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第23話 力仕事

 親玉が、一歩前へ踏み出した。


 ズウンッ、と地下空洞全体が揺れる。足元の小石が跳ね、燃え残っていた火が、その風でふっと消えた。


 明かりは、ヴィクトルさんの魔道具の小さな輪だけになる。


 エルナさんもヴィクトルさんも、息を呑んだまま動けずにいた。


 魔物は僕たちを見下ろし、大きく顎を開いた。背中の赤い水晶が、一つ残らずいっせいに輝き出す。紅蓮の炎と紫色の雷が混ざり合ったような力が、その口元に集まり始めていた。


 離れて立っているのに、前髪の先がちりちりと縮れそうなほど熱い。


「まずい!あんなの防ぎきれねえ!」


 ダンが叫んだ。


 ヴィクトルさんは杖を構えようとしたけれど、膝が笑ってしまって、うまく立てていない。


(あの光が弾けたら、みんなが大怪我をしてしまう)


 僕は迷わず、三人の前へ出た。


 木剣で打ち払うことも考えた。でも、ここは地下の深い場所だ。少しでも力を上や横に逃がしたら、今度こそ天井が割れて、大きな岩が降ってくる。


 正面から、受け止めるしかない。


 僕は足幅を広げ、両手を前に突き出した。村の鍛冶屋のブロムおじさんが、自分の背丈より大きな鉄の塊を一人で運ぶ時の姿勢だ。


『いいかティオ。重いものを運ぶときは、足腰をバネにするんだ。大地と喧嘩しちゃいけねえ。地面に力を流すように、すっと受け止めるんだぞ』


 教わった通りに足の力を抜き、地面とひとつになるように構える。


 直後、魔物の口から極太の熱線が放たれた。


 目の前が、真っ白に塗りつぶされる。


「ティオくん!」


 エルナさんの悲鳴が聞こえた。


 僕は百分の一の力で、目に見えない大きな荷物を支えるように、熱線を両手で受け止めた。足腰をバネにして、ぶつかってきた力を足の裏から地面へと、すっと流していく。


 バチンッ!と弾けるような音がして、僕の前に半透明の光の壁が現れた。


 熱線は壁にぶつかって左右に裂け、両側の岩肌を赤く溶かしながら流れていく。


 それでも、後ろの三人には熱風ひとつ届かなかった。壁の外は轟音と閃光でいっぱいなのに、内側は、雪の夜の家の中みたいに静かだ。


「……光の壁!?」


 ダンの目が、まんまるになった。


「なんという強固な結界!無詠唱で、これほどの防御魔法を展開するとは!」


 ヴィクトルさんが大声で叫ぶ。


「ただの力仕事です。地面に力を流しているだけですから」


 僕が答えると、二人はそろって口を開けたまま固まった。


 熱線が途切れ、地下空洞に一瞬の静けさが戻る。左右の岩肌では、溶けた跡がまだ赤く光っていて、ゆっくりと黒ずんでいった。


 今のうちだ。


 僕は光の壁を保ったまま、右手で腰の木剣を抜いた。


 天井を割らないように、まっすぐ、あいつだけを。


「薪割りの要領で、と」


 百分の一の力で、木剣をまっすぐに振り下ろす。斬撃は光の壁をすり抜けて、空気を裂きながら魔物へ走った。


 ズバァンッ!


 巨大な首が、甲殻ごと胴体から一息に断ち切られた。


 頭を失った巨体が、ズズンッと重たい音を立てて崩れ落ちる。


 背中の赤い水晶は、端のほうから順に光を失っていき、やがて最後の一つも暗く沈んだ。


 天井には、傷ひとつない。


 うまくいった。これなら、誰も怪我をしない。


「……あんな化け物を、たった一振りで……」


 エルナさんが、へなへなとその場に座り込んだ。


「よし、これで安全ですね」


 僕が木剣を腰に収めると、ダンが鞄から赤い小瓶を取り出した。一層の隠し部屋で見つけた、上級の回復薬だ。


「……結局、一本も使わなかったな。隠し部屋で見つけたのに」


 ダンは小瓶を目の高さに持ち上げて、引きつった顔で苦笑いした。


「ティオ殿の前では、回復薬すら出番がないのですな!」


 ヴィクトルさんが、大きく頷いて感心している。


「使わずに済んで、よかったです」


 僕は本気でほっとして、三人の顔を順番に見た。エルナさんの白い修練着は土埃で灰色になり、ダンの前髪には小石のかけらが引っかかっている。ヴィクトルさんのマントの裾は、さっき踏み消したところが黒く焦げていた。でも、血の色はどこにもない。


