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異界の旅人と運命の少女  作者: はるきち
第一章『ヴァレンシュタイン辺境伯』
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一章9 迫る黒衣の影

ローデン城。

北の村から届いた報告によって、城内は再び緊張に包まれていた。

城門は閉ざされ、城壁の上には通常より多くの兵士が配置されている。


弓兵。

魔法兵。

そして、重装備の騎士たち。


誰もが北の森を警戒していた。


「……嫌な感じがする」


城壁の上から森を見つめながら、悠真が呟く。

隣にはエレナが立っている。


「私もそう思うわ」


「レオンハルト様たちは大丈夫かな」


「きっと大丈夫よ」


そう答えながらも、エレナの表情には不安が滲んでいた。

レオンハルトから届いた報告。

魔物を操る何者か。

そして――。


『エレナを城外へ出すな』


なぜ、そこまで自分を気にかけているのか。

考えても分からない。


「エレナ」


「何?」


「さっきの報告……」


悠真は少し迷った。


「レオンハルト様が、お前を城外へ出すなって書いてたよな」


「ええ」


「何か心当たりはないのか?」


「……ないわ」


エレナは北の森を見つめる。


「私にも分からない」


「そうか」


悠真はそれ以上聞かなかった。

エレナが何かを隠している。

そんな気がした。

しかし、無理に聞くことではないとも思った。


「まあ、今は城にいた方が安全だろうな」


「そうね」


エレナが小さく笑う。


「あなたもよ」


「俺?」


「あなたも無茶をしないで」


「分かってるって」


「昨日もそう言って、魔力を使いすぎたでしょう?」


「……はい」


悠真は苦笑した。

その時だった。


――カン、カン、カン!


