↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

10/45

第10話 決闘前夜

 僕が腰の木剣を布で拭いていると、ダンがベッドから飛び起きて僕の肩を激しく揺さぶった。


「いいか、ティオ。学院の決闘ってのは、ただの喧嘩や村の腕相撲なんかじゃないんだぞ」


 ダンは周囲を気にしながら、声をひそめる。


「貴族が名誉をかけてやる、公式の勝負だ。負けたほうは、最悪の場合は退学、よくてもこれから三年間ずっと学院中の笑い者になる。ヴィクトルのやつ、入学試験の時の逆恨みで、お前を徹底的に潰すつもりなんだよ」


「そうなんですか。笑い者になるのは、かわいそうですね」


 僕は少しだけ心配になった。


 僕は村でいちばん弱かったから、負けることには慣れている。


 ブロムおじさんとの腕相撲では一瞬ももたないし、リリさんとのかくれんぼでは、夕方まで探しても見つけられない。


 ゴルドじいちゃんとの薪割り競争なんて、僕が一本割る間に山ができあがっていた。


 だから、勝ち負けはあまり気にしていない。


 心配なのは、別のことだ。


 試験ではゴーレムを壊してしまったし、ギルドではザックさんを転ばせてしまった。外の人は脆いと、母さんも言っていた。


 もし決闘でヴィクトルさんに怪我をさせたら、侯爵家の人に、みんなの前で大恥をかかせてしまう。


「じゃあ、ヴィクトルさんに怪我も恥もかかせないように、気をつけないといけませんね」


 僕が真剣に言うと、ダンは目を丸くし、それから大きなため息をついてベッドに突っ伏した。


「……お前、自分の心配は、これっぽっちもしてないわけね」


「えっ?だって、うんと力を抜けばいいだけですし」


 試験の時は、腰を入れずに腕だけで振っても、ゴーレムが割れてしまった。


 今度は、それよりもっと弱く。母さんとの約束の『百分の一』よりも、さらに力を抜く練習をしておかないと。


「お前と話してると、俺の常識が狂いそうになる……」


 ダンが毛布を頭からかぶってしまった。


 ◇◇◇


 ――ヴィクトル


「手に入ったか」


 日の当たらない薄暗い空き教室で、私は取り巻きの生徒を睨みつけた。


「は、はい。ヴィクトル様。仰られた通り、王都の裏通りにある闇市で……」


 取り巻きが震える手で差し出したのは、黒ずんだ古びた木箱だった。


 蓋を開けると、中には黒い金属で作られた不気味な腕輪が入っている。


 表面には、禍々しい紋様がびっしりと刻み込まれていた。


「呪具『封魔の枷』です。金貨百枚もしましたが、身につけた者の魔力を乱し、体力を奪い続ける禁忌の品です。いくらあの平民が実技でまぐれ当たりを出したとはいえ、これをつけられれば剣を振るうことすら……」