「……そんなにじろじろ見なくても大丈夫だって。かすり傷ひとつねえよ。お前が全部防いでくれたからな」


 ダンが、照れくさそうに前髪の小石を払った。


 僕は、切り離された魔物の首のそばに歩み寄った。近くで見ると、甲殻の一枚一枚が、僕の手のひらより分厚い。


「教官たちに、この場所のことを報告しないといけませんね。証拠がないと怒られるかもしれないので、これを持っていきましょう」


 僕は魔物の巨大な首を、力仕事の要領でひょいと肩に担ぎ上げた。


「……それ、ひとりで担ぐのかよ。家くらいある魔物の首だぞ」


 ダンが頭を抱え込む。


「はい。力仕事には慣れていますから。村ではもっと重い鉄の塊を運んでいましたし」


「お前の村の鉄は何でできてるんだよ!」


「ティオ殿の腕力は、まさに神話の英雄そのもの!このヴィクトル、一生ついていきますぞ!」


 ヴィクトルさんが、興奮してマントを翻した。焦げた裾が、ひらりと揺れる。


 親玉が倒れてから、深層の重たい空気が、少しだけ軽くなった気がする。


 僕たちは魔物が現れた奥を調べ、上へ続く古い石階段を見つけた。段の真ん中だけが、丸くすり減ってくぼんでいる。どれだけ昔に作られたものなのか、僕には見当もつかなかった。


 長く暗い階段を登り続けると、やがて一層の、地図にない細い隠し通路に出た。崩落した広間とは別の、古い時代の抜け道だったらしい。


 通路は、とても狭かった。


 肩に担いだ首の角が両側の壁にがりがりとこすれるので、僕は首を斜めに傾けて、横歩きで進む。後ろでダンが「通路ごと持ち上げる気かよ……」と小声でぼやいていた。


 エルナさんが、僕のすぐ後ろを歩きながら小さく息をつく。


「ティオくんがいなかったら、私たち、今ごろどうなっていたか……。私一人では、あの熱線は防げなかった」


「そんなことないですよ。エルナさんなら、きっと雷でうまく打ち消していたと思います」


「ふふっ、買い被りすぎよ」


 そんな話をしているうちに、前のほうから風が流れてきた。湿った石の匂いの中に、青い草の匂いが混じっている。


「光だ……出口だぞ!」


 隠し通路の先は、『試練の迷宮』の入り口の、あの赤茶色に錆びた鉄格子のすぐ手前だった。ダンの弾んだ声とともに、僕たちは外へ飛び出した。


 目が、くらむ。


 入った時は真上にあった太陽が、もう西の空へ少し傾いていた。丘の斜面の草が、初夏の風にさわさわと揺れている。どこかで、鳥が鳴いていた。


 ヴィクトルさんは両手を広げて、胸いっぱいに息を吸い込んでいる。エルナさんは、まぶしそうに目を細めて空を見上げていた。


「お前ら、無事か!」


 外で待っていたピュータン先生が、僕たちを見るなり大声で駆け寄ってきた。周りには、他の班の生徒たちや教官が集まっている。


「はい。下のほうに迷い込んでしまって」


 僕は肩に担いでいた魔物の首を、地面にドンッと置いた。丘の草がまとめて押しつぶされ、足元の地面がわずかに沈む。


「証拠がないと怒られるかと思って、少し大きかったですけど持ってきました」


「坊主……お前、これを一人で担いできたのか……」


 ピュータン先生の顔から、さっと血の気が引いた。先生は、魔物の首と僕の顔を何度も見比べる。


「こいつは……Sランク、いや、それ以上か……?こんな魔物、ギルドの記録でも見たことがねえぞ……」


 先生が震える声でつぶやくと、集まっていた教官や生徒たちが、水を打ったように静まり返った。


 さっきまで聞こえていた鳥の声まで、やんだ気がする。


「嘘だろ、あんな化け物を討伐したっていうのか?」


「しかも、無傷で……」


 生徒たちの間に、ざわめきが広がっていく。


 僕は、また何かやりすぎてしまっただろうかと、少しだけ首をすくめた。でも、誰も怪我をせずに済んだのだから、それでいいはずだ。


 傾きかけた初夏の日差しが、僕たちの背中を温かく照らしている。


 ふと、横に立つエルナさんが、僕の服の袖をそっとつかんだ。

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