突然、城壁の上で鐘が鳴り響いた。


「何だ?」


兵士たちが一斉に北へ振り返る。


「北方に人影!」


「数は!」


「分かりません! 森の中です!」


悠真の心臓が跳ねる。


「まさか……」


エレナが前へ出ようとする。

しかし――。


「エレナ様!」


騎士が道を塞いだ。


「ここから先は危険です!」


「でも!」


「レオンハルト様の命令です!」


エレナは唇を噛む。


「……分かったわ」


その時。

森の奥から、黒い影が一つ現れた。


馬に乗った男。

黒い外套。

白い仮面。


「……昨日の奴!」


悠真が叫ぶ。

男は一人だった。

ゆっくりと城へ近づいてくる。


「止まれ!」


城壁の兵士が叫ぶ。

男は止まった。

そして、城壁を見上げる。


「エレナ・ヴァレンシュタイン」


その声が、静かな森に響いた。

エレナの身体が僅かに強張る。


「……私?」


「そうだ」


仮面の男は笑う。


「お前に伝えることがある」


「何を?」


「――お前の父親についてだ」


エレナの目が見開かれた。


「……父親?」


悠真も驚いた。

エレナが父親について何か知っている様子はない。


「あなた、何を言っているの?」


エレナが問い返す。


「お前は何も知らない」


「……」


「それでいい」


男はそう言って笑った。


「知らないままの方が、お前にとっては幸せだ」


「ふざけないで!」


エレナの声が響く。


「私の父親を知っているの?」


「ああ」


「誰なの?」


男は答えなかった。

ただ、白い仮面の奥からエレナを見つめる。


「いずれ分かる」


「待って!」


エレナが叫ぶ。

しかし男は馬を反転させた。


「追え!」


兵士たちが叫ぶ。

だが――。

男の周囲に黒い霧が広がった。


「まただ!」


霧が森を覆う。


数秒後。


霧が晴れた時には、男の姿は消えていた。


「……」


エレナは呆然と立っていた。

悠真が隣へ歩み寄る。


「エレナ……」


「私の父親……」


エレナは呟いた。


「知っている人がいる……」


「……」


「でも、どうして……」


悠真には何も言えなかった。

彼女の父親について、何も知らない。

ただ、エレナが明らかに動揺していることだけは分かった。


「大丈夫か?」


「……大丈夫」


そう言ったものの、声は震えていた。

その時――。


「エレナ!」


城内から女性の声が響いた。

セシリアだった。

彼女は急いで二人のもとへ駆けてくる。


「こちらへ。今すぐ」


「セシリア……」


「旦那様から、あなたを絶対に一人にしないよう命じられています」


エレナは何か言おうとした。

しかし、やがて頷いた。


「分かったわ」


悠真も一緒に城内へ戻る。

その間、エレナは一言も話さなかった。


――――――――


一方、北の村。

レオンハルトたちは、村の調査を続けていた。

村は酷い有様だった。

家屋の一部が破壊され、畑は荒らされている。

しかし、不思議なことに死者は少なかった。


「閣下」


兵士が報告する。


「村人の話では、魔物たちは突然現れた後、何かを探すように村中を動き回っていたそうです」


「何かを?」


「はい」


「何を探していた?」


「それが分かりません」


レオンハルトは黙って周囲を見渡した。

すると、地面に奇妙な跡を見つける。


「これは……」


黒い紋様。

先ほど街道で見たものと同じだった。


「またか」


レオンハルトがしゃがみ込む。


魔力を感じ取る。

僅かに残っている。

邪悪な魔力。


だが、完全な闇属性とは違う。


「……終焉教団」


レオンハルトが小さく呟いた。

その名を聞いた兵士が驚く。


「終焉教団……?」


「知っているのか?」


「古い伝承で聞いたことがあります」


「伝承ではない」


レオンハルトは立ち上がる。


「奴らは実在する」


数年前。

王国内で起きた複数の事件。


村の失踪。

魔物の異常発生。

禁忌魔法の痕跡。


その裏に存在すると疑われていた組織。


――終焉教団。


「まさか……」


兵士が息を呑む。


「奴らが、この北方へ?」


「ああ」


レオンハルトは剣を握る。


「そして、奴らの目的は魔物ではない」


「では、一体……?」


レオンハルトは答えなかった。

脳裏に浮かぶのは、エレナの姿。

幼い頃から見守ってきた少女。

そして、自分だけが知る彼女の秘密。


「……エレナ」


レオンハルトの表情が険しくなる。

終焉教団が、なぜエレナの存在を知っているのか。

その理由を考えるだけで、胸の奥に嫌な予感が広がっていく。


「閣下」


兵士が声をかける。


「どうしますか?」


「王都へ急使を送る」


「王都へ?」


「ああ」


レオンハルトは即座に命じた。


「この件は、ヴァレンシュタイン領だけの問題ではない」


「承知しました」


「そして――」


レオンハルトは北の森を見つめる。


「エレナには、このことを知らせるな」


「……はい」


彼女はまだ知らない。

自分の知らないところで、運命が動き始めていることを。


――――――――


その夜。

ローデン城。

エレナは自室の窓辺に座っていた。

昼間の男の言葉が、頭から離れない。


『お前の父親についてだ』


「……父親」


エレナは胸元に手を当てる。

自分の父親について、ほとんど何も知らない。

母は幼い頃から多くを語らなかった。


ただ一つ。


父親は、もうこの世にはいない。

そう聞かされていた。


「なのに……」


なぜ、あの男は知っているのか。

そして――。

なぜレオンハルトは、自分を守ろうとしているのか。


「レオンハルト様……」


エレナは静かに呟いた。

しかし、答えは返ってこない。


その頃。

城の地下にある秘密の部屋。

レオンハルトは一人、古びた資料を開いていた。

そこには一人の男の名前が記されている。


アザゼル・ノクティス。


終焉教団最高指導者。

王国が最も危険視する存在。

レオンハルトは、その名を睨みつける。


「……奴が動いた」


そして、別のページを開く。

そこには――。

幼いエレナの記録。

レオンハルトが長年守り続けてきた秘密。


「お前には何も知らせない」


レオンハルトは静かに呟いた。


「それがお前を守る唯一の方法だ」


その頃、遥か北。

魔境の奥深く。

黒い石造りの祭壇の前に、一人の男が立っていた。


黒衣。

銀色の髪。

冷たい瞳。


その男――アザゼル・ノクティスは、手にした報告書へ目を通していた。


「ローデン城へ侵入した者から報告は?」


「はい」


仮面の信徒が跪く。


「エレナ様は健在です」


アザゼルの手が止まる。


「……そうか」


その声には、僅かな感情が滲んでいた。


「そして、異界の青年も城にいるようです」


「神谷悠真……」


アザゼルはその名を呟く。

しばらく沈黙した後、口元に薄い笑みを浮かべた。


「なるほど」


「いかがなさいますか?」


「まだ手を出すな」


「しかし――」


「エレナには、まだ何も知らせるな」


アザゼルは立ち上がる。


「時が来れば、すべてが繋がる」


彼の視線の先には、遠く離れたローデン城がある。


「……私の娘よ」


その言葉を知る者は、ここにはいない。

そして――。

エレナ自身もまだ知らない。

自分の父親が誰なのか。

その男が、今も生きていることすら。

運命の歯車は、静かに回り始めていた。

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