「ご苦労」


 私は木箱を受け取り、歪んだ笑みを浮かべた。


 たかが平民相手に金貨百枚の出費は痛いが、安いものだ。


 鑑定水晶を壊し、ゴーレムを斬ったあの平民。


 なぜあんな異常なことが起きたのかはわからない。


 だが、次期侯爵家当主であるこの私が、試験の場で泥を塗られた。その事実は、決して消えはしない。


「平民は平民らしく、地べたを這うのがお似合いだ。決闘の場で、貴様の全てを奪ってやろう」


 黒い腕輪が、私の手の中で冷たく光る。


 あの生意気な平民が、大観衆の前で無様に這いつくばり、涙を流して命乞いをする姿。


 それを想像するだけで、腹の底から笑いが込み上げてきた。


 ◇◇◇


 決闘の前の日。


 僕がひとりで図書館の前の廊下を歩いていると、不意に前から声をかけられた。


 古い羊皮紙の匂いが漂う静かな廊下に、澄んだ声が響く。


「シルト村のティオ」


 顔を上げると、真っ白な制服を着たエルナ様が立っていた。


 窓から差し込む光を受けて、美しい金髪が輝いている。


 腰には見事な細工の剣を帯び、サファイアのような青い瞳で僕をまっすぐに見据えていた。


 すれ違う生徒たちが、遠巻きにこちらを窺っている。


「エルナ様。こんにちは」


 僕が深くお辞儀をすると、エルナ様は厳しい表情のまま距離を詰めてきた。


「聞いたの。ヴィクトルの決闘を受けたそうね」


「はい。明日、ヴィクトルさんと手合わせをします」


「ただの手合わせじゃない。断りなさい」


 きっぱりとした口調だった。


 エルナ様は周囲に聞こえないように、少しだけ声を落とす。


「彼はプライドが高いの。自分が一番でなければ気が済まない。あの日の試験であなたに注目が集まったことを、深く恨んでいるはずよ」


「恨む、ですか」


「ええ。勝つためなら、彼は手段を選ばない。まともな勝負になると思わないことね」


 真剣な目で、僕を心配してくれているのが伝わってくる。


 王女様なのに、僕みたいなただの平民を気にかけてくれるなんて、王都の人は本当に優しい。


 僕は嬉しくなって、にっこりと笑い返した。


「ありがとうございます、エルナ様。僕のことを心配してくださったんですね」


「なっ……」


 エルナ様が、ふいっと顔を逸らした。


 耳の端が、少しだけ赤くなっている気がする。


「し、心配なんてしていないわ!私はただ、首席として学院の風紀を気にしただけで……!」


「でも、大丈夫です。ヴィクトルさんに怪我をさせないように、うんと手加減するつもりなので」


 僕が正直に答えると、エルナ様は信じられないものを見るような顔になった。


「……あなた、本当に何なの?」


「シルト村のティオです」


「もういいわ。勝手にしなさい」


 エルナ様は深くため息をつき、踵を返して歩き去っていった。


 せっかく忠告してくれたのに、怒らせてしまったのだろうか。


 王都の人の心は、なかなか難しい。


 そして、決闘の当日。


 放課後の第三訓練場は、異様な熱気に包まれていた。


 普段は高位の魔法実習に使われるというすり鉢状の闘技場に、噂を聞きつけた数百人の生徒たちが詰めかけている。


「すげえ人の数だぞ……」


 僕の隣で、ダンが青い顔をしてつぶやいた。


 みんな、僕とヴィクトルさんの決闘を見に来たらしい。


「平民相手に決闘なんて、ヴィクトル様も大人気ないな」


「でも、実技試験でのまぐれ当たりを暴いてやるって息巻いてたぜ」


「スキルなしの平民なんて、炎魔法で一瞬で黒焦げだろうに」


 観衆の中から、そんなひそひそ声が聞こえてくる。


 訓練場の中央には、実技教官のピュータン先生が腕を組んで立っていた。


 大怪我をしないように、立会人を務めてくれるそうだ。


「よく聞け、お前ら」


 ピュータン先生が低くよく響く声で言った。


 周囲のざわめきが、一瞬にして静まる。


「ルールは簡単だ。どちらかが降参するか、戦闘不能になるまで。俺が危険だと判断したら、その時点で止める。相手を殺すような真似をしたやつは即刻退学だ。わかったな」


「承知しています、教官。手加減はしてやるつもりですから」


 ヴィクトルさんが余裕の笑みで答える。


「はい、わかりました。僕も気をつけて振ります」


 僕が頷くと、ピュータン先生はなぜかひどく疲れたような顔をして、額を押さえた。


「来たか、平民」


 ヴィクトルさんが優雅な足取りで、僕の前に歩み寄ってきた。


 取り巻きたちを背後に従え、自信に満ちた笑みを浮かべている。


 その腰には、赤い宝石が埋め込まれた立派な剣が下がっていた。


「ヴィクトルさん。今日はよろしくお願いします」


 僕が丁寧に頭を下げると、ヴィクトルさんは目を細めた。


「ふん。逃げ出さなかったことだけは褒めてやろう。平民」


 そう言って、ヴィクトルさんはすっと右手を差し出してきた。


「貴族の務めとして、試合前の握手くらいはしてやろう。正々堂々と戦おうではないか」


「はい。ありがとうございます」


 僕は疑うこともなく、その右手を取りにいった。


 ヴィクトルさんが僕の手を握る。


 その瞬間だった。


 彼の手の中に隠されていた冷たい金属の輪が、カチャリという音を立てて、僕の手首にはめ込まれたのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。