一章10 王都への急使
翌朝。
ローデン城は、いつもとは違う緊張に包まれていた。
昨夜、北の村で確認された終焉教団の痕跡。
そして、城門前に現れた謎の仮面の男。
城内では兵士たちが警戒を強め、北門には通常より多くの見張りが配置されていた。
悠真は食堂の窓から外を眺めていた。
「……昨日から、ずっとこんな感じだな」
「仕方ないわ」
向かいに座るエレナが答える。
「魔物だけなら、まだ対処できるもの。でも、人間が関わっているなら話は別よ」
「終焉教団って、そんなに危険なのか?」
「私は詳しく知らないけど……」
エレナは少し考える。
「王国でも危険視されている組織だと聞いたことがあるわ」
「それが、北の村を襲った」
「ええ」
エレナは俯いた。
昨夜の男の言葉が、まだ頭から離れない。
――お前の父親についてだ。
「……」
悠真はエレナの様子を見ていた。
「まだ気にしてるのか?」
「何を?」
「昨日の男のこと」
「……少しだけ」
エレナは苦笑する。
「自分の父親のことなんて、考えたこともなかったから」
「そうなのか?」
「ええ」
エレナは静かに答えた。
「私が小さい頃には、もういなかったから」
「亡くなったって聞いてる?」
「そう」
「だったら、あの男が嘘をついてる可能性もある」
「……そうね」
エレナはそう答えた。
しかし、完全には納得していない。
胸の奥に、説明できない違和感が残っている。
なぜ、あの男は自分の父親について知っているのか。
そして――。
なぜ、レオンハルトは何も語らないのか。
「エレナ」
「え?」
「無理に考えなくてもいいと思う」
悠真が言った。
「いつか分かることなら、その時に知ればいい」
「ユウマ……」
「俺だって、自分がどうしてこの世界に来たのか分からないし」
悠真は笑う。
「分からないことだらけだよ」
「……ふふっ」
エレナが小さく笑った。
「そうね」
「だから、一人で抱え込むなよ」
「……ありがとう」
その時だった。
食堂の扉が開く。
「失礼いたします」
セシリアだった。
「お二人とも、旦那様がお呼びです」
「レオンハルト様が?」
「はい。執務室へお願いします」
悠真とエレナは顔を見合わせた。
「行こう」
「ええ」
――――――――
執務室。
レオンハルトは机の前に立っていた。
机の上には、封蝋の施された書状が置かれている。
「来たか」
「何かあったんですか?」
悠真が尋ねる。
「ああ」
レオンハルトは二人を見る。
「昨夜の件について、王都へ報告する」
「王都に?」
エレナが聞き返す。
「終焉教団が動いている以上、私だけの判断では対応できない」
レオンハルトは書状を手に取った。
「国王陛下へ直接知らせる」
悠真は少し驚いた。
「国王に?」
「そうだ」
「それって……かなり大事になってるんじゃ」
「すでに十分、大事だ」
レオンハルトは淡々と答えた。
「魔物の異常発生だけなら、辺境伯領の問題として処理できる。しかし、終焉教団が関わっているなら話は変わる」
机の上には、昨日発見された黒い紋章の写しも置かれている。
「終焉教団は、過去に王国各地で事件を起こしている」
「目的は何なんですか?」
悠真が尋ねる。
「分からない」
「分からない?」
「奴らは自分たちの目的をほとんど明かさない。ただ――」
レオンハルトは紋章を見る。
「『終焉』という言葉を掲げ、世界の秩序そのものを否定している」
「……物騒すぎる」
悠真は眉をひそめた。
「王都から騎士団を呼ぶんですか?」
「ああ」
レオンハルトは頷く。
「王国聖騎士団へも協力を要請する」
その名前を聞いたエレナが顔を上げた。
「聖騎士団……」
「団長は**アルトリウス・セイバー**」
レオンハルトが続ける。
「王国最強の騎士と呼ばれている男だ」
「王国最強……」
悠真が呟く。
「そんな人がいるのか」
「ああ。実力だけでなく、人格も優れている。国王陛下からの信頼も厚い」
「それなら、かなり頼りになりそうですね」
「そうだな」
レオンハルトは短く答えた。
「だが、聖騎士団が動けば、終焉教団も警戒する」
「それでも呼ぶんですか?」
エレナが尋ねる。
「呼ばなければならない」
レオンハルトは答えた。
「守るべきものがあるからな」
その言葉に、エレナが少しだけ目を伏せる。
レオンハルトはそんな彼女を見つめた。
しかし、それ以上は何も言わない。
「王都への使者は?」
悠真が尋ねる。
「すでに準備している」
レオンハルトは窓の外を見る。
「今日中に出発させる」
――――――――
昼前。
ローデン城の正門。
一人の騎士が馬に跨っていた。
王都への急使を任された騎士だ。
腰にはヴァレンシュタイン家の紋章が刻まれた剣。
胸には王国の騎士章。
「道中、十分に注意しろ」
レオンハルトが告げる。
「承知しております、閣下」
「この書状は何としても王都へ届けろ」
「命に代えても」
騎士は書状を受け取る。
封蝋にはヴァレンシュタイン家の紋章。
「頼んだ」
「はっ!」
馬が走り出す。
門を抜け、街道を王都へ向かっていく。
悠真はその背中を見送っていた。
「王都か……」
「行ってみたい?」
エレナが聞く。
「少しな」
「王都は大きいわよ」
「どれくらい?」
「ローデンの何倍も大きい」
「それは見てみたいな」
「いつか行けるわよ」
エレナが笑う。
「本当に?」
「ええ」
しかし、その未来がどうなるのか。
二人はまだ知らない。
――――――――
王都へ向かう街道。
急使の騎士は馬を走らせていた。
昼を過ぎ、街道の周囲には森が広がっている。
「……急がなければ」
騎士が手綱を握り直す。
その時。
――ヒュンッ!
