一章8 北の村からの報せ
翌朝。
ローデン城は、いつもより慌ただしかった。
城門前には数台の馬車が並び、武装した兵士たちが出発の準備を進めている。
昨日の魔物の襲撃。
そして、北方で続く異常。
その調査のためだった。
「北側の村へ向かう部隊はこれで全員か?」
「はい、閣下」
レオンハルトが兵士たちを確認している。
悠真は少し離れた場所から、その様子を眺めていた。
「……やっぱり、俺も行きたかったな」
「まだ言ってるの?」
隣にいたエレナが苦笑する。
「だって気になるだろ」
「気持ちは分かるけど、昨日魔法を一回使っただけで倒れかけた人が何を言ってるの」
「それは……」
悠真は言葉に詰まる。
「反論できない」
「でしょう?」
エレナが笑った。
その時、レオンハルトが二人に気づいた。
「ユウマ」
「はい」
「今日は城内にいること」
「分かっています」
「魔力の訓練も、無理はするな」
「はい」
悠真は素直に頷いた。
「それと――」
レオンハルトはエレナを見る。
「エレナも城に残れ」
「私も?」
「ああ」
「北の村へ行くんじゃないの?」
「今回は兵士だけで十分だ」
エレナは少し不満そうな顔をした。
「……分かったわ」
「頼む」
レオンハルトはそう言って、馬車へ乗り込んだ。
兵士たちも続いていく。
やがて城門が開かれ、調査隊は北へ向かって走り出した。
悠真とエレナは、その背中を見送る。
「……大丈夫かな」
悠真が呟く。
「レオンハルト様なら大丈夫よ」
「やっぱり、信頼してるんだな」
「当然でしょう」
エレナは小さく笑った。
「この辺境を守ってきた人だもの」
馬車が遠ざかり、やがて見えなくなる。
その直後だった。
――ヒュンッ。
何かが空を切った。
「え?」
悠真が振り向く。
城壁の向こう。
一瞬、黒い影が見えた気がした。
「今、何か……」
「どうしたの?」
「いや……」
悠真は目を凝らす。
しかし、そこには何もない。
「気のせいかな」
「疲れてるんじゃない?」
「かもしれない」
二人は城内へ戻っていった。
だが――。
城壁の外側。
木陰に一人の男が立っていた。
黒い外套。
深く被ったフード。
昨日、領都で悠真たちを見ていた男だった。
「……異界の者」
男はローデン城を見上げる。
「そして、あの娘……」
男は何かを確認するように目を細めた。
「まだ、何も知らないのか」
そのまま男は森の奥へ消えていった。
――――――――
午前。
悠真は訓練場にいた。
「もう一度やってみましょう」
エレナが木製の的を指差す。
「昨日と同じように、魔力を集めて」
「分かった」
悠真は右手を前に出す。
目を閉じる。
身体の奥にある魔力を探す。
「……」
昨日よりも早く、魔力を感じ取ることができた。
「おっ……」
淡い光が手のひらに浮かぶ。
「できた」
「昨日より上手になってるわ」
「本当?」
「ええ」
悠真は嬉しそうに笑った。
「じゃあ、撃つぞ」
「待って」
「え?」
「力を込めすぎないで」
「分かってるって」
悠真は的を見据える。
「……いけ!」
魔力を前方へ放つ。
――ドンッ!
