第12話 噂と視線
決闘から数日が経った。
王立リーフェン学院は、僕の噂で持ちきりになっていた。
広い廊下を歩いているだけで、すれ違う生徒たちが遠巻きにこちらを見て、ひそひそと囁き合っている。
僕と目が合うと、みんな慌てて視線を逸らし、小走りで逃げていってしまう。
「あれが、ヴィクトルを倒したっていう……」
「呪具の枷を、素手で引きちぎったらしいぜ」
「侯爵家の炎剣を、ただの木剣で粉砕したんだろ?」
「絶対に怒らせちゃ駄目なやつだ……」
僕は肩をすくめて、壁際を歩いた。
(呪具を引きちぎったわけではなくて、留め金を外しただけだし、剣を壊したのは本当だけれど……)
やっぱり、侯爵家の立派な剣を粉々にしてしまったのは、まずかったのだ。
入学試験の時に学院が大事にしてきた鑑定水晶を壊し、実技試験で特注のゴーレムと結界を割り、今度は決闘で高価な装飾剣を木っ端微塵にしてしまった。
きっと教官たちの間で「あいつは物を壊してばかりだ」と問題になり、ひどく怒られているに違いない。
「また弁償の話になるでしょうか」
僕が重いため息をつくと、隣を歩いていたダンが呆れたように頭を抱えた。
「お前なぁ……。あれは公式の決闘で、しかも相手は呪具を使った反則負けだぞ。お前が怒られる理由なんて、これっぽっちもないんだよ」
「でも、赤い宝石がついていて、すごく高そうな剣でした」
「だから!周りのやつらがお前を見ているのは、怒ってるからじゃなくて、すげえやつだって怖がってるからだ!」
ダンが大きな声を出したので、すれ違った上級生たちがびくっと肩を揺らして道を空けた。
やっぱり、みんな僕を避けている。
外の人は本当に脆いから、もっと手加減に気をつけないと。
「ダン、大声を出すとみんなが怖がりますよ」
「お前のせいだよ!」
ダンが空を仰いでため息をついた、その時だった。
前から見慣れた白い制服姿が歩いてくる。
エルナ様だ。
今日も美しい金髪が、窓からの光を反射してきらきらと輝いている。
エルナ様は僕たちを見つけると、少しだけ足早に近づいてきた。
「エルナ様。こんにちは」
僕がお辞儀をすると、エルナ様はふうっと短く息を吐いた。
「こんにちは。本当に、あなたという人は……少し目を離すと、すぐに規格外のことをするのね」
「すみません。うんと手加減したつもりだったんですけど」
「呪具を指一本で外して、炎ごと剣を叩き割るのが手加減?冗談はやめてちょうだい」
エルナ様は厳しい声で言ったけれど、その青い瞳はどこかほっとしているように見えた。
「でも、怪我がなくてよかった」
「はい。ヴィクトルさんに大怪我をさせなくて、本当によかったです」
僕が正直に言うと、エルナ様は「あなたの心配をしているのよ」と小さく呟いた。
「おい、見ろよ」
ダンが不意に声をひそめる。
視線の先、廊下の向こうから一人の男子生徒が歩いてくる。
プラチナブロンドを撫でつけた髪。
数日間の謹慎が明けた、ヴィクトルさんだった。
いつも引き連れていた取り巻きの姿はない。
一人きりで、どこか思い詰めたような顔をして歩いている。
決闘で呪具を使ったという反則が広まり、彼を頼っていた生徒たちはみんな離れてしまったらしい。
ヴィクトルさんは僕たちの姿に気づくと、びくっと肩を震わせて足を止めた。
僕は急いで彼に歩み寄った。
「ティ、ティオ……」
ヴィクトルさんが、気まずそうに目を逸らす。
「ヴィクトルさん。謹慎が明けたんですね。よかったです」
僕が声をかけると、彼は驚いたように顔を上げた。
「お怪我はありませんでしたか?あの時も言いましたけど、剣、壊してしまって本当にすみません。村から仕送りが来たら、少しずつでも弁償しますから」
僕が深く頭を下げると、ヴィクトルさんは目を丸くして固まった。