矢が飛んできた。
「っ!」
騎士は身体を伏せる。
矢が兜を掠めた。
「敵襲!」
馬を止め、剣を抜く。
森の中から黒衣の男たちが現れた。
白い仮面。
昨日、北の村で確認された者たちと同じ姿。
「書状を渡せ」
男が言う。
「断る!」
騎士が剣を構える。
「ならば――」
黒衣の男が手を上げた。
地面から黒い魔力が噴き上がる。
馬が怯える。
「くっ……!」
騎士は必死に剣を振る。
一人。
二人。
黒衣の男を斬り伏せる。
しかし、数が多い。
「これほどの人数を……!」
騎士が追い詰められる。
その時。
遠くから、複数の馬蹄の音が響いた。
――ドドドドドッ!
「援軍か!?」
黒衣の男たちが振り返る。
街道の向こうから、白銀の鎧を身にまとった騎士たちが現れた。
先頭には、一人の男。
銀色の髪。
鋭くも冷静な瞳。
白銀の鎧には、王国聖騎士団の紋章が刻まれている。
男が馬から降りる。
「そこまでだ」
低く、よく通る声。
黒衣の男たちが一斉に身構える。
「まさか……」
一人が震える。
「王国聖騎士団……!」
男は剣を抜いた。
「――アルトリウス・セイバー」
その名を聞いた瞬間。
黒衣の男たちの間に動揺が走った。
「王国最強の騎士……」
「逃げろ!」
一人が叫ぶ。
だが、遅かった。
アルトリウスが一歩踏み込む。
――ザンッ!
鋭い一閃。
黒衣の男が吹き飛ぶ。
「ぐあっ!」
さらに一人。
武器を弾き飛ばされる。
アルトリウスの動きには、無駄が一切なかった。
速い。
そして、正確。
「抵抗するなら容赦はしない」
静かな声。
黒衣の男たちは次々と倒されていく。
「副団長!」
アルトリウスの後ろから、一人の騎士が駆けてくる。
「周囲に他の敵は確認できません!」
「分かった」
アルトリウスは頷く。
「負傷者を確認しろ」
「はっ!」
副団長――セドリック・グランベルが急使の騎士へ駆け寄る。
「大丈夫か?」
「はい……」
急使の騎士は息を切らしながら答える。
「ヴァレンシュタイン家からの書状を、王都へ届ける途中でした」
「ヴァレンシュタイン?」
アルトリウスが振り返る。
「何があった?」
「北方で終焉教団が確認されました」
「……終焉教団」
アルトリウスの表情が僅かに変わった。
「北方で何が起きている?」
「魔物の異常発生。そして、北の村が襲撃されました」
アルトリウスは沈黙する。
「なるほど」
やがて、北の空を見つめた。
「どうやら、王都も動く時が来たようだな」
セドリックが尋ねる。
「団長、急使と共に王都へ戻りますか?」
「ああ」
アルトリウスは頷く。
「国王陛下へ直接報告する」
彼は倒れている黒衣の男へ目を向けた。
男の衣服には、あの黒い紋章が刻まれている。
「終焉教団が、ここまで南下しているとはな……」
アルトリウスの目が鋭くなる。
「何か大きなことが起きようとしている」
――――――――
同じ頃。
ローデン城。
エレナは一人、城の廊下を歩いていた。
昨夜から、胸の奥に奇妙なざわめきがある。
父親。
終焉教団。
そして、レオンハルトが隠している何か。
「……私は、一体何を知らないの?」
その呟きに答える者はいない。
廊下の窓から外を見る。
夕暮れの空。
遠くへ伸びる街道。
その先には王都がある。
そして、そのさらに遠く。
彼女自身が知らない因縁が、静かに動き始めていた。
――エレナ・ヴァレンシュタイン。
今、この世界で彼女はそう呼ばれている。
それが彼女の生きてきた名前。
彼女自身も、そう信じている。
だが、その名前の奥に隠された真実を知る者は、まだ僅かしかいない。
そして、その真実を知る男――アザゼル・ノクティスは、今も彼女の存在を知っている。
けれど、エレナがその名を知る日は、まだ来ない。
今はただ――。
一人の少女として。
ヴァレンシュタイン辺境伯領の人々に囲まれながら、彼女は生きている。
そして、その隣には――。
異世界から来た青年、神谷悠真がいる。
二人の出会いが、やがて王国全体の運命を変えることになるとは。
この時の二人は、まだ知る由もなかった。