光の弾が的へ命中する。
昨日よりも強い。
木製の的に、拳ほどの亀裂が入った。
「……おお!」
悠真は目を輝かせる。
「昨日より強くなってる!」
「そうね」
エレナも嬉しそうに頷く。
「魔力の扱いにも少し慣れてきたみたい」
「もっと練習すれば、火とか雷とかも使えるようになるのか?」
「適性があればね」
「俺の属性って、まだ分からないんだよな」
「ええ」
エレナは少し考える。
「でも、魔力の質は普通とは少し違う気がする」
「やっぱり?」
「昨日の水晶の反応も気になるし……」
エレナが言葉を止める。
悠真は首を傾げた。
「何?」
「ううん。何でもない」
エレナは微笑んだ。
「今は、魔力を安定させることだけ考えましょう」
「分かった」
二人が訓練を続けていると――。
城門の方から、大きな鐘の音が鳴り響いた。
――ゴーン。
――ゴーン。
「……また?」
悠真の顔が強張る。
エレナも立ち上がる。
「この鐘は……」
二人は顔を見合わせ、急いで城門へ向かった。
そこには、兵士たちが集まっていた。
「何があった?」
エレナが尋ねる。
「北の村から緊急の使者が来ました!」
兵士が答える。
「北の村?」
「はい!」
城門前には、一人の青年が倒れ込んでいた。
服は泥だらけ。
肩には血が滲んでいる。
「医務室へ!」
兵士たちが駆け寄る。
「待ってくれ……」
青年が苦しそうに口を開いた。
「村が……」
「どうした?」
「魔物が……村を襲って……」
悠真の表情が変わる。
「レオンハルト様の部隊は?」
「それが……」
青年は震える声で答えた。
「俺たちが村を出る時には、まだ到着していませんでした」
「じゃあ、レオンハルト様たちはまだ村へ向かっている途中……」
エレナが呟く。
青年が続ける。
「魔物だけじゃない……」
「何?」
「森の中に……黒い奴らがいた」
悠真が眉を寄せる。
「黒い奴ら?」
「人間みたいだった……でも、顔が……」
青年の顔が恐怖に歪む。
「仮面をつけていた」
エレナの表情が僅かに変わった。
「仮面……?」
「ああ……」
青年は意識を失った。
兵士たちが彼を運んでいく。
その場に沈黙が落ちる。
「……人間?」
悠真が呟いた。
「魔物だけじゃない」
エレナが答える。
「誰かが魔物と一緒に村を襲った可能性がある」
「じゃあ、昨日の不審者も……」
「分からない」
エレナは首を振った。
「でも、偶然とは思えない」
その時。
城壁の上から兵士の声が響いた。
「北方より、伝令!」
「何だ?」
「レオンハルト様からです!」
兵士が走ってくる。
その手には、一枚の紙が握られていた。
「つい先ほど、偵察兵が届けてきました!」
エレナが紙を受け取る。
そこには短い文章が書かれていた。
――北の村周辺に異常な魔力反応を確認。
――魔物の群れが何者かに誘導されている可能性あり。
――正体不明の集団を確認。
――ローデン城は警戒を強化せよ。
最後に、レオンハルトの署名。
『エレナを城外へ出すな』
エレナはその一文を見つめた。
「……」
悠真も隣から見る。
「どうして、エレナだけ?」
「分からない」
エレナは紙を握り締めた。
しかし、その顔には明らかな戸惑いが浮かんでいた。
――なぜ、自分だけなのか。
その理由を、エレナは知らない。
レオンハルトだけが知っている。
彼女の中に眠る、決して知られてはならない秘密を。
――――――――
一方。
北の森。
レオンハルト率いる調査隊は、魔物に襲われた村へ向かっていた。
「閣下!」
先頭を走る兵士が叫ぶ。
「前方に何かあります!」
「止まれ!」
部隊が停止する。
街道の先。
倒れた馬車。
散乱した荷物。
そして――。
地面に刻まれた奇妙な紋章。
レオンハルトは馬から降り、その紋章を見つめた。
「……これは」
兵士が尋ねる。
「ご存じですか?」
「ああ」
レオンハルトの表情が険しくなる。
「昔、王都で一度だけ見た」
「何の紋章です?」
レオンハルトは答えなかった。
ただ、剣の柄へ手を置く。
「全員、警戒しろ」
「はっ!」
森の奥から、枝を踏む音が聞こえた。
一つ。
二つ。
三つ。
そして――。
黒い外套をまとった人影が、木々の間から姿を現した。
顔には白い仮面。
その仮面には、奇妙な紋章が刻まれている。
「……ようやく会えましたね」
仮面の男が笑う。
「ヴァレンシュタイン辺境伯」
レオンハルトは剣を抜いた。
「貴様らは何者だ」
「我々の名を知る必要はありません」
男は静かに両手を広げる。
「ただ、一つだけ伝言を預かっています」
「誰からだ」
仮面の男は答えた。
「――『娘は元気か』」
レオンハルトの目が鋭くなる。
「……何?」
その一言だけで、彼の表情が変わった。
男はそれを見て、楽しそうに笑う。
「どうやら、心当たりがあるようですね」
レオンハルトは剣を構える。
「貴様……」
その声には、明確な怒気が宿っていた。
仮面の男は一歩後ろへ下がる。
「では、またお会いしましょう」
次の瞬間。
黒い霧が森を覆った。
「追え!」
兵士たちが走り出す。
しかし、霧が晴れた時には、男たちの姿はすでに消えていた。
レオンハルトは一人、立ち尽くしていた。
脳裏に浮かぶのは、ただ一人。
――エレナ。
「……奴らが動き出したか」
そして彼は、誰にも聞こえない声で呟いた。
「今度こそ、エレナを守らなければならない」
その頃、ローデン城では――。
エレナ自身がまだ何も知らないまま、北の森から迫る運命の影を感じ始めていた。




