級の素材だぞ!」
ダンが、青ざめた顔で僕を見た。
僕は驚いて、残りの小瓶を手に取った。中には、透き通った金色の液体が入っている。
「これは……オズ先生がよく飲んでいた薬ですね。苦いんですけど、飲むと疲れが取れるんです」
「……ちょっと貸してみろ」
ダンが震える手で小瓶を受け取り、蓋を少しだけ開けた。すうっと、森の朝みたいな澄んだ香りが部屋に広がる。
その瞬間、ダンの顔からさっと血の気が引いた。
「おい、これ……エルフの霊薬じゃないか!?どんな傷でも一瞬で治すっていう、伝説の……」
「ただの疲れ目用の薬ですよ。オズ先生は、よく夜遅くまで本を読んでいたので」
「疲れ目にエルフの霊薬を使うな!」
ダンが悲鳴を上げた。
「もう俺、お前の実家の話を聞くのが怖くなってきた……。これ、絶対に誰にも見せるなよ。命を狙われるぞ」
ダンは小瓶の蓋をきっちり閉めると、木箱ごとベッドの下のいちばん奥へ押し込んだ。それから、その前に自分の鞄をどんと置く。商人の家の子らしい、手慣れた隠し方だった。
「母さんに、大事に使うように手紙を書いておきます」
村では、樽の重しも疲れ目の薬も、ただの暮らしの道具だった。王都では、物の値打ちの決まり方が、村とはずいぶん違うらしい。
僕は木箱に添えられていた手紙を開いた。
一枚きりの紙に、母さんの丸い字がぎっしりと並んでいる。途中に一か所だけ、何かを書きかけて、ぐしゃぐしゃと塗りつぶした跡があった。
『ティオへ
ちゃんとご飯は食べてるかい?
友達はできたかい?
王都は人が多いから、村とは勝手が違うでしょう。でも、あんたなら大丈夫だって、あたしは信じてるよ。
それにしても、手紙の一通くらい寄こしなさい。シェラが毎日、峠の道ばかり見てるんだから。
送ったものは、友達ができたら一緒に食べなさい。
薬は、もしもの時のために取っておくこと。
百分の一の約束、ちゃんと守るのよ。
外の人は脆いんだからね。
追伸
王都の地下には気をつけなさい。あそこは昔から湿っぽいからね。
母より』
峠の道をじっと見つめるシェラ姉の姿が目に浮かんで、胸の奥が少しだけきゅっとなった。村を出てから、ずいぶん時間が経った気がする。
塗りつぶされたところに、母さんは何を書こうとしたのだろう。ランプにかざしてみても、黒いインクの下は少しも透けて見えなかった。
ゴルドじいちゃんの薪割りの音も、リリさんの笑い声も、ここまでは届かない。
「王都の地下……」
僕は、手紙の最後の一文を声に出して読んだ。
「地下って、下水道のことか?」
ダンが、不思議そうに首を傾げる。
「わかりません。でも、王都の地下には気をつけろって」
「まあ、王都の地下水路にはネズミがよく出るって話は聞いたことがあるけどな」
ダンはあまり気にしていないようだった。僕も、王都の地下にはネズミのような害獣がいるのかもしれないと、軽く受け止めることにする。
それよりも、気になる一文があった。
『手紙の一通くらい寄こしなさい』
そういえば、村を出てから一度も手紙を書いていない。僕は慌てて机に向かった。
羊皮紙を広げ、オズ先生にもらったガラスの筆記用具をインクに浸す。
ペン先が紙をこする、かりかりという小さな音だけが、夜の部屋に響いた。
何から書けばいいのか、少し迷う。
書きたいことは山ほどあるのに、いざ紙に向かうと、何が大事なのかわからなくなった。
ダンという、物知りな友達ができたこと。
エルナさんという、剣のきれいな人と一緒に稽古をしたこと。
ヴィクトルさんという、とても親切な人がいること。
ダンジョン実習で少し大きめの魔物が出たけれど、みんなで頑張って、怪我なく帰ってこられたこと。
そして、母さんとの約束のこと。
『百分の一の約束は、ちゃんと守っています。村ではいちばん弱かったので、王都でも目立たないように気をつけています』
そう書き終えた時、肩越しに覗き込んだダンが、深くため息をついた。
「……目立たないように?お前、今いちばん王都で目立ってる一年生だぞ」
「そうなんですか?」
僕が首を傾げると、ダンは何も言わずに頭を抱えて、自分のベッドに戻っていった。
僕は手紙の最後に「シェラ姉にも、元気だと伝えてください」と書き足して、しっかりと封をした。明日の朝、寮の管理人さんに頼んで、村へ出してもらおう。
封筒の宛名に「シルト村 母さんへ」と書いた時、ペン先が少しだけ震えた。
翌朝。
寮の管理人さんに手紙を預けて外に出ると、ヴィクトルさんがもう待っていた。金の刺繍だらけの、とびきり派手な礼服だ。朝日を受けて、袖も襟もぎらぎらと光っている。
「ティオ殿の晴れ舞台、このヴィクトルも最高の装いで!」
ヴィクトルさんが、自信満々にマントを翻す。
その隣で、ダンは実家の商会から借りてきたという、少し袖の長い礼服を着ていた。さっきから何度も袖口を引っぱり上げては、またずり落ちるのを繰り返している。
僕は、昨日エルナさんに見立ててもらったえんじ色の上着を着ていた。
「お、似合ってるじゃねえか」
ダンにそう言われて、僕は少しくすぐったい気持ちになった。
「みんな、お待たせ」
振り返ると、いつもと同じ白い制服姿のエルナさんが、こちらへ歩いてくるところだった。
後ろでまとめた金髪に、深い青色の髪紐が結ばれている。昨日、丘の上で結び直した、あの髪紐だ。
エルナさんは僕の上着を上から下まで眺めて、満足そうに小さくうなずいた。
「やっぱり、えんじ色にしてよかった」
「エルナさんの髪紐も、よく似合っています」
エルナさんは何も言わずに、くるりと前を向いた。髪紐の先が、ふわりと揺れる。
学院から大通りを抜けて、まっすぐに歩いていくと、やがて道の先に王城が見えてきた。
白い城壁が、朝の空を区切るように高く連なっている。その真ん中に、獅子と剣の紋章を掲げた巨大な正門が口を開けていた。門の前に立つ近衛兵の鎧が、日の光を跳ね返してまぶしい。
「ここが、国王陛下のいらっしゃる王城……」
ダンが、ごくりと唾を飲み込んだ。ヴィクトルさんでさえ、さっきまでの勢いはどこへやら、口を一文字に結んでいる。
「さあ、行きましょうか」
エルナさんが僕たちを振り返って、微笑んだ。




