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第11話 決闘

 手首にはめられた黒い輪が、ひんやりと冷たい。


 ヴィクトルさんは素早く僕の手を離すと、距離を取るように大きく後ろへ飛び退いた。


「これで準備は整った。さあ、始めようか」


 彼は唇の端を歪めて、邪悪に笑う。


 取り巻きたちが「ヴィクトル様、あんな平民、一分で終わらせてください!」と客席から囃し立てている。


 闘技場の中央に立つピュータン先生が、右手を高く上げた。


「双方、構え!」


 ヴィクトルさんが腰の装飾剣を抜く。


 僕も木剣の柄に手をかけた。


「はじめ!」


 先生の合図とともに、ヴィクトルさんが高らかに詠唱した。


「燃え盛れ、爆炎!」


 真っ赤な炎が剣の刃を包み込み、ごうごうと熱風を吹き荒らす。


 観衆から「おおっ」と感嘆の声が上がった。


「さすがは侯爵家の跡取りだ!」


「あんな炎、まともに食らったらひとたまりもないぞ!」


 ヴィクトルさんは一気に間合いを詰め、炎の剣を振りかぶった。


 熱気が僕の頬を撫でる。


(ヴィクトルさんに怪我をさせないようにするには、どうすればいいだろう)


 僕はその場から一歩も動かずに考えていた。


 試験の時は、ゴーレムを真っ二つにしてしまった。


 うっかり木剣を当てて、侯爵家の跡取りに大怪我をさせてしまったら、本当に大ごとになる。


 どうやって安全に炎をやり過ごそうか。


 僕が悩んで立ち止まっていると、観衆からひそひそ声が聞こえてきた。


「見ろよ、平民のやつ、一歩も動けないぞ」


「呪いのせいだ。あの腕輪、魔力を奪う呪具だぞ!」


「卑怯な真似を……」


 客席の最前列で、ダンが身を乗り出して叫んだ。


「ティオ、避けろ!腕輪を外せ!」


 少し離れた場所では、エルナ様が青ざめた顔で口元を押さえているのが見えた。


 呪具、と言われて、僕は自分の手首にはめられた黒い輪を見た。


 表面には禍々しい紋様がびっしりと刻まれている。


 そこから、ちくちくと僕の魔力を吸い取ろうとする気配がした。


 これが原因で僕が動けないと、みんなは思っているらしい。


 でも、僕には蚊に刺されたくらいにしか感じない。


 むしろ、少しくすぐったいくらいだ。


 村で、リリさんとかくれんぼをした時のことを思い出す。


 リリさんは隠れるのがすごく上手で、見つけるまでに罠や呪具をたくさん見破らなければならなかった。


 ただの落とし穴かと思ったら、底なし沼の幻影だったりするのだ。


『ほらほらティオくん、よーく見ないと幻覚に引っかかっちゃうよー』


 あの時リリさんが村のあちこちに仕掛けていたものと、この腕輪の気配はよく似ている。


 僕は腕輪の紋様を指でなぞり、魔力の流れの結び目を見つけた。


 そこにある隠し留め金を、親指で軽く弾く。


 カチャリ、と軽い音がして、腕輪があっけなく外れた。


 炎の剣を振り下ろそうとしていたヴィクトルさんが、空中で動きを止めて目を剥いた。


「なっ……!?」


「ヴィクトルさん。これ、落としましたよ」


 僕は外した腕輪を、ヴィクトルさんの足元にぽいっと放り投げた。


「これ、村の雑貨屋さんにあった、子ども用のいたずら道具ですよね?王都の人は、こんなもので遊ぶんですね」


「い、いたずら道具だと……!?」


 ヴィクトルさんの顔が、驚きから一転して真っ赤に染まった。


「金貨百枚もした禁忌の品だぞ!貴様、どうやって外した!」


 どうやら、よほど高価で大切なおもちゃだったらしい。


 申し訳ないことをした。


「ふざけるな、平民風情が!この炎で、黒焦げにしてくれるわ!」


 ヴィクトルさんが逆上し、炎をさらに大きく燃え上がらせて斬りかかってくる。


 仕方ない。


 ヴィクトルさんの体には当てないように、炎だけを払おう。


 僕は腰から千年樹の木剣を抜き、薪割りの要領で構えた。


 村の毎朝の薪割りでは、ゴルドじいちゃんにいつも「腰が入っとらん!」と怒られていた。


 今回は絶対に腰を入れてはいけない。


(百分の一の、さらに百分の一……)


 足の力を抜き、手首も固定して、腕の重さだけでそっと振り下ろす。


 すっ、と木剣が空気を切った。


 木剣の腹が、ヴィクトルさんの装飾剣の側面に軽く触れる。


 その瞬間。


 バキィッ!


 凄まじい破壊音が、すり鉢状の闘技場に響き渡った。


「あ……?」


 ヴィクトルさんの手から剣が弾け飛び、空中で炎ごと粉々に砕け散ったのだ。


 赤い宝石の破片と、砕けた刃が、キラキラと雪のように舞い落ちる。


 ヴィクトルさんは反動で後ろに吹き飛び、無様に尻餅をついた。


 しんと静まり返る闘技場。


 僕は慌てて木剣を後ろに隠した。


「す、すみません!炎だけを払うつもりが……お怪我はありませんか!?」


 ヴィクトルさんは尻餅をついたまま、口をぽかんと開けて固まっている。


 怪我はないようだ。本当によかった。


 ピュータン先生が、険しい顔で歩み寄ってきた。


 そして、足元に落ちていた黒い腕輪を拾い上げる。


「……封魔の枷。身につけた者の魔力と体力を奪い尽くす、禁忌の呪具だ」


 教官の低く怒気をはらんだ声が響く。


「ヴィクトル。神聖な決闘の場で、こんな卑劣な真似をした理由はなんだ」


「あ、ちが、それは……」


 ヴィクトルさんが青ざめて言葉を詰まらせる。


「勝負あり!」


 ピュータン先生が高らかに宣言した。


「勝者、ティオ!」


 わぁっ、と闘技場が爆発したような歓声とざわめきに包まれた。


「おい、見たかよ今の!」


「炎の剣ごと粉砕したぞ!」


「しかもあのヴィクトル、呪具なんて使ってたのか……最低だな」


「侯爵家の恥さらしめ!」


 観衆からの容赦ない罵声が、ヴィクトルさんに浴びせられる。


 ダンが客席から「だから普通じゃねえって!」と叫んで頭を抱えていた。


 エルナ様はほっとしたように息を吐き出している。


 ピュータン先生が腕輪を高く掲げ、闘技場全体に響き渡る声で告げた。


「ヴィクトル・ベルンハイム!決闘での呪具の使用は重大な反則だ。この件は俺から学院長に報告する。処分が決まるまで謹慎だ!」


 客席の取り巻きたちが、目をそらして一人、また一人と席を立ち、ヴィクトルさんを置いて去っていく。


 ヴィクトルさんはそれに気づき、悔しそうに唇を強く噛みしめた。


 僕は、座り込んだままのヴィクトルさんに歩み寄り、手を差し出す。


「立てますか?剣、壊してしまってすみません。弁償は、少しずつでもいいでしょうか」


 ヴィクトルさんは、差し出された僕の手と顔を、信じられないものを見るように見比べた。


 彼の手は、動かない。


 僕はどうしていいかわからず、ただその場に立っていた。


 ヴィクトルさんは地面に座り込んだまま、僕を呆然と見上げている。

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