どうしてそんなに驚くのか、僕にはよくわからない。
それから、顔を真っ赤にして、何かを堪えるように強く唇を噛みしめる。
「……いらん」
絞り出すような声だった。
「弁償など、いらん。あれは……私の未熟の代償だ」
「でも、すごく高そうでしたし」
「侯爵家の誇りにかけて、貴様から金など受け取れるか!」
ヴィクトルさんは声を荒らげたが、その顔には以前のような見下す色はなかった。
彼はぎこちなく姿勢を正すと、僕に向かって深く頭を下げたのだ。
ダンが「えっ」と素っ頓狂な声を上げる。
「あの日の非礼と、決闘での恥知らずな行い……深く詫びる。すまなかった」
「顔を上げてください、ヴィクトルさん。僕のほうこそ、あんなに強い炎を叩き落としてしまって……」
「この私が負けたのだ。貴様……いや、ティオ殿は強い。私が認めた男だ」
ヴィクトルさんは腕を組み、わざとらしく胸を張った。
「せいぜい精進することだな!この私に勝ったのだから、無様な真似は許さんぞ!」
言うだけ言うと、彼は足早に廊下の奥へ去っていった。
耳の裏まで真っ赤になっていた。
「なんだあいつ。やけに偉そうだったけど、結局謝りたかったのか?」
ダンが首をひねる。
「ティオ殿、って呼ばれてたわね」
エルナ様がくすっと笑った。
「ヴィクトルさんは優しい人ですね。わざわざ弁償を免除してくれました」
僕がほっと胸を撫で下ろしていると、不意に、穏やかな声が響いた。
「素晴らしい決闘でしたね、ティオさん」
振り返ると、温厚そうな紳士が立っていた。
仕立てのいい上質なローブを着ていて、銀色の髪を後ろで綺麗にまとめている。
目尻には優しい皺が刻まれ、落ち着いた微笑みを浮かべていた。
胸元には、学院の要職を示す立派な紋章が輝いている。
ダンとエルナ様が、慌てて居住まいを正した。
「ふ、副学院長先生……!」
ダンが緊張した声で言う。
この人が、学院の副学院長なのだろうか。
僕は急いで背筋を伸ばし、深くお辞儀をした。
「初めまして。シルト村から来ました、ティオと申します。あの、決闘ではお騒がせしてすみません」
「頭を上げてください。私は副学院長のマルヴィスと申します」
マルヴィス先生は、とても丁寧な口調で言った。
「謝る必要などありませんよ。ティオさんのような才能に出会えたことは、この学院にとって無上の喜びです」
「才能だなんて。僕はただ、少し木剣を振っただけで……」
「謙遜も美徳ですが、事実として、ティオさんは特注の封魔の枷をいとも簡単に外し、見事な剣技を見せてくれました」
マルヴィス先生は、僕の目を真っ直ぐに見つめた。
その瞳は、底知れないほど深く、静かだった。
「これからの成長を、心から楽しみにしていますよ。困ったことがあれば、いつでも私の部屋を訪ねてきてください」
「はい。ありがとうございます、マルヴィス先生」
僕が再び頭を下げると、先生は優雅に微笑んで、ゆっくりと歩き去っていった。
その後ろ姿を見送りながら、僕はなんだか不思議な感覚を覚えていた。
マルヴィス先生は、とても優しくて立派な人だ。
なのに、村でリリさんとかくれんぼをしていて、暗がりに息を潜めている時のような、かすかな冷たさを感じた気がした。
気のせいだろうか。
◇◇◇
――マルヴィス
学院長室よりも一つ下の階にある、副学院長室。
重厚な執務机に腰を下ろした私は、窓の外の訓練場を見下ろしていた。
ティオ。
鑑定不能の魔力と、規格外の身体能力。
そして、あの封魔の枷をいとも簡単に外してみせた異常な知識。
王立学院の長い歴史の中でも、あのような存在は見たことがない。
「シルト村、と言いましたね」
私は独り言のように呟き、部屋の影に控えていた男に視線を向けた。
音もなく膝をつく部下に、私は穏やかな声のまま命じる。
「あの少年の出身地を、調べなさい」




